TVドラマ化された『砂時計』や『Piece』でその作品世界に触れた、という人も多い漫画家芦原妃名子。恋愛のプロセスを描くいわゆる恋愛もの、というカテゴライズにとどまらない、芦原作品の魅力にあふれた5作品をご紹介します。
映像化された『砂時計』や『Piece』などで知られる漫画家の芦原妃名子。両作で小学館漫画賞を2度受賞した実力派です。その作風の最も特徴的な点は、主人公や他の登場人物の描写の視点が多角的であることです。
主人公の気持ちを描きながら、その主人公を見守る周囲の人物からみた主人公の描写が加わることで、そのシーンに登場する人間のみならずその場にいない人物の気持ちや動きまで類推させてしまう、その手腕は芦原妃名子自身によるブログでもたびたび言及されているように、映画好きであるがゆえのまるでカメラアングルが切り替わるような描写力によるのかも知れません。
その多角的な視点から描き出されていくストーリーは、長編短編を問わず読む人を引き込んでいく力に満ちています。
愛されていない訳ではないけれど、満たされないものを感じていた主人公の麻子。そんな時にいつもまっすぐでまぶしいバレーボール部の本郷とふとしたことから知り合って……。
- 著者
- 芦原 妃名子
- 出版日
- 2002-08-23
芦原妃名子の作品に虐待とまでは言わないものの、金銭的な不自由さえかけていなければいい、といわんばかりのネグレクト気味の親の元で育つ子供たちがしばしば登場します。
しかし、そうした恵まれていない環境の下で生きている主人公たちは決してその環境を言い訳にして、変われない自分を正当化したりすることはありません。
どんなにもがいても苦しくても最後は自分で前を向いていく主人公たちを支えてくれる周囲の優しい手。それに気付くことができることこそが、顔を上げて生きていける原動力なのかもしれない、と思わせてくれる作品です。また、同時収録の「カッコウの娘」もぜひ併せて読んでいただきたいおすすめの短編です。
著名な作家だった祖父の愛人とされていた女性の元を訪れることとなった一菜。大好きな祖母を傷つけてきたに違いないその女性のことがずっと許せずにいた彼女が辿りついた真実とは……。
- 著者
- 芦原 妃名子
- 出版日
- 2007-04-26
愛人のいた祖父の死後に出版された私小説「月と湖」をどうしても読むことのできなかった一菜。そんな彼女自身も高校の先輩であるコータとの恋愛にひそかな不安を感じています。というのも自分とコータ先輩をとりもつ形となった一菜の部活の先輩でもある芙美とコータが、自分より一足先に進学した大学でひそかに親密な仲になっているのでは、という疑いをもったからです。
問いただしたいけれど、真実をつきつけられたくない、知らないふりをしていたい一菜にとって、祖父の私小説「月と湖」は人は同時に2人を愛してしまうことがある、ということを否が応でも気付かせてしまうモノであったのです。
けれど、祖父の愛人とされていた女性、祖父、そして祖母のそれぞれの真実に向き合った時に一菜がとった決断には、うんうんと共感できる、という人は多いのでは。
「手に入れたいけど届かない 皆 そんなジレンマを抱えているんじゃないかしら」というセリフがじん、と響く作品です。
学級崩壊と生徒とのトラブルで天職と思っていた教職を離れ、ぼんやりと日々を過ごしていた柚季。そんな時に出会った変なパン屋を経営する洋一と、交際ゼロ日で「結婚しましょう」と口走ってしまい……。
- 著者
- 芦原 妃名子
- 出版日
- 2014-03-25
出てくる登場人物はヒロインの柚季をはじめ、皆どこか痛みや歪みを抱えて生きている人ばかり。しかもその抱えている悩みは程度の差こそあれ、誰しもどこか心当たりのあるものかも知れません。
