獅子文六は、昭和初期以降、戦前戦後にわたり活動した作家です。新聞小説と婦人雑誌の王者と称された程に連載作品が多く、特にラブコメディでは彼の魅力が満載です。その中でも文庫として復刊した作品をご紹介します。
1893年横浜に生まれ、1969年東京で没した獅子文六は、学校を中退したり、フランス旅行で演劇を学んでフランス人妻を連れ帰ったりするなど奔放な人物でした。結婚も3度したようで、それだけ好いて好かれる愛に溢れた人物だったのでしょう。
戦前、戦後も経験しているので変わりゆく都会の姿をその瞳に焼きつけていたのだと思います。そうした時代の変化に敏感な獅子文六だからこそ、流行の連載作家として第一線を走っていたのです。
NHK連続テレビ小説の第1作目に、亡き妻へ捧げたと言われる『娘と私』が選ばれたのも有名な話です。
獅子文六はフランス人妻を亡くし、男手ひとつで娘を育てることになるのですが、その経験を基に書かれた作品が彼の人生の転機となった『悦ちゃん』です。
- 著者
- 獅子 文六
- 出版日
- 2015-12-09
『悦ちゃん』は獅子文六を人気作家の道に導いた作品です。
「だって、お金儲けしなければ、困るじゃないの」(『悦ちゃん』より引用)
たった10歳ちょっとの少女が父を見失い、亡くなったママの姿を求めながら発したとても強い、頼もしい言葉。
父親の碌さんは後妻を求めて気品ある勝気な女性に惹かれますが、悦ちゃんは気に入りません。彼女よりも、ひょんな事で出会った素朴な女性にママを重ね合わせます。親子の気持ちは違う方向に向かい、終いには碌さんは娘を残して旅立つ始末。普通の子どもなら泣いて途方にくれる場面ですが、悦ちゃんは違います。
お金がないと生活できません。そこで彼女はたった10歳にして新聞販売をはじめ、驚きの行動力を発揮して父親の居場所を、ママの温もりを探し求めるのです。
悦ちゃんの恐れを知らない生命力が大人を、読者をも奮起させる物語です。
獅子文六は17歳で慶応義塾大学へ入学し、文科に転じます。文科に転じたことで小説家としての才能が着実に磨かれていく……と思いきや、教授に反発。次第に学校から遠ざかり、放蕩・文学・絵画の間を揺れる10年間を過ごします。
その後、彼は亡き父の遺産を使い果たそうと目論みフランスへ。そこでフランス人の妻と、また娘を家族に持ち演劇を学びました。この期間に得た体験がこの『コーヒーと恋愛』の中に存分に発揮されています。
- 著者
- 獅子 文六
- 出版日
- 2013-04-10
コーヒーを淹れるのが上手な庶民派人気女優43歳の坂井モエ子と8歳年下の美男子舞台装置家の夫、新進気鋭の若手女優、コーヒー愛好家など個性溢れる人物が繰り広げるラブコメディです。
モエ子の夫である勉は、肩書きこそ立派ですが実際にはほとんどお給料のない、プライドの高い人物です。生活力は圧倒的にモエ子にあり、それなりに裕福な暮らしを送っていました。モエ子がうだつの上がらない勉と結婚した理由は誰の心にも眠っている恐れからでした。それは孤独感です。
ささやかだけれど幸せな結婚生活に突然危機が訪れます。
「ベンちゃん、隠さずにいってよ、あんた、あたしに、飽きたのね」 「それもある……」(『コーヒーと恋愛』より引用)
年齢差や年収格差、魅力的な若手女優への嫉妬など、現代社会にも通ずるような恋愛の悩みが散りばめられています。ヒロインの心境が変化する時、私達にも人生訓を与えてくれているような気持ちになります。
『七時間半』は品川~大阪間を結ぶ豪華特急を舞台としたドタバタラブコメディです。
こちらの作品の男女は、特急ちどりの食堂車でウェイトレスをするサヨ子とコック助手の通称「助さん」。同じ車両で働く、職場恋愛の物語です。
