名探偵ファイロ・ヴァンスを生み出したアメリカの推理小説家であるヴァン・ダイン。優れたミステリを執筆したり、ミステリの基本となる指針を発表したりしました。本格ミステリと独自に向き合い続けた作家と彼の作品をご紹介します!
S・S・ヴァン・ダインは、1888年生まれのアメリカの推理作家です。
入院生活中に多くのミステリを読んで研究し、1926年に『ベンスン殺人事件』を発表し、成功を収めます。この作品も含めて、名探偵ファイロ・ヴァンスが活躍するミステリを12作執筆し、「ミステリの女王」として知られるクリスティーの評論を書いたり、『世界短編傑作集』の序文で推理小説を書く上での基本を示した「ヴァン・ダインの二十則」という指針を発表したり、精力的にミステリの世界で活躍しました。
ここで、ヴァン・ダインの二十則を見てみましょう。
1. 事件の謎を解く手がかりは、全て明白に記述されていなくてはならない。
2. 作中の人物が仕掛けるトリック以外に、作者が読者をペテンにかけるような記述をしてはいけない。
3. 不必要なラブロマンスを付け加えて知的な物語の展開を混乱させてはいけない。ミステリーの課題は、あくまで犯人を正義の庭に引き出す事であり、恋に悩む男女を結婚の祭壇に導くことではない。
4. 探偵自身、あるいは捜査員の一人が突然犯人に急変してはいけない。これは恥知らずのペテンである。
5. 論理的な推理によって犯人を決定しなければならない。偶然や暗合、動機のない自供によって事件を解決してはいけない。
6. 探偵小説には、必ず探偵役が登場して、その人物の捜査と一貫した推理によって事件を解決しなければならない。
7. 長編小説には死体が絶対に必要である。殺人より軽い犯罪では読者の興味を持続できない。
8. 占いとか心霊術、読心術などで犯罪の真相を告げてはならない。
9. 探偵役は一人が望ましい。ひとつの事件に複数の探偵が協力し合って解決するのは推理の脈絡を分断するばかりでなく、読者に対して公平を欠く。それはまるで読者をリレーチームと競争させるようなものである。
10. 犯人は物語の中で重要な役を演ずる人物でなくてはならない。最後の章でひょっこり登場した人物に罪を着せるのは、その作者の無能を告白するようなものである。
11. 端役の使用人等を犯人にするのは安易な解決策である。その程度の人物が犯す犯罪ならわざわざ本に書くほどの事はない。
12. いくつ殺人事件があっても、真の犯人は一人でなければならない。但し端役の共犯者がいてもよい。
13. 冒険小説やスパイ小説なら構わないが、探偵小説では秘密結社やマフィアなどの組織に属する人物を犯人にしてはいけない。彼らは非合法な組織の保護を受けられるのでアンフェアである。
14. 殺人の方法と、それを探偵する手段は合理的で、しかも科学的であること。空想科学的であってはいけない。例えば毒殺の場合なら、未知の毒物を使ってはいけない。
15. 事件の真相を説く手がかりは、最後の章で探偵が犯人を指摘する前に、作者がスポーツマンシップと誠実さをもって、全て読者に提示しておかなければならない。
16. よけいな情景描写や、わき道にそれた文学的な饒舌は省くべきである。
17. プロの犯罪者を犯人にするのは避けること。それらは警察が日ごろ取り扱う仕事である。真に魅力ある犯罪はアマチュアによって行われる。
18. 事件の結末を事故死とか自殺で片付けてはいけない。こんな竜頭蛇尾は読者をペテンにかけるものだ。
19. 犯罪の動機は個人的なものがよい。国際的な陰謀とか政治的な動機はスパイ小説に属する。
20. 自尊心(プライド)のある作家なら、次のような手法は避けるべきである。これらは既に使い古された陳腐なものである。
A.犯行現場に残されたタバコの吸殻と、容疑者が吸っているタバコを比べて犯人を決める方法。
B.インチキな降霊術で犯人を脅して自供させる。
C.指紋の偽造トリック。
D.替え玉によるアリバイ工作。
E.番犬が吠えなかったので犯人はその犬に馴染みのあるものだったとわかる。
F.双子の替え玉トリック。
G.皮下注射や即死する毒薬の使用。
H.警官が踏み込んだ後での密室殺人。
I.言葉の連想テストで犯人を指摘すること。
J.土壇場で探偵があっさり暗号を解読して、事件の謎を解く方法。
いかがですか? ヴァン・ダインは、推理の合理性や、読者とのフェアプレーに重きを置いているのがわかると思います。
この指針は1928年に発表されて以来、何度もミステリを論じたり、ミステリ作品を批評する際に用いられてきました。この指針と照らし合わせて、ミステリ作品を読んでみたり、自分にとってミステリとは何かを考えてみたりするのも面白いかもしれません。
では、12作あるヴァン・ダインのミステリ作品の中から、特におすすめの3作品をご紹介します!
