川端康成は日本初のノーベル文学賞作家。鋭い洞察と柔らかな文体で書かれた彼の作品は、今もなお、多くの作家に影響を与えています。時に切なく、時に官能的。そんな美しい文章をとことん味わえる、川端康成の10作品をご紹介します。
1899年、川端康成は大阪で生まれました。幼い頃に両親を病気で亡くし、当人もまた病気がち。小学校の入学式では、あまりの人の多さに戦慄し泣いてしまったそうです。しかし、学校の成績は優秀で、中でも作文の上手さは群を抜いていました。体と心の繊細さ、そして作文の上手さ……作家としての素質は、小学校の頃からすでに芽を出していたのかもしれません。
川端康成といえばギョロッとした大きな目が特徴的。ただでさえギョロ目なのに、子供の頃に盲目の祖父と長年暮らしていたせいか、人の顔をじっと見つめる癖がついてしまったそうです。その結果、見つめ続けた女性が泣き出す、見つめ続けただけで泥棒が退散する、など数々の逸話が残されています。
菊池寛や芥川龍之介といった文豪達と交流を持っていた川端康成。中でも、三島由紀夫と深い関係があったことはよく知られています。当時、まだ無名だった三島の才能を川端は見抜き、自分が幹部を務めていた雑誌に三島の作品を掲載させていました。このことがきっかけで2人は生涯にわたる強い絆を結んでゆきます。川端は小説だけでなく、新人発掘においても優れた才能があったようですね。
他にもたくさんの強烈なエピソードがある川端ですが、書いた作品数も膨大です。映画化されるような有名作品もあれば、入手困難な作品も。その中でも入手しやすく、川端康成エッセンスが詰まった珠玉の10作品をご紹介します。
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」
(『雪国』より引用)
川端康成の作品を読んだことはないけれど、この書き出しだけなら知っている、という人は多いかもしれません。美しい文章の代表例として、たびたび紹介されるこの一文。もちろん本文も美しく、読みごたえのある作品です。
物語は、親の金で勝手気ままに生活している島村が、芸者の駒子の元へ向かう場面から始まります。
- 著者
- 川端 康成
- 出版日
島村、駒子、そして駒子の妹分である葉子と、連れの病人の男。現実と回想を繰り返しながら、それぞれの関係が徐々に交錯していきます。物語は穏やかに進んでいくと見せかけて、ラストにある事件が起きてしまいます。
ちなみに、『雪国』は直接的な描写を避けた作品なので、難解と言われてしまうことも。例えば、最初の書き出しの後に続く次の文。
「夜の底が白くなった。」
(『雪国』より引用)
夜の暗闇と一面の雪の白さを対比させた美しい一文です。このような間接的な描写が『雪国』にはあり、難しく感じてしまう人が多いようです。しかし、この作品は繰り返し読めば読むほど、難解さの裏に広がる詩的な美しさを感じられるようにできています。
川端康成作品の最高峰とも謳われる『雪国』。ぜひ手にとって、文章の美しさに酔いしれてみて下さい。
川端作品の中には「魔界」と呼ばれる概念をテーマにしたものがいくつか存在します。その「魔界」を初めて小説の中に落とし込んだものが『舞姫』。のちの作品の主題が変転する、一つのキーポイントとなった長編小説です。
『舞姫』と聞くと、森鴎外の作品を思い出す人もいるのではないでしょうか。実際、川端康成の作品の中でも本作はあまり知られていないほうです。
- 著者
- 川端 康成
- 出版日
- 1954-11-17
貧乏育ちの元男、裕福に育った妻の波子、そして二人の間に生まれた娘の品子と息子の高男。元男は国外逃亡を計画し、一方の波子は不倫中。もともと冷めきっていた二人でしたが、波子の不倫がバレたことをきっかけに全てが崩壊へと向かっていきます。
生まれ育ちの違いや価値観の違いで、人間関係がうまくいかないのは現代でも同じです。そして、家族間での問題がそうそう解決できるものではないのも同じ。川端康成は、その「解決できないもどかしさ」を上手く表現しています。
川端康成の初期の作品であり、代表作とも評される作品です。