「後悔がたくさんあったんだよ。もっとああすれば良かった、こうすれば良かった。色んな後悔が鉛みたく、胸にずっしり残ってて。つらかった思い出を、楽しい時間に塗り替えていくのが、すっごい楽しい。 全部失くしたと思ってたんだけど 一生懸命やって来た事ってさ そう簡単に自分の中から消えてくれないね。」(『Bread &Butter』より引用)
最初は流されているだけに見えた柚季が、おいしいものを一緒に食べれば幸せになれる、ということを基本に自分はもちろん自分をとりまく人たちや洋一を少しずつ変えていく姿に自分を重ね合わせて勇気をもらえる人も多いのでは。
高校時代の同窓生折口はるかの葬儀に参列した水帆。そこで遺族から故人が自分を親友、と語っていたことを聞かされ、はるかの生前の秘密の真相を探り当てるように頼まれます。その真相に辿りつこうとすればするほど、他の同窓生や家族、周囲の人たちそれぞれのもう一つの真実にも向きあうようになり……。
- 著者
- 芦原 妃名子
- 出版日
- 2008-12-24
誰しも裏と表の顔を無意識に使い分けているように、自分がよく知っていると思っている相手のことも、実はある側面しか知らないということをつきつけられるような体験は誰でも一度や二度は経験しているのではないでしょうか。
ヒロインの水帆も最初は死んだ同窓生のはるかの秘密の真相を探しているはずだったのに、いつのまにか自分の中に潜むもう1人の自分と向き合う羽目になります。また、はるかを巡る同窓生たちもそれぞれ自分が知っているはるか、がはるかというプリズムの1面でしかないことに気付かされます。
「人間の脳ってね、簡単に自分自身をだますのよ。 現実を捻じ曲げていくらでも自分の都合のいいように歪曲しちゃえるの」という作中のセリフが象徴しているような、自分が知っている、あるいは知っていると思っていることが、もしかするとすりかえられた記憶や植えつけられた概念でしかないかも、という怖さはもしかすると他者や暴力に対する怖さより克服することが難しいことかもしれません。
でも、同じく作品中で水帆が辿りつくもうひとつの「何が現で何がまやかしか、選ぶのは、いつも私自身。」という真実が照らす道を歩いていくことが生きていく、ということなのかも。読後には自分のmissing pieceは何かを考えさせられる作品です。
夫とうまくいかず、娘の杏を連れて田舎に戻って来たのに自殺してしまった母親。そんな辛い子供の頃からいつも自分を支えてくれた幼馴染の大悟に惹かれた杏。遠距離や、幼友達の月島藤と椎香兄妹との三角関係でこじれた2人の人生の砂時計が刻んだ先の運命は……。
- 著者
- 芦原 妃名子
- 出版日
- 2003-08-23
作者自身が『Piece』は『砂時計』の焼き直し、と語っているように『砂時計』に登場する人物たちも皆それぞれが自分に欠けている何かを探して生きています。傷つけたり、傷つけあったりしながらも「泣いたり怒ったり笑ったり、大切に想ったり、大切にしてもらったり、今の私はあの想い出とあの想い出とあの想い出で出来ている。そう思ったら自分がひどく愛しい存在に思えてくる」とヒロイン杏が思う気持ちは、共感できる人も多いのではないでしょうか。
この作品の登場人物がそれぞれ砂時計の中で流れていく砂=時間の中で自分の過去と向き合い、未来をみつめ、今を生きる姿に自分を投影していくうちに、何だか自分も大きな時の流れの中を旅したような気にさせられます。
芦原妃名子の数多い作品の中から5作品を選んでご紹介してきましたが、気になる作品は見つかりましたか?それぞれ置かれたシチュエーションや年齢は違っても芦原作品には自分の運命にただ従うのではなく傷つきながらも前に歩きだしていく強さをもったヒロインが登場します。ぜひ一度その世界でヒロインと一緒に一歩踏み出す体験をしてみて下さい。