萩原朔太郎のおすすめ作品5選!詩人独特の世界に浸る

更新:2021.12.18

学業には身が入らず落第、入退学を繰り返す一方で、野原に寝転んだりして思索にふけっていたという萩原朔太郎。通常とは異なる感性がゆえに歩む人生と、そこから生み出される独特の詩作品で「日本近代詩の父」と称されるまでに才能を発揮することになります。

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感性の鋭さを才能として伸ばしていく萩原朔太郎

萩原朔太郎は1886年生まれの詩人です。父は、東京大学医学部を首席で卒業し、医院を開業していたという秀才。その長男として生まれ、育った朔太郎の意識の中には、学問をおさめ、父のようにならねばというものがあったのかもしれません。

しかし、学業には身が入らず、何度も落第や入退学を繰り返し、最終的に、京都大学を受けて不合格になった後、早稲田大学を目指すも、受験手続きが遅れてダメになるという結末を迎えます。この時点で朔太郎はすでに27歳になっており、大きな挫折を味わうことになります。

一方で、14歳の時、従兄弟の萩原栄次に短歌のことを教わってから、中学校在学中に短歌の発表を続け、17歳の時に与謝野鉄幹主宰の『明星』に短歌が三首掲載されたり、石川啄木らと共に「新詩社」の同人となるなどの活動を通し、才能を花咲かせていくのです。

感性が研ぎ澄まされたものにとって、通常の学問を続けていくのは、苦痛以外の何物でもなかったのかもしれません。

挫折が才能を際立たせる瞬間というものが、人生にはあるものです。

朔太郎にとっての学業の挫折は、「お前は文学の道へ進みなさい」という福音だったといえるでしょう。しかしながら、この決意は、詩人としての才能を伸ばしていくきっかけであったのと同時に、身を削りながら作品を創作していくことの始まりだったともいえるかもしれません。

代表作を凝縮した作品集『萩原朔太郎詩集』

「詩はただ病める魂の所有者と孤独者との寂しい慰めである」
(『月に吠える』より引用)

詩と、己という存在の関係性を、凝縮した一文です。

『萩原朔太郎詩集』は、そんな孤高の詩人の代表的詩集から厳選された作品が詰まっています。第一詩集『月に吠える』をはじめ、『青猫』等の代表作から創作年次順に編まれたこの詩集は、日本近代詩の父とまで呼ばれるに至った、朔太郎の創作の軌跡と特性を知る最適な書といえるでしょう。

著者
萩原 朔太郎
出版日
1981-12-16

ところで、そもそも近代詩とは、それまでの詩と何が違うのでしょうか。

短歌や俳句は、配列や韻律など規則的な形式を用いて、題材も花鳥風月を扱うなど、形式美を重んじていました。それに対し、この規則に従うことに配慮していると、近代人の自由な感情や意思を表現することはできないとし、自由な構成で日常の言葉を用い、題材も日常的で社会的なものが好んで取り扱われたのが、近代詩です。

目の前に起こる事象や心に湧き起こる感情を、より直接的な言葉で表現しようとする、朔太郎の作品に触れるきっかけとしても良書といえるでしょう。

幻想的風景に絶対不惑の事実を見る『猫町』

散文詩風な小説『猫町』で、朔太郎はこう記しています。

「モルヒネ中毒に中枢を冒された一詩人の、取りとめもないデカダンスの幻覚……」
(『猫町』より引用)

朔太郎の言葉通り、この作品を読んでいると、確固とした具体的なイメージが表れてくるのではなく、抽象絵画を見ているような感覚に襲われます。書いてあることは正直よくわからない、しかしそこには心をとらえて離さない何かがあり、何度も何度も読み返してしまう……そんな感覚です。

おそらく、通常の文章で書いてしまえば、簡単に読める一方で、すぐに記憶の中から抜け落ちていってしまうような事象も、朔太郎の手にかかると、言葉がここまで印象深く、心の中に突き刺さるようになることに驚かされます。

著者
萩原 朔太郎
出版日
1995-05-16

幻想的な感覚に慣れてくると、あらすじが見えてきます。モルヒネを使い過ぎて中毒になってしまった「私」が、健康のために医師にすすめられた散歩をしているときに目にするもの、出会う事象についてつづっていくという構成です。

