日常の中で誰もが感じる内容を表現しているヨシタケシンスケの絵本は、 子どもも大人もページをめくる度に、ワクワク感が止まりません。
ヨシタケシンスケは、1973年生まれで神奈川県出身のイラストレーター、絵本作家です。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コースを卒業した後、大手企業に就職しましたが、半年で退社し、広告用の造形美術の制作、児童書のイラストの挿絵、新聞記事用のイラストなどを描く仕事をしていました。また、二児の父親でもあります。
幼少期、母親が家庭文庫をしていたことから、絵本に囲まれて成長したそう。もちろん絵本が好きでしたが、ただ読むだけではなく話の内容を考え、母親とのやり取りを楽しみながら読む時間が好きだったようです。
ヨシタケシンスケは、どちらかというと自分から表に出るタイプではなく、なかなか自信を持てない少年でしたが、昔から物を考えて作ることが好きで、完成した物を母親に見せて褒められ、物を作る楽しさを感じ自信をつけていったのです。このことは絵本作りの土台になっています。
ヨシタケシンスケは、絵本が好きだからこそ、絵本作家になることから遠ざかっていました。イラストの挿絵などを仕事としていたのですが、子どもが生まれ、幼き頃感じていた忘れていた気持ちを思い出したことがきっかけで絵本作家になったのです。
日常の中で「あるある!」と共感できる話は、ほのぼのとしたイラストとヨシタケシンスケのユーモア満載で子どもも大人も読むと虜になるでしょう。
『りんごかもしれない』は、たった一つのりんごから、主人公の男の子の想像力が膨らんでいくお話で、ページをめくる度子どもも大人もワクワクした気持ちが止まらなくなります。
ある日、学校から帰った男の子はリビングのテーブルの上のりんごに気づきます。じーっとりんごを眺める男の子は「もしかしたらりんごじゃないのかもしれない」とつぶやき、お話が始まっていくのですが、「ぼくからみえない はんたいがわは ミカンかもしれない」など、男の子の想像は止まりません。
- 著者
- ヨシタケシンスケ
- 出版日
- 2013-04-17
ページをめくるたび、たくさんの「かもしれない」の言葉と内容は、読者の想像を遥かに超えていき、「そだてると おおきな いえになるかもしれない」といった場面ではとても可愛らしいイラストで、夢が膨らみます。最初は「こんなことまで……」と思いながら読んでいく大人でも、子どもと一緒に読む中で自然と想像力が膨らんでいくのです。
また、この絵本を読むと、大人と子どもの感性の違いを大きく知ることができます。柔軟な子どもの発想に負けないよう、大人も豊かな発想力を発揮して読んでみてはいかがでしょうか?読むたびに違った発見があり、読んだ後は周りの物の見方が変わってくるので、日々の生活が楽しくなるかもしれません。
続いて紹介するヨシタケシンスケの絵本『もうぬげない』では、日常生活の中でよくある情景が物語になりました。
上着が脱げずにジタバタしている表紙から、笑えてきます。お風呂に入る前に、主人公の男の子が「じぶんでぬぐ!」というものの、お母さんにせかせかと服を脱がされ、上着がひっかかったままのところでお母さんが男の子から離れていく場面では、子育てしている誰もが「あるある!」と感じてしまうのではないでしょうか?ジタバタしている子どもの姿は、単調な絵なのにもかかわらず、男の子の思いが伝わってきます。
「このまま ずっと ぬげなかったら どうしよう」と男の子は、服を脱がないままでの生活を更に考えていくのですが、ぷくっと出た男の子のお腹が可愛いくてたまりません。また、開き直った考えも面白くてクスッと笑ってしまいます。
- 著者
- ヨシタケ シンスケ
- 出版日
- 2015-10-08
「ぼくみたいなこは ほかにもいるよね」と考えた場面の次のページには、主人公の男の子に似た子も出てきて、ちょうちょを追いかけたりしているのですが、自分の子どもと照らし合わせると、笑いが止まりません。
しかし、いろんな考えを出しても現実は変わりません。お腹が出たままなのでもちろん冷えてきて、お母さんに助けを求めようとするもジタバタしながら考えた結果は「先にズボンを脱ぐこと」ズボンは足元にひっかかり、パンツ丸出しぷくっとしたお腹、そして上着が脱げないままの男の子姿にはもう大笑い!そこで、「ガラッ」とお母さんが登場し……。
