司馬遼太郎は多くの歴史小説がドラマ、映画として映像化され私たち日本人の歴史感覚に影響を与えているといわれています。亡くなった後もその人気の衰えないロングセラーを誇る作家です。魅力あふれる数多くの作品の中から10冊を選びました。
司馬遼太郎(1923年~1996年)は新聞記者を経て小説家となり評論家としても知られています。
彼の小説はただ物語を進行していくだけでなく、取材したことをはさみ込んで自らの感想や所見を述べる独特なものです。話が脱線しすぎるという批判もありますが、歴史小説においては資料を重視した実証性の高いものとして評価されています。しかし想像でもって補ったと思われる部分もその高い表現力から史実であるかのような錯覚に陥ってしまう点は読者として慎重になるべきところです。
昭和の時代を否定的に見るあまり、明治の戦争の時代を肯定的にとらえるような表現は問題視され、批判されている部分でもあります。
司馬遼太郎自身に関することや彼の作品を論評した書籍も多数出版され、死後もなお人気の高い作家です。
織田信長に里を破壊され虐殺された伊賀の忍者たち。豊臣秀吉の世になり戦が絶え、暗躍すべき場を失った忍者たちのそれぞれの生きざまを描いた作品です。
この作品の中に描かれる忍者たちは人を草木にしか思わず、武士のような功名心はなく手柄を立てることに価値を見出しません。闇に跳梁する仕事人の彼らにとっては女に与える愛の言葉すら策略を成功させるための空虚な言葉でしかないのです。
「忍者は梟と同じく人の虚の中に棲み(中略)他の者と群れずただ一人で生きておる」というセリフはこの作品中の忍者たちを象徴しています。
第42回直木賞受賞(1960(昭和35)年)作品です。
- 著者
- 司馬 遼太郎
- 出版日
- 1965-05-04
織田信長の後を受け、天下を安泰へ導いた豊臣秀吉の治世。しかし世が再び乱れることを望むもの、今の秀吉の天下を維持したいものの思惑が錯綜し、伊賀の忍者重蔵(じゅうぞう)のもとに秀吉暗殺の依頼が舞い込みます。伊賀甲賀の人の目に触れない闇の世界での争いが始まるのです。
この作品は冷徹な仕事師としての忍者が、人としての心との間を行き来する葛藤や戸惑いを描いているように思います。仕事をまっとうするためには女を利用し、仲間を斬ることもいとわない。その宿命に殉ずる潔さや、普通の人としていきたいと願いつつも思うようにならない苛立ちが表現されています。
主役の重蔵が仕事をするたびに妨害する甲賀の女小萩(こはぎ)。接触するうちに二人は自分の不可解な心の動きに気が付きます。重蔵を殺す瞬間を想うと欲情を覚えてしまう小萩。忍者という仕事に徹する彼女に哀れのようなものを感じる重蔵。
お互いに掛け合う言葉が策略としての空虚な言葉なのか真実なのかそして、恋なのか。忍者という生き物の奇妙なラブロマンスのように思えてきます。
重蔵のそんな忍者としての危うさを見透かす手下の黒阿弥(くろあみ)、小萩の思いを汲んでくれるお付きの老女。伊賀を裏切り武士として生きることを目指す重蔵の元同僚、五平(ごへい)たちの冷徹さと人間味を行き来する忍者たちの生きざまにすご味のようなものを感じます。
この物語は土佐一国を支配下に置き四国を統一し、果ては天下にうって出たいという野望を持った長曾我部元親(ちょうそかべもとちか)という武将の話です。
織田信長が勢いを増し始めた戦国時代から豊臣秀吉が天下を取る安土桃山時代が舞台になっていますが、その中央の華々しい活躍とは遠く離れた日本の歴史上局地的というに過ぎない場所にいる元親の奮闘にスポットをあてた作品です。
京、大坂で起こる様々な歴史的転変に振り回され、土佐の国主に甘んじるしかない。もどかしさの中で打開の道を探るそんな智略と謀略に長けた日本の片隅の武将の悲哀を感じさせる話です。
- 著者
- 司馬 遼太郎
- 出版日
- 2005-09-02
織田信長がまだ美濃の一勢力に過ぎなかった時から、臣下の中から嫁を貰い関係を結びたいと申し出る先見の明のある元親。彼は蛮人が住むといわれるような土佐を中央並みの国風に作り替えるため、武士たちに礼を学ばせ「外に出ても恥ずかしくない」程度に教育するところから始めました。しかしそのことから言ってもやはり出遅れているとしか言いようがない悲しさがあります。
元親は自らを臆病者といいます。臆病だから考える。臆病だから知恵がわく。敵対勢力とは情報収集と外交でことを収め、戦をするにしても負けないところまで準備周到にしてようやく始める。その着実な戦いぶりで割拠していた土佐をまとめました。