思索や事象に関しての描写が続いていく中、後半部分で、少しづつ緊張感のようなものが高まっていきます。そして読者は、この一節に遭遇するのです。

「見れば町の街路に充満して、猫の大集団がうようよと歩いているのだ。猫、猫、猫、猫、猫、猫、猫。どこを見ても猫ばかりだ」
(『猫町』より引用)

この光景に戦慄を覚えた次の瞬間、意識は引き戻され、いつもの光景が眼前に広がっているという描写が続きます。

幻想と現実の境目とは、結局のところ何なのだろうということを考えずにはいられなくなってきます。そもそも、何が現実で、何が幻想なのかを、誰が保証できるのでしょうか。思いがここへ至った時、結びの言葉が強く響いてくるのです。

「宇宙の或る何所かで、私がそれを【見た】ということほど、私にとって絶対不惑の事実はない」
(『猫町』より引用)

詩人特有の世界観を味わいながら、繊細な言葉の数々を堪能してみてはいかがでしょう。

尖鋭な感覚で内面世界を描いた『月に吠える』

これまでの定型詩とは決別し、口語自由詩を確立させた、朔太郎の処女詩集。当時の詩壇に衝撃を与え、彼を一躍有名にした詩集であり、現代に至るまで様々な影響を与えている詩集です。

序に、朔太郎の「詩観」ともいうべき一文があります。

「すべてのよい抒情詩には、理屈や言葉で説明することの出来ない一種の美感が伴ふ。これを詩の【にほい】といふ」
(『月に吠える』より引用)

詩の「にほい」とは、どんなものなのでしょう……。

さまざまに思いを巡らしてしまいそうですが、ここはまず、何の先入観もなしに、詩に直接触れてみることをおすすめします。

著者
萩原 朔太郎
出版日
1999-10-25

この詩集の中で、教科書にもよく取り上げられる有名なものが「竹」という作品です。

「かたき地面に竹が生え、
 地上にするどく竹が生え、
 まっしぐらに竹が生え、
 凍れる節節りんりんと、
 青空のもとに竹が生え、
 竹、竹、竹が生え。」
(『竹』より引用)

竹が力強く生えている姿が目に浮かんできます。しかし、それは、ただ単に竹が生えているだけの描写でないことを感じるのではないでしょうか。

まだ夜が明けてからすぐの、早い朝に、ふと目にした竹。ただこれだけの情景の中に、さまざまな感情や自分の存在が重なり、詩となって現れてくるのです。そして、この詩を読んだとき、読み手が受け取る感触というものは、人それぞれ異なっているのだと思います。

詩の「にほい」……。

萩原朔太郎の代表作でもあり、第一詩集でもある『月に吠える』で、この、詩の「にほい」を感じ取ってみてください。

疲労感・倦怠感・憂鬱を詩へと昇華させた『青猫』

1917年~1923年の時期の作品55編を収録した詩集。

後年の回想で、「青猫を書いたころは、私の生活のいちばん陰鬱な梅雨時だった」と述べています。実際、1919年、見合い結婚をした上田稲子との生活の破綻が重なっています。

所詮、人間は経験を通してしか、現実の認識を得ることはできません。芸術作品にとって、作者のプライベートが色濃く反映されるのは、一般的な人よりも鋭敏な感性を持つがゆえに、宿命ともいえるのかもしれません。

詩は、表現の手段が「言葉」という実用的なものであるだけに、よりいっそう私生活の影響が色濃く表出してくるように思えます。

著者
萩原 朔太郎
出版日

この詩集の自序の中で、朔太郎はこう書いています。

「『月に吠える』には、何の涙もなく哀傷もない。だが『青猫』を書いた著者は、始めから疲労した長椅子の上に、絶望的の悲しい身体を投げ出して居る。」
(『青猫』より引用)

確かに、両詩集の間には、明らかな違いがあり、『青猫』が『月に吠える』の単なる延長線上の作品集ではないことが感じ取れます。

「おるがんをお弾きなさい 女のひとよ
 あなたは黒い着物をきて
 おるがんの前に坐りなさい
 あなたの指はおるがんを這うのです
 かるく やさしく しめやかに 雪のふってゐる音のように……。
 おるがんをお弾きなさい 女のひとよ」
(『黒い風琴』より引用)