何でもやりたがる子どもの気持ちは分かっているものの、どうしても葛藤してしまう毎日。ですが、ヨシタケシンスケのこの絵本を読むことで子どもの気持ちをもっと尊重してあげたくなりますよ。
『なつみはなんにでもなれる』は、母と子どものやりとりが描かれている絵本。
ある日の寝る前、主人公のなつみは、洗濯物を畳んでいるお母さんの前でまねっこあそびをしようと話をもちかけます。「ねるじかんなんですけど」と言うお母さんの言葉も聞かないまま、まねっこあそびははじまります。「またはじまった」とお母さんの心の声も吹き出し風に書かれているのですが、この一言からなつみとお母さんの日常が見えてくるんです。
「これなーんだ」お母さんはなつみのまねっこを当てることはできず、「ちがうよ」と繰り返される内容なので言葉を理解し始めた1歳後半の子どもからでも楽しむことができます。
- 著者
- ヨシタケ シンスケ
- 出版日
- 2016-12-02
なつみの話に耳を傾けながら見ている、お母さんの疲れた表情には、大人としてはっと気づかされてしまいます。ついつい余裕がなくて、子どもの声をないがしろにしてしまうことってありますよね。
なつみは物や食べ物を当ててもらうまねっこあそびから、「からあげを食べたい気持ち」など自分の気持ちを当ててもらうまねっこあそびに切り替えます。でも当ててもらえず、お母さんに気持ちを分かってほしいと怒り出す姿が、なんとも可愛らしいのです。
最後は、バケツに頭を入れ、両手にスプーンを持ち「これなーんだ」と言って寝てしまうのですが、正解が分からないままお母さんはなつみを布団に寝かせてしまいます。一体正解は何でしょう……?ヒントは裏表紙に隠されています。
『りゆうがあります』は主人公の男の子が鼻をほじっている、といった間抜けな場面からお話がスタート。男の子にはたくさんの癖があり、その癖が行儀悪いのでお母さんに怒られます。怒ってしまうのも、それは仕方ない!と大人は思ってしまいますが、この絵本を読むと子どもの癖の見方が変わるんです。
男の子はお母さんに怒られることが嫌で、理由をつけると怒られなくてすむと考えを生み出し、自分の癖に一つ一つ理由をつけていきます。
- 著者
- ヨシタケ シンスケ
- 出版日
- 2015-03-07
鼻をほじるのは、鼻にスイッチがありスイッチを押すと周りが楽しくなるといった理由。廊下やお店などで走る理由は、ダッシュ虫が頭に止まって、そのせいで勝手に体が動いてしまうため。様々な理由は、大人にとって全て「いいわけ」にしか聞こえてきません。
しかし、『りゆうがあります』の後半に、お母さんにも癖があることを男の子に指摘をされる場面があります。それは、髪の毛をいじること。お母さんがとっさに考えた理由は、「髪の毛一本一本に今日のレシピが書いてある」とのこと。
普段子どものためを思って癖を直すようにいう言葉は、優しい言葉ではなく、大半が頭ごなしになっていることに気づかされ、子どものいいわけに対する見方が変わるかもしれません。
『このあとどうしちゃおう』は、主人公の男の子のおじいちゃんが亡くなった後、男の子がおじいちゃんのベッドの下からある一冊のノートを見つけ、お話がはじまります。
ノートの表紙には「このあとどうしちゃおう」と書かれていて、男の子はそれを手に取り読んでいきます。おじいちゃんが亡くなったというところから話がはじまっているのにもかかわらず、悲しい気持ちには不思議となりません。「このノートの中に何が書かれているんだろう」とワクワクした気持ちが高まっていくんです。
- 著者
- ヨシタケ シンスケ
- 出版日
- 2016-04-22
ノートの中には、おじいちゃんが想像する死後の世界などが書かれてあったのです。彼が描いた想像の世界の絵が具体的な内容なので面白おかしく、思わず絵本の世界に入りこんでしまいます。
おじいちゃんは死ぬことが怖くなかったのかな?と男の子が疑問を抱きながら、お父さんに話す場面ではぐっと感情がこみあげてくるんです。おじいちゃんのように、「このあとどうしちゃう?」ノートを男の子は買いに行くのですが、これから生きていく中でやりたいことがたくさんあることに気づきます。
さて、男の子のノートには、何が描かれていくのでしょうか……?
