短歌の歴史は古く、変化をしながらも現代まで息づいています。実は現代短歌は、身近なものを詠ったものが多く、多くの人に親しみやすいものとなっています。今回はそんな誰にでも楽しんでもらえるような5冊を紹介します。
「短歌」と聞くとどのようなイメージを思い浮かべるでしょうか。古臭い。堅苦しい。とっつきにくい。そう思う人も少なくないと思います。けれども、実は現代でも短歌は息づいていて、現代短歌は新たな局面を迎えているのです。
現代短歌には、堅苦しさがなく、初心者でも接しやすいものがとても多いです。今回はそんな現代短歌の中でも、おすすめの5選を紹介します。
現代短歌を語る上で、俵万智のことは忘れてはいけません。第一歌集『サラダ記念日』は歌集としては異例の大ベストセラーとなりました。
「「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日」(『サラダ記念日』より引用)
引用した短歌は、一度は聞いたことがあるでしょう。彼女は、口語短歌を世に広めた第一人者と言っても過言ではありません。
- 著者
- 俵 万智
- 出版日
『サラダ記念日』にはスタイリッシュな歌が続きます。さわやかな風を浴びているような、そんな気分にさせてくれます。
「今日までに私がついた嘘なんてどうでもいいよというような海」(『サラダ記念日』より引用)
さらっとした書きぶりの中に、ほのかな恋心や愛情、ちょっとした寂しさ、身近なものに対する面白さ、愛しさが顔を出します。読むと穏やかな、けれども時にちょっぴりせつない気分になる1冊です。
短歌を読んでいるということを忘れてしまうくらい、自由にのびのびと女性の心理が描かれています。
佐藤真由美は、元々は女性誌の編集者ということもあり、女性の心情を詠むのが得意な歌人です。湧き上がってくる自分の感情に偽りなく、赤裸々に想いを詠いあげるのですが、今回はそんな彼女の代表的な歌集『プライベート』を紹介します。
- 著者
- 佐藤 真由美
- 出版日
- 2005-10-20
『プライベート』には、「恋」の歌が多く収録されており、付き合っている/いた男に関する赤裸々な心情の暴露がなされています。
「ありがとういつも一緒にいてくれてたまに一緒にいないでくれて」(『プライベート』より引用)
男への「愛」を詠うだけではなく、付き合っている男への「愛の無さ」を同時に詠いあげます。無邪気にもみえるこうした暴露に、女性が読めば拍手喝采、男性が読めば胸がきりきり痛む、そんな作品かもしれません。
皮肉が効いていて非常に愉快な一方で、失恋から生まれる素朴な感情は読者の胸を打ちます。痛快で非常におすすめな1冊です。
木下龍也は2012年に全国短歌大会で大会賞を受賞するなど、新進気鋭の注目されている歌人です。そんな彼の第一歌集『つむじ風、ここにあります』には、街中にある何気ない一コマがうまく写し取られている歌が、数多く収録されています。
- 著者
- 木下龍也
- 出版日
- 2013-05-25
「つむじ風、ここにあります 菓子パンの袋がそっと教えてくれる」(『つむじ風、ここにあります』より引用)
日常にある、なんてことはない身近なものや言葉が、彼の手にかかると、全く新しい意味を帯びてきます。それまでに無表情に見えていた言葉と言葉がつながることで、今までに見えていなかった、そのもの自体が潜めていた面白さ、重大さ、不思議さ、深刻さ、切実さが立ち現われて来るのです。
また「ロボットの涙は油」の章では、イルカやポチ、鶏やホタル、大仏やロボットなどの人(?)生にスポットを当てた、独特ながらもユーモアと切実さをそなえた面白い歌が並んでいます。
飾らない言葉で、身近なものをペーソスやユーモアを交えながら詠うことで、新たな息吹が生まれていく、地に足のついた、静かな力強さのある歌集です。
東直子は、現代短歌の中心的人物でありながら、小説やミュージカル脚本なども手がけ、装丁なども自ら行う、多才な歌人です。歌集『十階――短歌日記2007』は、ふらんす堂のHPで「短歌日記」として毎日掲載されていたものを、歌集に編んだものです。
- 著者
- 東 直子
- 出版日
この本の面白いところは、一日約一歌と共に、その日の簡単な日記が添えられていることです。日記が添えられることで、短歌の解釈の手助けになったり、新たな受けとり方を生みだしたりします。新機軸を生み出す実験的な試みでもあり、『土佐日記』などを考えるのであれば、古典に回帰する試みともいえるでしょう。
「豆まきにつかわれなかった豆たちがてのひらのなかそわそわしめる」(『十階――短歌日記2007』より引用)
日記ということもあり、日常的なものをモチーフにした歌が多いです。コップに入った飲み残しの水、落し物、久しぶりに会う友人、日々の食事、道行く子供たちなどが描かれます。また、以下のように、ぼんやりとしたときの物想いにふけったときのような歌も。
「なくしてもいいものばかりかもしれず物がなだれて我もなだれる」(『十階――短歌日記2007』より引用)
小さなものから大きなものまで、具体的なものから抽象的なものまで、日々移り変わる短歌の展開が面白いです。
時の移り変わりとともに変わる風景、人の心、また逆に変わらないもの。日記形式で毎日綴られるからこそ感じるものが多い、おすすめの1冊です。
穂村弘は、現代短歌界の先頭を走るトップランナーです。彼の歌には、今まで脳の刺激されたことのなかったところが刺激される、不思議な力があります。今回紹介する歌集『シンジケート』は、そんな彼の魅力がたっぷり詰まった作品です。
- 著者
- 穂村 弘
- 出版日
『シンジケート』には、普段並ばないであろう言葉と言葉の組み合わせがこれでもかという具合に出て来ます。かみなりとジンジャエール、シャンパンと熊、卵置き場と涙、ハーブティーと嘘とどらえもん。特に凄まじい首がこれです。
「象に飲ませる林檎の匂いのバリウムが桶いっぱいにゆれる月の夜」(『シンジケート』より引用)
「象」、「林檎」、「バリウム」、「桶」、「月の夜」と、単語をそれぞれみてみると、通常一緒には使われない言葉が一同に会しています。
短歌に31字という制約がある中で、言葉と言葉の新たな組み合わせにより、無限の世界が表出されていきます。
淡々と言葉が並ぶ言葉の広がりが、脳を揺さぶります。新たな言葉の世界へ飛び込んでみませんか?
短歌の世界は、現代においても、多種多様な歌人が活躍し、新たな広がりをみせ、とめどない膨張を続けています。あなたも、短歌を手にとって、時代の目撃者となりませんか?