2009年に鮎川哲也賞を受賞し、デビューした相沢沙呼。登場人物の心の内をこれでもかと、丁寧に、そしてリアルに描く表現力に引き込まれます。今回は様々な悩みを抱える少年少女のリアルな気持ちに、思わず共感してしまう5作を紹介します!
相沢沙呼は2009年、『午前零時のサンドリヨン』で鮎川哲也賞を受賞してデビューしました。20代半ばという若さながら、選考委員からは老練な文章力だと絶賛されます。
デビュー作は相沢が愛する、マジックや恋愛、青春、太腿などの要素をふんだんに詰め込んであります。それ以後に執筆された作品も、相沢の「好き」がたくさん詰まった作品ばかりです。
相沢は自身でもマジックを趣味としており、デビュー作では最大限にその魅力を活かしています。もちろん他作品でもそれは活かされ、主人公の視線やカメラから、見る・見られることが意識されているのです。
ここでは、相沢作品の魅力が詰まった、等身大の中高生が描かれた作品を紹介します!
相沢沙呼のデビュー作!
男子高校生の主人公、須川が姉に連れられて入ったバー「サンドリヨン」。そこでマジシャンをしている同級生の女の子、酉乃に出会う……。そんなところから物語は始まります。
どこかミステリアスな雰囲気を纏った酉乃が、学校生活でのちょっとした謎を時には鮮やかに、そして時には自分も傷つきながら解決していきます。
- 著者
- 相沢 沙呼
- 出版日
- 2009-10-10
マジックをしているときの酉乃は、とても魅力的です。道具を操る酉乃の指先、桜色の唇、上気した頬。マジックの魅力について語る様子は可愛らしく、そしてどこかミステリアスな雰囲気をもっています。
しかし、教室での酉乃は単独行動を好み、無愛想。彼女がそんな態度をとっている理由とは?読み進めるうちに徐々に酉乃の過去や素顔が明らかになっていきます。そして、「サンドリヨン」とはフランス語で「シンデレラ」のこと。シンデレラが魔法使いの魔法によって12時までは美しく変身できたように、酉乃もマジックが彼女を変身させてくれる魔法なのかもしれません。
もちろん、本書の最大の魅力はマジック。作者の相沢自身がマジックをたしなむことから、マジック道具を操る表現はとても繊細で、まるで目の前でマジックが演じられているかのようです。そして、文章立てにも相沢の遊び心がちりばめられています。ぜひ彼の多彩な表現力を確かめてみてください。
どこにも居場所を見つけられない男子高校生の柴山。そしてなぜか雑居ビルに住んでいるらしい同じ学校の先輩、マツリカ。2人の関係は、まさに女王様と家来。いや、奴隷。柴山は初対面にして「おまえ」呼ばわりをされ、原始人を探すという何とも無謀な捜査に無理やり引きずり込まれます。
- 著者
- 相沢 沙呼
- 出版日
- 2012-03-01
心の中では文句を言いながらも、なぜか逆らえない柴山。そして所々で描かれるマツリカの妖艶な様子は、男子高校生の視点ならでは。特に、相沢の好きな太腿の様子が繰り返し描写されます。また、見たいけれど見てはいけないと葛藤する柴山の様子には、思わず笑ってしまいます。
最後に解かれる謎は、柴山自身に関する謎。最終章では柴山の心の内が次々と明かされ、マツリカは優しく謎を解いていきます。気弱な様子を見せながらも、どことなく影を感じさせる柴山ですが、どんな心の闇を抱えているのでしょうか。
あなたは学校に行きたくないと思ったことがありますか?なんとなく、周りと馴染めないな……と感じたことはありますか?もしそうなら、ぜひこの作品を読んでほしいです。
本書は学校生活に馴染めない女子中学生に焦点を当て、深い絶望と少しの救いと希望を描いた作品です。一文一文は意図的に短く書かれ、登場人物たちが話す言葉もイマドキの言葉が使われています。それによって女子中学生の本音がリアルに伝わります。