なまじ能力があるだけに四国から打って出るには不利だという自覚があるにもかかわらず諦めきれません。それは恩顧の家臣たちの労に報いるための土地を与えてやらねばならず、勢力を広げねば上に立っている資格がないというのが元親の考えだったからです。
元親と信長を結び付けている細い糸が明智光秀でした。四国を平定するために信長の後ろ盾を得ようとしますが四国に関して信長は光秀を蚊帳の外にしてしまうのです。敵対する阿波に信長はついてしまいます。そして本能寺の変、秀吉の天下が不動のものとなり、元親の土佐は時流の変化にただ流されるに任せるしかありませんでした。
この物語は元親の才智もさることながら、妻の菜々の存在も魅力のひとつです。岐阜から遠く離れた当時鬼国と呼ばれ獣のような人が住むと得体のしれないイメージを持たれていた土佐に、面白そうだという理由で嫁入りに承諾する。菜々はそんな好奇心旺盛な変わり者でした。
元親はこの明るい性格でやや粗忽な菜々を相手に悩みや思いを語りそして考えを整理します。時に菜々に意見を求めるなど、いい夫婦というより面白い夫婦関係といった二人の感じがこの物語に柔らかさを与えているように思います。
英雄になりえる才能を持ちながら中央から遠く離れた四国という条件に野望を持て余すしかなかった男の情熱と諦観が描かれています。
これは兵法というものを突き詰め一つの思想のような高次の域にまで高めることにその人生と情熱、労力を捧げた男、宮本武蔵の物語です。
ここで言う兵法とは太刀や槍、棒などを使っていかに勝つかという武芸です。武蔵はいざ決闘となる前の準備段階から敵に対して分からない部分をなくすために事前に情報収集し対策をたてます。対決を受けるかどうかは相手の力量をどう見積もるかにかかっているのだそうです。つまり武蔵が決闘を受けるといった段階で勝負はついている、ということになるのではないでしょうか。
この物語の宮本武蔵は剣豪というより軍略家で思想家のように描かれています。強い男というよりはずるがしこさに長けたイメージすら持ってしまいます。豊臣秀吉から徳川政権へ移り変わる時代の一人の兵法者の話です。
- 著者
- 司馬遼太郎
- 出版日
- 2011-10-07
巌流島で決闘した佐々木小次郎のことを剣技を突き詰めた技術主義とするのに対し、考えに固執しないこと、勝とうという思いすら捨て去らなければ行動に偏りが出てしまうという観念的なものを突き詰めるのが武蔵の兵法なのだといいます。
武蔵が決闘に遅刻すれば「来るのか、来ないのか」ということに考えが向いてしまい、決闘をするという本来のことから気持ちがそがれてしまうということなのです。
兵法使いはどこか自分を売り込むために自己を喧伝し、人柄に世間との調和性のないものが多かった時代に武蔵が一線を画していたのは、兵法を技術よりも精神の鍛練、道を求める思想のようなもので構築しようとしていたからです。
兵法を哲学的にとらえようとする姿勢が他の自己顕示欲の強いだけの者たちとちがう武蔵のイメージをとらえることができます。
戦国時代には顧みられなかった兵法(武芸)が重宝されるようになった徳川時代だからこそ武蔵は高名な兵法家となりえたのです。英雄的伝説的評価をそぎ落としたずるがしこさすら感じる宮本武蔵の人物像を思い描くことができる作品です。
この物語は幕末の新選組副長、土方歳三(ひじかたとしぞう)の生涯を描いた作品です。新選組は京都の治安を維持するという目的の幕府の末端の一組織でした。幕府に代わって天皇の世の中にしようとする勤王の志士たちを幕府にあだなすものとして斬り、また新選組が襲われる。そんな戦いの日々が京都で繰り広げられていました。
しかし将軍徳川慶喜が政権を朝廷に帰してしまうと事態は一変。今度は賊軍として追われる立場になります。
土方歳三の本領が発揮されるのは京都で白刃を閃かせて戦っていた時よりむしろ錦の御旗をたてた官軍に追われて幕軍が北へ向かうときの戦闘の時でした。この時には歳三は総髪の洋装姿で西洋の指揮官ばりに働くのです。もともとの喧嘩好きの感覚が戦で生き生きとよみがえっていく様子が描かれています。
- 著者
- 司馬 遼太郎
- 出版日
歳三は田舎道場から始まった新選組を武士の集団に作り上げる気でいました。幕府の太平の世に慣れた武士ではなく、その前のもっと荒々しかった武者像を理想としていたのです。朋友の近藤勇を局長にし、二番目に甘んじることによって新選組を自分の理想どおりの組織にしていきます。敵に厳しく新選組隊士に対しても容赦しない鬼の副長になっていくのです。
