『ゲド戦記』原作小説の魅力を解説!あらすじや名言、映画との違いなど

更新:2021.11.18

映画は知っているけど原作の小説は読んだことがない……という方も多い『ゲド戦記』。実は映画よりももっと壮大なストーリーが広がっているんです。この記事では両者の違いとともに、あらすじや登場人物、名言、さらには外伝の魅力もご紹介していきます。

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『ゲド戦記』とは

 

魔法が存在する「アースシー」という世界でくり広げられる冒険譚を描いた、ファンタジー小説『ゲド戦記』。『指輪物語』や『ナルニア国物語』とあわせて、世界3大ファンタジーとして愛されています。

作者のアーシュラ・K・ル=グウィンは、SFの女王と称されるアメリカの小説家。『ゲド戦記』をはじめ数々の作品で文学賞を受賞していて、なかでも英語圏のSF、ファンタジー作品に贈られる「ローカス賞」は19回と、全作家のなかで最多となっています。

『ゲド戦記』を発表して以降、さまざまな作家がその世界観を踏襲するようになり、魔法が出てくるファンタジー小説の礎を築いた存在だといえるでしょう。

日本でいうと、映画監督の宮崎駿や、漫画家の萩尾望都もそのひとりです。『ゲド戦記』は2006年にスタジオジブリによって映画化もされました。

『ゲド戦記』原作小説の登場人物を解説!アレンやテルーなど

 

本作の世界では、ありとあらゆるものに「真の名」というものがついています。魔法が存在するアースシーにおいてこれはとても大事なもので、作中でゲドはこのように語りました。

「何かに魔法をかけようと思ったら、人はまず、その真の名を知らなくてはならない。わたしの故郷では、誰も、絶対に信用できる人以外には、生涯、本名はあかさずにおく。なぜって、名まえは大きな力と同時に、たいへんな危険をもはらんでいるからね。」(『ゲド戦記 こわれた腕環』から引用)

そのため、人々は通り名を用いてお互いを呼んでいるのです。では『ゲド戦記』の主な登場人物を紹介しましょう。

ハイタカ:真の名はゲド。幼い頃から才能にあふれ、後に大賢人となる優秀な魔法使いです。竜と交渉できる竜王でもあります。

オジオン:真の名はアイハル。人々から敬愛されている大賢人で、ハイタカの才能を見抜き、「ゲド」という真の名を授けた恩師でもあります。

カラスノエンドウ:真の名はエスタリオル。ハイタカとは真の名を明かすほどの親友で、ともに影との戦いに挑む魔法使いです。

アルハ:真の名はテナー。魔法を忌み嫌うカルガド帝国の巫女でしたが、ハイタカのおかげで自由の身となります。後に、ハイタカの妻となりました。

テルー:真の名はテハヌー。ハイタカとアルハの養女ですが、その正体は竜の化身です。幼い頃に受けた虐待のせいで、顔の左半分にケロイドがあります。

アレン:真の名はレバンネン。アースシーの北に位置するエンラッドの王子です。ハイタカとの旅の後、アースシーの王座に就きました。映画ではハイタカに代わり主人公となっています。

『ゲド戦記』原作小説のあらすじをわかりやすく紹介!

 

本作の舞台となるのは、アースシーと呼ばれる、無数の島と海から成り立つ世界です。物語はハイタカの一生をなぞりながら進み、本編4巻と外伝2巻をもって完結します。

第1巻『ゲド戦記 影との戦い』

幼い頃から才能にあふれ、偉大な師オジオンのもとで修業を積んだハイタカは、ロークの学院に進学しました。しかし自分の力を誇示しようと、学院で禁止されていた術を使ってしまい、自身の心の闇である「影」に脅かされ続けることになるのです。オジオンの助言により、ハイタカはカラスノエンドウとともに「影」との対決に挑みます。

第2巻『ゲド戦記 こわれた腕環』

名前も家族も奪われ、カルガド帝国の聖地アチュアンの墓地を守る巫女となったアルハ。彼女の前に現れたのは、アースシーに平和をもたらす「エレス・アクベの腕環」の片割れを探しに来たハイタカでした。彼の言葉に感化され、アルハは巫女としてではなく、本来の自分であるテナーとして生きる道を選びます。

第3巻『ゲド戦記 さいはての島へ』

世界の均衡が崩れたせいで、魔法の力が失われてしまったアースシー。原因を探るために、大賢人ハイタカは、エンラッドの王子アレンとともに世界の果てまで旅をすることになりました。ついに元凶がクモという魔法使いであることを突き止めた2人は、黄泉の国での戦いに臨みます。

第4巻『ゲド戦記 帰還』

前作ですべての力を失い、大賢人の地位を降りて故郷へ帰ったゲドは、ゴハ(アルハ)と、彼女が引き取った少女テルーの3人で暮らし始めました。しかし、彼らを目障りに思う魔法使いによって、穏やかな生活は終わりを告げます。そこに現れた竜の長カレシンにより、謎に満ちたテルーの正体が明らかになるのですが……。

原作小説の名言を紹介!