先に引用した作品『竹』は、純粋に「詩」というものを追求する姿勢を感じるのに対し、この詩では「自分」という存在を詩にかぶせているような、そんな雰囲気の違いが感じ取れるのではないでしょうか。

それにしても、美しささえ感じるほどの詩です。疲労感や倦怠感をつづったものでさえ、そこに美しさを感じさせてしまうところは、詩人のもつ技量の凄みを感じます。

詩人の鋭敏な感性で諸事をえぐったアフォリズム『虚妄の正義』

詩人特有の鋭敏な感性と深い考察が詰まった箴言集。その内容は多岐にわたり、「結婚と女性」「芸術について」「孤独と社交」「著述と天才」「思想と闘争」等、全7章です。

重版に際しての自序の中で印象的な言葉があります。

「かくの如く今日では、芸術も、風俗も、社会も、政治も、一切の者が混沌としている。今や我々の時代に於て、実に「正体を有するもの」は一つも無い。一切が狸雑《わいざつ》と矛盾を尽して、得体のわからぬ妖怪変化が、文化のあらゆる隅々を横行して居る。」
(『虚妄の正義』より引用)

生涯、文学の世界に生きた、萩原朔太郎という稀有な詩人が、その時代から感じ取ったものは何だったのでしょう……。

著者
萩原 朔太郎
出版日

上に引用した一文は、朔太郎の時代のみにあてはまることではなく、どの時代においても、同じようなことが言われ続けているのではないでしょうか。

実際、朔太郎自身も、この著書の「文明は進歩しない」という項で、文化は各時代それぞれに特色があり、他では換えられない独立した窓を持ち、その一点によって、他の時代にまさっている、ということを述べています。

結局のところ、時の流れの中で、さまざまな要素が絡み合い、混沌とし、それを秩序立てようとし、そしてまたそれを打ち壊して新しいものを生み出そうとする……この繰り返しの中で、時代というものは形成されていくのだという、示唆に富んだ内容です。

そして、読み進めていくうちに、読者はあの有名な散文詩『死なない蛸』に遭遇します。

水族館の水槽で、その存在を忘れ去られてしまった蛸が、餌も与えられないまま飢えていて、ついには自分の足を食べ始め、次に内臓を食べ、最終的には自分自身をすべて食べつくしてしまうという散文詩です。

事実のみを抽出して言ってしまうと、「一匹の蛸の死」

しかしそれは、具体的に描かれながらも、抽象的な奥行と広がりを持つ文章で、瞬時に不思議な感覚に囚われ、詩人は、何が言いたかったのだろう……と、何度も何度も読み返してしまう力を持っています。

そして、最後の一文を読んだとき、この詩が脳裏に焼き付けられるのです。

「けれども蛸は死ななかった。彼が消えてしまった後ですらも、尚且つ永遠にそこに生きていた。古ぼけた、空っぽの、忘れられた水族館の槽の中で。永遠に、おそらくは幾世紀の間を通じて、或る物すごい欠乏と不満をもった、人の目に見えない動物が生きて居た。」
(『死なない蛸』より引用)

消えてしまった後も、永遠に生き続けるもの……。

詩人が、生涯を通じて追い求めていたものは、それなのかもしれません。


昼間、子供とよく遊びにくる公園。同じ公園を、夜、仕事帰りの深夜近くに通りかかって眺めたとき、誰しも違う印象を受けるのではないでしょうか。ただ、この印象を言葉にして表現してみようと考えたとき、ほとんどの人が、自分の感じている通りに表すどころか、「劣化」さえしてしまうことに驚かされると思います。そして、次の瞬間には忘れてしまうものです。

萩原朔太郎という詩人は、その類いまれな感性で、我々が日常感じていることを、鋭く言葉で刻み、詩に昇華し続けていたのではないかと思います。裏を返すと、常人であれば、瞬時に忘れてしまえることでも、鋭敏な感性がゆえに囚われてしまい、精神に負荷をかけることになるのだとも言えます。生涯をかけて詩を刻んだ朔太郎の感性に触れ、時には、煩雑な日常を離れ、自分の内面、感情に出会う旅に出てみるのも、良いのではないでしょうか。

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