- 著者
- 相沢 沙呼
- 出版日
- 2014-03-05
各章の主人公は、いわゆるスクール・カーストの最下位層にいる子たち。皆それぞれ、自分はひなたにいてはいけない存在だということを自分に言い聞かせるようにして生活している様子が痛々しいです。特に最終章の主人公であるサエが泣き叫びながら紡いだ言葉は、私たちの心を揺さぶります。
「わたしだって、学校に行きたい!」「普通に勉強したかったっ!」(共に『雨の降る日は学校に行かない』から引用)
1章だけ、スクール・カースト上位層の子が主人公ですが、上位層にも上位層なりの悩みがあります。スカートの短さが教室での地位を表わす決まりに戸惑い、自分の発言がいじめの引き金になってしまったことを悔やみます。
今、青春真っ盛りで何か悩んでいる人、昔輝かしい青春やそうではない青春を送った人、全ての人に読んでほしい作品です。
中学生にして作家デビューしながらも、その後まったく売れない千谷。書きたいのにうまく書けないジレンマに悩まされ、作家の道を閉ざそうとしていたときに出会ったのが、売れっ子作家で美少女の同級生、小余綾(こゆるぎ)でした。
小説は売れなければいけないと豪語する、拝金主義の千谷。それに対して小余綾は、小説には大きな力が宿っていると考えます。その理由は、小説には「小説の神様」がいるから。
そんな2人はお互いの意見をなかなか受け容れることができませんが、ひょんなことから共同で執筆作業をすることになります。
- 著者
- 相沢 沙呼
- 出版日
- 2016-06-21
共同で小説を執筆することが決まってからは衝突しながらも、2人はだんだんと認め合い成長していきます。
千谷は途中何度も自信を喪失し、本音とは違うことを口にしてしまうのです。自分の書く文章への自己評価は辛辣で、書いては消し、また書いては消しを繰り返す場面はきっと読者も胸が痛むでしょう。小説に力なんてない、と口にしながらも本当はあるんだと思いたい、千谷の苦悩が見えます。
また、強気な小余綾も過去の出版トラブルによって、作家としては致命的なある苦しみを抱えていました。
「どうして小説を書いているのか?」(『小説の神様』より引用)
本書で何回も問いかけられる言葉です。相沢が自身に問いかけているようにも思えます。
さて、千谷と小余綾に「小説の神様」はいたのでしょうか。
これぞ、女の子のための物語ではないでしょうか。本書には、思春期特有の悩みを抱える女の子の等身大の姿が描かれています。登場人物は、高校の写真部に所属する4人の少女。各章で4人の女の子たちが主人公となり、彼女たちのカメラのファインダー越しに見える世界と、心の葛藤が丁寧に、かつ繊細に表現されています。
- 著者
- 相沢 沙呼
- 出版日
- 2012-04-18
わたしって何?両親との確執。いじめ。自分の容姿への自信の無さ。輪の中心にいる人たちへの憧れ。どの思いも、思わず共感してしまうものばかりです。
各章の主人公の心情描写も、本書の魅力を最大限に引き出しています。
「手にしたカメラの中で、勢いよく鏡が跳ね上がるかのような、柔らかくて心地の良い衝撃。」(『ココロ・ファインダ』から引用)
上の文は、ある章の主人公が恋をした瞬間の気持ちを表した箇所です。素敵な表現ではないですか?
本書全体がとてもキラキラしていて眩しくて、でもほんの少しほろ苦い。すべての女の子と、女の子だった人たちに手に取ってほしい作品です。
マジックやカメラを通して鮮やかに解かれる、日常のちょっとした謎。繊細な表現を通してリアルに描かれる、等身大の中高生。読んでいてとても心地よい作品たちです。あなたも、そんな相沢ワールドに足を踏み入れてみませんか?