ベンスンがニューヨークの豪華な自宅で、額を撃ち抜かれて亡くなっていました。一見簡単な事件で、すぐ解決されるように見えたものの、ファイロ・ヴァンスが検察の見解に異を唱え……。
- 著者
- S・S・ヴァン・ダイン
- 出版日
- 2013-02-21
ヴァン・ダインの処女作であり、名探偵ファイロ・ヴァンスが登場する最初の作品です。
名探偵ファイロ・ヴァンスは豊かな知識を持ち、頭脳明晰なものの、どこか人を喰ったような感じがあります。イラっとさせられることもありますが、どこか憎み切れない独特の魅力がある探偵です。
本を手にとってみたはいいけれど、事件が地味で退屈してしまったり、作中で多く語られる蘊蓄に辟易としてしまったりするかもしれません。ですが、どうにか最後まで読んでいただきたいです。物証、状況証拠に頼らず、心理的な面からもきちんと論理立てて、一つの結論を導いていくやり方は大変面白いです。
ファイロ・ヴァンスの口からは、殺人犯とはどういう心理を持つ者であるのか、事件の解決に至るにはどういった根拠が大切なのか、が語られます。ここで述べられた考えに基づくやり方は、シリーズを通して貫かれています。いわば、ファイロ・ヴァンスの口から語られる理論は、ヴァン・ダインのミステリ作家としてのスタイルの宣言ではないでしょうか。
ニューヨークのグリーン家。5人の子供たちが対立しあっており、不穏な空気があるこの屋敷で、2人が撃たれるという事件が起こります。一家全員を殺そうとする恐ろしい犯人に、ファイロ・ヴァンスはどう立ち向かうのでしょうか。
- 著者
- ヴァン・ダイン
- 出版日
『グリーン家殺人事件』は、ヴァン・ダインの作品の中でも最も評価の高い作品の一つです。
全体的に重苦しいです。グリーン家という息が詰まりそうな空気感のある屋敷の中で次々と殺人が起き、普段は軽口を叩くことの多いヴァンスもさすがに焦りを見せます。屋敷の中から次々と人が消されていくにも関わらず、ヴァンスが犯人がしぼれない展開に、ページをめくる手が止まらなくなるでしょう。
そのような重い空気と焦りの効果も手伝って、最後の怒濤の解決には目を奪われます。ヴァンスの推理の過程が大変面白いです。フェアプレイが意識されており、 読者も同じ過程を辿れるようにと、必要な情報は物語中にきちんと書かれています。
いがみ合う家族同士、一つの屋敷を舞台とした事件、おどろおどろしい雰囲気、といったミステリの鉄板といえる要素の確立に一役買い、フェアプレイ精神も守ったこの名作は、エラリー・クイーンなど、他の多くのミステリ作家にも影響を与えています。
ニューヨークで連続殺人事件が起こります。事件のたびに、「僧正」と名乗る怪しい人物からマザー・グースが書かれた手紙が届きます。一連の殺人事件は、はじめにファイロ・ヴァンスが指摘したとおり、マザー・グースになぞられたものでした。
この不可解な事件に、ファイロ・ヴァンスはどう挑むのでしょうか。
- 著者
- S・S・ヴァン・ダイン
- 出版日
- 2010-04-05
『僧正殺人事件』も、先ほど紹介した『グリーン家殺人事件』と並ぶヴァン・ダインの代表作です。
ミステリファンの心をくすぐる、何らかの歌詞や物語に沿って殺人が起きる見立て殺人という様式は、この作品が先駆けだったと言われています。アガサ・クリスティー、横溝正史などに影響を与えました。
僧正は一体誰なのか、殺人の動機は、見立てをする意味は、といった謎が明確に、魅力的に読者に提示されます。それらの謎が、見事に正体不明の僧正に対する得体の知れない恐怖をあおってくるのです。
ラストには思わずぽかんと口を開けてしまうような、衝撃的な展開が待ち受けています。きっと読者はヴァン・ダインの掌の上で踊らされていることに気づいて、身震いします。僧正とヴァン・ダインに恐怖を覚えるような、巧みの一作です。
ヴァン・ダインの作品に、どうしても古臭さを感じてしまうこともあると思います。しかし、こういった作品が20世紀前半に生み出されたことを思えば、非常に画期的な作品だと感じられるのではないでしょうか。ミステリの発展に貢献したヴァン・ダインの作品は、ミステリファン必読です!