孤独感に苛まれる高校生の川島は、暗鬱とした気分から逃れようと伊豆へ旅に出ます。道中で旅芸人の一行と出会い、その中の踊り子に惹かれていく……というお話。
『伊豆の踊子』は、川端康成が高校生の時に訪れた伊豆での体験をもとに書かれています。体験したことを脚色なく書いたとされており、川端の青春をそのまま体験できる作品と言えるでしょう。
- 著者
- 川端 康成
- 出版日
- 2003-05-05
主人公の川島は、旅芸人や踊り子との触れ合いを通して、自身の孤独感を解きほぐしてゆきます。
最初、川島は踊り子を17歳くらいだと思っていたのですが、後に実は14歳だと知ります。まだ幼い踊り子に対し川島が抱くのは「男女の恋愛感情」ではなく、もっと淡く切ない想い。そして踊り子も、川島に対して淡い想いを抱いています。互いに想い合う2人ですが、旅の終わりと共に別れの時がやってきて……。
青年期の繊細な心の動き、純真で淡い恋心を見事に表現した作品です。本作は40ページ程度と短いですが、非常に濃い内容となっています。ぜひ、読んでみてください。
川端康成の作品の中でも、とりわけ異質と言われているのが本作です。美しい文体の中に潜む、異様な気持ち悪さ。そして、現実と妄想の間で揺れ動く主人公の心。発表当初、賛否両論が交わされた川端康成の問題作です。
『舞姫』で使われた「魔界」の概念をより明解に、より積極的に取り入れ始めた川端作品、第二のキーポイント。『舞姫』を読んだ後に、ぜひともトライしていただきたい作品です。
- 著者
- 川端 康成
- 出版日
- 1960-12-25
元高校教師の桃井銀平には、綺麗な女の人を見かけると後を追いかけてしまう「ストーカー癖」がありました。ストーカーというと、相手に危害を与えるような恐ろしさを想起してしまいますが、銀平にそんな気はありません。銀平にあるのは、美しいものに惹かれる純粋な気持ちです。
主人公の奇妙な癖、そして現実と回想が入りまじる物語の構成。最後まで読むと、夢の中にいるような不思議な感覚が味わえる作品です。
川端康成の長編小説で、もっとも評価の高い作品です。
主人公の尾形信吾は、ある時に山の音を聞きます。最初は海の音だろうかと考えていましたが、どうやら違うらしく、「じゃあ耳鳴りか」と頭を振ると音が止んでしまいます。その瞬間、死期を告げられたように感じた信吾は、それから死を意識した日々を過ごしてゆくのですが……。
- 著者
- 川端 康成
- 出版日
- 1957-04-17
主人公の尾形信吾は、会社の重役を務めながらも若干ボケ始めている62歳。山の音を「死期の予告」と捉えてしまった信吾は、息子の嫁である菊子に惹かれていきます。恋愛的な感情ではなく、純粋に愛おしいと思う気持ち……そして信吾は、昔憧れていたある人の面影を菊子に重ねていきます。
家族への愛、憧れていた故人への思慕、家族だからこそ起きる葛藤。それら全てが、川端康成の美しい情景描写と共に描かれている『山の音』、ぜひ読んでみてください。
京都を舞台に展開する、川端康成後期の作品です。
主人公の千重子は、捨て子ではあったものの、呉服屋の娘として拾われ裕福に育ちました。一方、双子の苗子は杉林で働く貧しい家の娘でした。2人はひょんなことから出会って仲良くなるのですが、苗子は身分の違いを考慮して千重子のことを「お嬢さん」と呼び続けます。
それぞれ違う身分で違う人生を歩んできてしまったがために、互いに交わることができない双子の数奇な運命を描いた傑作です。
- 著者
- 川端 康成
- 出版日
- 1968-08-27
千重子と菊子の心理描写もさることながら、京都の祭りや風景の細かい描写が高い評価を受けている『古都』。京都に住んだことがある人は、その描写の正確さに驚くでしょう。川端康成はこの作品を書くために、実際に京都に住んだそうです。
川端の、ギョロっとしたあの大きな目で見たであろう、京都の昔ながらの風景や日本の伝統的な職人の技術。そして、人々のふれあいや四季の移り変わり……そういったものに想いを馳せながら読んでみるのもいいかもしれません。
川端康成の作品の中でも、あまり知られていない部類に入るだろうと思いますが、官能的でありつつも、死のイメージや捉えどころのない悲しみがある作品で、隠れた名作と言えるでしょう。