サヨ子はこのコック助手の彼と共に、父の死によって閉店した大阪にある食堂を再開したいといった思いを込めてプロポーズします。一方で助さんはホテルや一流レストランで腕を磨きたいとの気持ちがあります。サヨ子は決して打算的な思いではなく、彼に好きを連呼する程愛しているのですが……。
「この勤務、終った時に、返事聞かしてね。待っとるわ」(『七時間半』より引用)
プロポーズの返答をするリミットは、品川から大阪まで向かう7時間半なのです。
- 著者
- 獅子 文六
- 出版日
- 2015-05-08
人生の大きな決断であるプロポーズですが、美人で名高い同僚が恋愛模様を引っかきまわします。
もちろんそれだけではありません。なんと特急には首相が乗車しており、挙げ句の果てには同乗客の酔っ払いが首相を狙った爆弾を仕掛けてあるとつぶやくのです。酔っ払いだけにその言葉を信用するものか否か、そしてその噂はたちまち尾ヒレをつけて列車内を不安に陥れるのです。
現代ではSNSが普及しているので、すぐに噂話など世界レベルで拡散されてしまいますが、こちらは昭和の世界。人の口から口へと噂は伝染していきます。その面白おかしさや、恋愛の駆け引きがギュッと7時間半の間に詰まっているのですから、こちらも思わずページをめくる指が早くなってしまいます。
これまでの作風に比べロマンティックな『青春怪談』は舞台背景が近代的です。主人公がバレエを習っていたり、コンクリートの建物が登場したり、新橋や銀座などイメージしやすい場所となっています。戦後作品の中でもとびきりお洒落なので、恋など簡単に生まれそうですが……。
登場する男女は婚約中なのに、どちらも色っぽくありません。恋愛より自分を貫き通す性分同士。合理主義者な慎一は事業に熱中し、婚約者の千春はバレエに没頭していて色恋沙汰どころではないのです。
そんな2人の仲がスキャンダルと怪文書により急激に青春物語が展開していきます。
- 著者
- 獅子 文六
- 出版日
- 2017-01-10
昭和のラブストーリーには幼い頃のいいなずけがいるケースが多く、昭和の時代背景がこちらも垣間見ることができます。時として恋の障害として描かれることが多数な設定ですが、当作品の2人はとても面白い関係性です。
なんと来るべき親の介護から逃れようと、自分達のことはさて置き、お互い独り身となった親達をくっつけようと手を組むのです。
そこへあるスキャンダルと、2人の仲を引き裂こうとする怪文書が出回ります。これが不思議な刺激を友達以上恋人未満な関係に与えて、2人はお互いを意識しだすのです。
とても興味深いのは、慎一が千春に対して彼女は本当に女なのかと疑う場面です。作中にもありますが、千春の習う教室では女の花園であり、同性の距離が比較的近い競技です。あまりにも千春がバレエ仲間に夢中なので、慎一はそもそも女とはなんなのか、男とはなんなのかといった無限ループへ迷宮入り。こちらもいつの時代にも考えられるテーマなので、読者も彼と共に考えさせられる内容となっています。
「私は無産無職の今年29歳になるつまらぬ男であります。謙遜ではなく、才能・勇気・学問
男性の装飾であるべきものを相当欠いています。そして、私は、運命にも人間にもよく服従します。それが私の性格であり、処世の道でもあるのです。
これから長い物語を始めるので名前ぐらいは覚えておいてください」
(『てんやわんや』より一部抜粋』)
- 著者
- 獅子 文六
- 出版日
- 2014-04-09
思わず口元が綻んでしまいます。彼の名前は太丸順吉。この物語の作者であり主人公です。そしてこのお話は彼が体験した1年間のてんやわんやの出来事を綴っているのです。
