保坂和志は『この人の閾』で芥川賞を受賞した小説家です。早稲田大学在学中から創作をしていて、『プレーンソング』でデビューしました。芥川賞の他にも、野間文芸賞、平林たい子文学賞など多くの賞を受賞しています。
保坂和志の小説の特徴は、淡々とゆるやかに話が展開していくこと。ストーリー性は薄いものの、読んでいてとても心地のいい文章です。また、小説以外にも『考える練習』や『人生を感じる時間』など、「どうしたらよりよく生きていくことができるか」といったテーマの本も書いていて、物事について深く考えていることがわかります。読んでいるうちに考えもしなかったことに気づかされることが多く、はっとさせられることも多いです。
『季節の記憶』はベテラン作家に贈られる谷崎潤一郎賞に加え、平林たい子賞も受賞した作品です。主人公中野が妻と別れ、息子と二人で鎌倉に引っ越したところからストーリーが始まります。妻と別れ、息子を連れて鎌倉に引っ越すことになった中野。新たな土地で知り合った隣人たちとのゆるやかな日々が綴られています。
- 著者
- 保坂 和志
- 出版日
保坂和志の作品の特徴は、とにかくゆったりとしていることです。特に大きな出来事は起こらず、日々がゆっくり淡々と描かれています。何か特別なことが起こっているわけではなく、ごく普通の日々が書かれているのになぜか引き込まれてしまう、そんな魔力があるのです。
主人公の中野は、コンビニで売られている本を書くことが仕事。作中では、彼とその周りの人々が紡ぐ日常が描かれています。登場人物たちの何気ない会話や行動といったありふれた出来事も、保坂の手にかかればとても魅力的な物語に。そんなところに注目しながら、気楽に読んでみてください。
『プレーンソング』は保坂和志のデビュー作です。
つきあっていた彼女と住むために2LDKの部屋を借りることにした主人公。しかし、一緒に住む前に彼女に振られてしまい、一人にしては広い部屋に住むことに。そこになぜか猫が現れ、それにつられたように人も集まりだし……。1つの部屋に集まった人々のゆったりとした生活が綴られていきます。
- 著者
- 保坂 和志
- 出版日
まず注目すべきは、保坂和志の持ち味である描写の細やかさです。たとえば、主人公がはじめて会った猫に接近しようとする場面を、保坂は次のように描いています。
「それでも子猫はぼくを見つづけているから僕に好意のようなものがあるのだと思って、掃除機を止めてかがみこみながら近寄ろうとしてみたけれど、動いた途端に子猫はすっと首をひっこめて消えてしまった。」
(『プレーンソング』より引用)
一読しただけで、細かいことまで丁寧に描かれていることがわかるかと思います。主人公ははじめ掃除機をかけていたのですが、それを止めて、そしてかがみこみ……。この描写の細かさが、日常の何気ない出来事を魅力的なものにしています。
保坂和志のすごいところは描写の細かさだけではありません。主人公と島田、アキラ、よう子、ゴンタの5人が海でボートに乗り、沖に出ているシーンでは、次のような表現をしています。
「ねえ、海にいると暑くないんだねえ」
「あ、そうね」
「水の上はやっぱり涼しいのかなあ」
「でも涼しくはないよ」」
(『プレーンソング』より引用)
このようになんでもない会話が何ページにかわたって続けられ、その後にくるのが「こんな調子で二日間が過ぎていった。」という一文。ものすごく具体的なことをひたすら書き連ねていたかと思うと、次の瞬間、一気に二日過ぎています。この大胆な時間の緩急のつけかたが、読者を飽きさせない魅力の1つではないでしょうか。
『草の上の朝食』は『プレーンソング』の続編にあたる作品です。前作は冬の終わり頃から夏にかけての話ですが、今作はその後、晩夏から晩秋にかけての話になります。前作と同じように4人(アキラ、よう子、島田、そして主人公のぼく)の共同生活が続いているのですが、そこに少し変化が起きていきます。
- 著者
- 保坂 和志
- 出版日
まず、前作との大きな違いは主人公の行動です。前作ではあまり自分から行動することがなかった「ぼく」でしたが、今作では多少積極的になっていて、恋人のような人物も登場してきます。小説の流れとしては相変わらずゆったりとしていますが、そこに起こる、日常的な小さな小さな変化を過去(前作)と比べてみるととてもおもしろいです。
登場人物の行動には変化がありますが、保坂和志の描写力の高さはもちろん健在。途中まで細かなこともつぶさに書いていたところを、一気に時間の流れを飛ばして進んだり、また丁寧な描写を再開したり……。『プレーンソング』で紹介した海での場面のように、作中の時間の流れを自在に操る保坂和志の技量はここでも必見です。
『考える練習』は考えるとはどういうことか、自分で考えるにはどうしたらいいかなど、「考える」ことについて描かれた本です。インタビューのような形式をとっていて、質問に対して、保坂和志が回答をしていきます。
- 著者
- 保坂 和志
- 出版日
- 2013-04-18
例えば、時事問題に関して、本当は自分自身で考えてみたいけれども知識がなく、どうしても大学教授やメディアに登場してくる論客の言うことを鵜呑みにしてしまうというといった質問に対して、保坂は次のように回答しています。
「でも本来なら、知識が増えれば増えるほど断定しなくなるはずだよね。断
定する人っていうのは、たいして知識を持ってないんだよ。それは子どもを見てれ
ばわかるような話でさ。
うちの甥っ子と姪っ子が小学生のとき、将棋を覚えたんだよ。それで、ルール自
体は間違ってないんだけど(中略)
その甥っ子と姪っ子が、「やっぱり将棋より囲碁のほうが面白いね」って言って
たよ、すごい断定的に。そんなもんだよ。」
(『考える練習』より引用)
社会とどう関わっていくか、文学ははたして役に立つのか、考えるとは何か、といったことから、お金など身近なことまで、本書では保坂和志がさまざまなことに真摯に向き合います。これを読むことによって今まで深く考えてこなかったことにも気づかされる、そんな1冊です。
『人生を感じる時間』は保坂和志が綴る人生論です。二十六編からなっていて、読んでためになることがたくさんあります。何かで悩んでいる時、なにかもやもやする時、そんな時にこの本は手助けになると思います。
- 著者
- 保坂 和志
- 出版日
- 2013-10-02
希望がなかったとしても、それでいい。夢やその後に対する期待を持たなければならない、そんな風潮を真に受ける必要はない。大事なのは今現在ここに自分が存在していること、それを肯定することだと保坂和志は言います。書かれた言葉の一つ一つがどれも心に響くものばかりで、これまで腑に落ちなかったことが、すっと落ちていきます。
少し固く、難しいと思う方もいるかもしれませんが、それほど気負う必要はなく、気楽に読むことができます。
保坂和志の作品は特有の雰囲気を持っていて、一度読むとやみつきになってしまいます。どれもおすすめの1冊です。