物語は、父親は一緒だがそれぞれ母の違う三姉妹のお話。自殺で母をなくした長女の百子、正妻の子の麻子、そして芸者の子の三女の若子がそれぞれが違う価値観を持って生きてゆきます。
- 著者
- 川端 康成
- 出版日
母の自殺や恋人の死によって抱えてしまった長女の百子の心の闇。愛に飢えて狂気じみた心は暴走し、百子はそのうちに美少年をあさり始めます。その様子を心配する麻子。そして2人の様子を引いて見ている若子……三姉妹が三者三様の性格を持ち、物語は進んで行きます。
川端康成の淡々としつつも繊細な文体で、官能と悲しみ、そして昭和を生きる女性の力強さを感じられる作品になっています。
掌編小説が100編以上も収録された、いわば作品集です。
どの作品も短いですが全て濃い情景描写で描かれていて、しかも40年以上に渡って書かれた作品集。その大半は20代に書かれたもので、若き日の川端康成の文学が凝縮された1冊と言えるでしょう。
- 著者
- 川端 康成
- 出版日
- 1971-03-17
掲載されている作品は短ければ2ページ、長くても10ページ程度で、空いた時間ですぐ読めてしまう作品ばかりです。ちなみに全ての作品を合わせると、なんと500ページ越えの大ボリューム。手軽に長く楽しめる1冊です。
川端康成曰く「詩を書く代わりに掌編小説を書き続けた」らしく、若き日の川端が持っていた、淡い想いや繊細な心であるがゆえの苦悩などを、みずみずしい表現で書き綴った作品が多く掲載されています。
短い作品ばかりなので、読書が苦手な方もぜひ手にとって読んでみては。
川端康成の作品は女性の内面を写し取ったものが多いですが、なかでも本作は、女性に対する川端の鋭い観察眼が光った作品です。
物語は、40を超えてもなお美しい弁護士の夫人の市子が主人公。ある日、市子のもとに、旧友の娘である「さかえ」が転がり込んできます。最初こそ「さかえ」を可愛がっていた市子だが、徐々に女としてのプライドや葛藤に苛まれるようになっていき……。
- 著者
- 川端 康成
- 出版日
- 1961-04-18
女性の本質を抉り出した『女であること』は、時にもどかしく、哀しく、そして幻想的に物語が展開してゆきます。男性から見た女性と、女性から見た女性では感じるところが違うはずですが川端康成は、見事に女性の視点で書ききっています。
この作品自体、男性と女性、読み手によって想起されることが違うかもしれません。あまり男性に読まれにくいタイトルかもしれませんが、ぜひ男性の方に読んでいただきたい作品です。
川端康成の作品には官能的な作品がいくつもありますが、なかでも人気なのが本作です。
物語は、江口という老人が会員制の秘密の宿に来たところから始まります。この宿は、絶対に目覚めない裸の美少女と一緒に添い寝できる代わりに、すでに精力の衰えた老人しか入ることが許されていません。しかし、まだ性機能が衰えきってるわけではない江口老人は……というお話です。
- 著者
- 川端 康成
- 出版日
- 1967-11-28
執筆期間中、川端は睡眠薬による禁断症状で意識不明な状態が続いたそうです。その時の経験も『眠れる美女』に生かされているのかもしれませんね。
また、老人の性について書かれた作品ではありますが、ただ官能的なだけではありません。主人公の江口老人は、女の子と添い寝しながら、夢の中で今までの人生を回顧します。川端康成の繊細な文体でつづられる幻想的な夢の世界と、現実世界の官能性。それらが見事に融合し、不思議な読後感を誘う作品となっています。
江口老人は何度も秘密の宿に通うことになるのですが、物語の最後である事件が起きます。最後に何が起きるのか、ぜひ手にとって確かめてみてください。
以上、川端康成の珠玉の10作品をご紹介しました。どの作品も人間の機微を見事に捉えた名作です。今の時代はあまり純文学作品が売れないそうですが、読んでみると結構面白いものが多いですよ。特に川端康成の作品は繊細で美しく、それでいて官能的。「純文学はちょっと」という方でも、今回紹介した作品の中にはきっと楽しめるものがあるはずです。ぜひ挑戦してみてください。