物語は敗戦直後の日本。日本の運命を握ったダグラス・マッカーサの指揮のもと、自由と民主主義の旗を掲げ歩み出した混乱の時代です。と書くとなんだか暗い・堅い・重いと思われそうですが、作品は現代的なテンポのある軽妙なタッチで描かれていますし、時代を現代に置き換えても十分に共感できる人間模様が描かれています。
主人公太丸順吉の性格は、気が小さく逃げ腰です。ですから彼は、今一番自分にとって安全であり安心できる方法を常に考えます。
そんな順吉にさまざまな予期せぬ出来事が襲い掛かります。そのたびに彼の心はいつも右へ行ったり左へいったり大騒ぎです。でもその性格は何故か読み手の心を和ませホットさせてくれます。愛すべき人間がそこに居ます。
少し疲れた日々の中で、ふと口元を綻ばせてくれるそんな作品です。
「私は娘と亡妻と私との三人で営んだ生活を、書きたいと思った。」
(『娘と私』本文より引用)
1953年から1956年までの3年半に渡り雑誌に掲載された私小説です。フランス人の妻の死後、戦前・戦中・戦後を通し、残された一人娘との波乱万丈な生活のなかで奮闘する獅子文六の生き様が描かれています。
前妻の死去、娘との波乱万丈な生活、娘のための再婚、くわえて戦争と全篇を通して環境はけっして明るくはありませんが、テンポの良い軽妙なタッチで描かれていて読み手を飽きさせません。
獅子文六の中にはつねに一人娘の存在が大きくあります。愛し、心を痛め、ときに憎み、罵り、存在を否定しと、娘に対する心の動きや行動を正直な感情や言葉をもって読者に語りかけてきます。それは現代に生きる私たちと共通する感覚で、自分の人生と重ね合わせ読み進めることが出来る小説です。
- 著者
- 獅子 文六
- 出版日
- 2014-11-10
この私小説は亡くなった2番目の妻にささげられたものです。愛情というものはなく、すべて娘のためという条件で再婚に至ったのですが、妻を亡くして初めて、長い年月のなか、さまざまな困難を一緒に乗り越えてきたかけがえのない存在として振り返っています。
一人の愛おしい人間を守り抜くために奮闘する獅子文六の姿に、朴訥さや誠実さが感じられ、読み終えたとき、文六の人生を一緒に生きたようなさわやかな快い疲れを感じるでしょう。
品川、銀座、上野など目次の駅へ停車しては過去と現在に思いを馳せる獅子文六と同じ車窓から東京を眺めているような不思議な体験ができるエッセイです。
- 著者
- 獅子 文六
- 出版日
- 2006-04-05
なぜ獅子文六はゆっくりと進む路面電車を愛したのでしょう。
彼は、『バナナ』という新聞小説の主人公に路面電車を愛する自分を投影したと語っています。今となっては大都会を路面電車が走る区域は限られた一部で、私達は毎日乗車率を超えたパンパンの満員電車に当たり前のように乗っています。時刻も正確で区域も短い。ゆっくりと車窓から街を眺める時間などなく、せかせかと生き急いでいるような感覚になります。
「車内のムードが、大変ちがう。東京のバスは、ひどく神経的である。運転手も車掌も、お客も、皆、イライラしてる(中略)あのムードの中で、完全なるサービスなぞできるわけがない」(『ちんちん電車』より引用)
当時の文六はこう、東京のバスを語っています。
もし今の東京を獅子文六が車窓から眺めたなら、彼の作品にどのような影響を与えるのだろうと考えると、きっと作風ががらりと違うのだろうと思いを巡らせてしまいます。
文豪というと少し堅苦しいイメージがあると思いますが、こんなにもロマンティックでコメディチックな作品が眠っています。最近になって文庫版で続々と復刊している獅子文六作品は、きっとどの時代の読者にも響くものがあり受け入れられるものなのでしょう。
瞬時に引き込まれるラブコメの世界へ、現実から逃げ込むご褒美タイムの相棒に楽しんでみてはいかがでしょう。