日常生活の中で、死についてのお話は背けがちですが、『このあとどうしちゃおう?』は、ヨシタケシンスケのユーモアとともにわかりやすく「生きることの大切さ」を理解できる内容になっています。死んだ後のことを考えることも良いですが、生きているこの瞬間や、これから何をやってみたいか?など、夢のノートを子どもと一緒に描いてみるのもよいでしょう。
白いもちもちした生地のようなものをこねては伸ばす男の子。頭にはキャップまでかぶって、真剣にこねる様子はパン職人さながらです。
しかし、ページをめくっていくと、こねてのばしての他にもいろんな動作が加わっていきます。こねこねしたものをイスに座らせてみたり、一緒に踊ってみたり、もっともっと伸ばして、体に巻きつけてみたり。
えっ、パンじゃないの!?とツッコミを入れたいところですが、さらに男の子のこねこね遊びはくり広げられていきます。
- 著者
- ヨシタケ シンスケ
- 出版日
- 2017-10-19
もちもちっとした質感が伝わってくるイラストが魅力です。何をこねているのか、具体的に描かれているわけではないのですが、ものに触れて楽しむ、という感覚を楽しく学べるでしょう。
大人も子どもも一緒になって、予想のつかない男の子の動きには笑ってしまいます。親子で読んで、「自分だったらこねたものをどうしてみる?」とアイディアを出し合ってみても楽しいですね。
学校から帰ってきたけれど、家族みんな忙しくて、誰も相手にしてくれない。夏休みのある暑い日、家の中で遊んではいるものの、どの遊びも飽きてしまって面白くない。「つまんない!」と叫びたくなるような気持ちは、誰しも子どもの頃に経験したことがあるでしょう。大人になった今でも、休日家でゴロゴロしているだけで、なんとなく「つまんないなぁ」と思う時もありますよね。
ヨシタケシンスケが描く本作では、そんな「つまんない」思いをしている男の子が主人公。彼は、家のおもちゃは遊び尽くして、もうつまんないし、テレビだっておもろくないと感じています。お母さんに、「ねぇ。つまんないんだけど」と文句を言いますが、料理で忙しいので相手にしてくれません。
そうしている時に、
「ていうか……つまんないのってだれのせい?
どうしてつまんないんだろう。
つまんないって、なんだろう。」 (『つまんない つまんない』より引用)
と考え始めるのです。
この哲学的ともいえる問いに対して、男の子は色んな角度から「つまんない」を分析していきます。
- 著者
- ヨシタケ シンスケ
- 出版日
- 2017-05-17
例えば、「ずっと何かが同じ状況であると、つまらなくなるのか?」と考えた男の子は、座る位置を少しずつずらしていく、という解決策を考案。実際に床におしりをつけて座り、その辺りをズズッと少しずつ移動していきます。途中、「あれ、なんだか楽しくなってきた!」と思うのもつかの間、やっぱりすぐに面白くなくなってしまいます。
このような調子で、人間だけではなく、ダンゴムシや道に落ちている石も「つまんない」と思うことがあるのだろうか?など、男の子は次々と考えを巡らせていきます。そうして、男の子は、普段考えたこともないような「つまんない」の世界について考えていると、次第になぜだか楽しくなってくるのです。
すぐに「つまんない!」と喚く達人ともいえる、遊び大好きの子どもたちは、作中の男の子に共感できるでしょう。また、淡々とした日常に飽きてしまったと感じている大人は、子どものように物事を柔軟に考えることの大切さに気づかされるのです。
とことん「つまんない」をテーマにした絵本なのに、ヨシタケシンスケが捉える視点は面白く、子どもから大人まで、とても楽しい気分になれる作品です。
ヨシタケシンスケの絵本は、幼少期、母親と一緒にやりとりを楽しみながら絵本を読んでいたことや、子どもが生まれてから感じる日常のあるある話など、実体験が土台になっている絵本だからこそたくさんの読者に魅了されているのです。一度読むと「また読みたい」と思えるヨシタケシンスケの絵本を手に取って読んでみてはいかがでしょうか?