 

心に響く名言が数多くある『ゲド戦記』。いくつかご紹介します。

「自分がしなければならないことは、しでかしたことを取り消すことではなく、手をつけたことをやりとげることなのだ。」(『ゲド戦記 影との戦い』から引用)

第1巻は、ハイタカが精神的に大きな成長を遂げる物語です。自らの心の闇と向き合うのは、彼にとって負わなければならない責任でもありました。ハイタカに限らず、多くの人を奮い立たせてくれる名言でしょう。

「自由は、それを担おうとする者にとって、実に重い荷物である。勝手のわからない大きな荷物である。それは、決して気楽なものではない。自由は与えられるものではなくて、選択すべきものであり、しかもその選択は、かならずしも容易なものではないのだ。」(『ゲド戦記 こわれた腕環』から引用)

巫女の役目から解き放たれたものの、いざ自由を手にしてみると戸惑ってしまうテナー。自由には責任がともない、軽々しいものではないということを教えてくれる名言です。

「死を拒絶する事は生を拒絶することでもあるんだよ。」(『ゲド戦記 さいはての島へ』から引用)

死への恐怖を口にしたアレンをなだめる、ハイタカの言葉です。いずれ来る終わりに怯えるよりも、人生とは「限りある生をいかに生きるのか」に焦点を当てるべきだと教えてくれる名言でしょう。

『ゲド戦記』の原作小説と、ジブリ映画「ゲド戦記」の違いは?

 

ジブリ映画の「ゲド戦記」は、タイトルこそ小説と同じですが、中身はまったくの別もの。原作の第3巻の要素を中心に、宮崎駿の短編「シュナの旅」を加味した独自のものとなっています。そのため、原作小説の『ゲド戦記』とは大きく異なる箇所があるのです。

まず、アレンとハイタカの出会い方。原作では父王の命令でハイタカを訪ねるアレンですが、映画版ではなんと父王を殺して、逃走中にハイタカと出会います。このアレンの父親殺しは、世界の均衡が崩れた結果生まれた災いの力が、アレンの精神にも影響を及ぼしていたことを表現するためのオリジナル設定です。

次に、テルーの年齢です。映画版ではアレンと同年代の少女として登場しますが、原作のテルーはまだ幼く、おまけにひどい火傷の後遺症で言葉もろくに話せません。

そして、原作と真逆に設定されているのが「影」の存在です。原作に登場するハイタカの影は、憎しみや傲慢といった負の感情、すなわち心の闇です。しかし映画版のアレンの影は、心の光として描写されているのです。

小説『ゲド戦記』の外伝『ドラゴンフライ アースシーの五つの物語』も面白い!

著者
アーシュラ・K. ル=グウィン
出版日
2009-03-17

 

本作は『ゲド戦記』の外伝にあたり、5つの中短編が収録されています。

表題作の「ドラゴンフライ」は、テルーと同じく竜の化身であるドラゴンフライ(真の名はアイリアン)が、かつて入学を断られた女人禁制のロークの学院で、権力闘争に巻き込まれていく物語。彼女はもうひとつの『ゲド戦記』外伝である『アースシーの風』にも登場するので、あわせて読むともっと楽しめるでしょう。

他にも、ロークの学院の黎明期を描いた「カワウソ」、ゲドの師であるオジオンの若き頃が語られる「地の骨」など、本編につながる前日譚が収められています。

また作者自身によるアースシーについての解説もあるため、『ゲド戦記』の世界観への理解がさらに深まること必至。ファンならぜひ読んでおきたい、おすすめの一冊です。

ファンタジーというと、どうしても子どもが読むものだという印象を抱く方も多いかもしれません。しかし『ゲド戦記』は奥が深く、大人が読んでも十分に楽しめるファンタジー小説です。まだ読んだことがない方は、ぜひこの機会にアースシーの冒険に漕ぎ出してみてください。

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