新選組の規則を乱すものには厳しく冷徹な歳三でしたが下手な俳句をひねったり、沖田総司にからかわれたりとかわいらしい側面も描かれています。また「雪」という女性とは体を通じた大人の関係であるのにもかかわらず歳三の態度はなぜか初心(うぶ)なのです。戦いの合間に描かれるこの二人の関係は読んでいてほほえましく、そしてはかなく思えます。
京都での歳三は何となく厳しく陰鬱なイメージに感じられますが、鳥羽伏見の戦い以降賊軍として転戦していく彼はどことなく吹っ切れていて軽やかに思えるのです。物語の後半のほうが土方歳三の「かっこよさ」を感じることができるのではないでしょうか。
徳川幕府最後の将軍慶喜(よしのぶ)は御三家のひとつ水戸徳川家に生まれます。水戸は天皇を重んじる勤王の家風があり、幕府からは謀反を企んでいるのではないかと煙たがられている家でした。そこから御三卿と呼ばれる将軍の地位を継ぐ資格のある家の一つ一橋家へ慶喜は養子にいきます。
日本はペリーが来航して騒然たる世の中になりました。攘夷論が沸騰する中、将軍の跡継ぎ問題が浮上します。本人の意思とはかかわりなく慶喜を将軍に立てようという政治的動きが彼のまわりをまわり始め、慶喜は他人の思惑の中で将軍の地位を狙うものとしての像が世間に形作られていきます。
慶喜は先の見通しのできる聡明な人です。列強の進出や朝廷工作を盛んにする薩摩や長州。彼にとってもはや徳川幕府の終焉は分かり切ったことでした。将軍職を継ぐにはあまりにもリスクの大きいそんな時代に生きてしまった男の胸中を描いた作品です。
- 著者
- 司馬 遼太郎
- 出版日
- 1997-07-10
慶喜は多種多芸で野心の少ない男でした。将軍になりたいという野望はないにもかかわらず天皇を尊ぶ水戸の家に生まれたことが彼にその地位を呼び寄せました。ペリーの来航以来、外国を打ち払いたい攘夷派は水戸徳川家出身の慶喜に望みをかけました。しかし頭のいい慶喜は外国の軍事力に対抗できる力がこの日本にないことが分かっています。
この物語の中では慶喜はとても孤独です。幕府のものからは将軍になるために何か画策しているのではないかと疑われ、何をやっても悪感情で解釈されてしまうのです。
それでもついには将軍となった慶喜。彼がもっとも恐れたのは後世の歴史において逆賊として語られることでした。しかし薩摩・長州は慶喜に賊軍になってもらわねば官軍となって朝廷を押し立てる名分が立ちません。
大政奉還し、天皇に対して叛意のないことを示すため江戸で恭順の姿勢をとっていましたが、とうとう錦の御旗がたち慶喜は討ち果たすべき朝敵となるのです。
国事に奔走する幕末の志士の物語は数多くありますが、この本は幕府の中心で日本の生き残りを模索した最後の将軍の話です。人より智謀に長けているだけに時流というものに自分が転落させられる様が見えてしまう、そんな不幸な男を見ているような気がしてきます。
この作品は明治時代の陸軍大将乃木希典(のぎまれすけ)が明治天皇崩御のときに妻とともに自殺した殉死を描いています。
乃木という人は幕末から明治新政府になったとき、長州出身ということでその恩恵にあずかり若いうちからとんとん拍子に出世した人でした。その性格はかなり真面目で責任感が強かったらしく軍人として失敗すると自殺をほのめかす行動をおこし、周囲の者をたびたび慌てさせました。
この作品中での乃木は軍人のくせに戦下手で運が悪く、詩人的要素を多分に持つ精神性を重んじる人として描かれています。さらに生真面目すぎて滑稽感を禁じ得ない、そんな感じでしょうか。
- 著者
- 司馬 遼太郎
- 出版日
- 1978-09-25
戦下手の最たるものは日露戦争で旅順(りょじゅん)要塞攻撃の司令官を任されたときです。彼は日清戦争当時の知識と感覚でロシアの作った当時の近代的な要塞に攻めかかろうとします。さらに運の悪いことは同じような考えの参謀が下についたことでした。
成果の上がらない作戦を展開していたずらに兵士と砲弾を費やしたところで彼の戦下手をよく知っている朋友の児玉源太郎に指揮権を移譲し事態は収拾、ロシア軍の要塞が降伏することに持ち込むことができたのです。
しかし司馬遼太郎が作品中でも言っているように彼は軍人としてより詩人としての能力が高かったのです。それは精神性を追求する行者のようなものでした。降伏したロシア将校を丁重に扱うことによって彼は武士道を多分に持った優れた将軍として世界中に認識されます。つまり無意識にいいとこどりをしてしまったということでしょうか。
彼は日常生活でも軍服を着て過ごし、参席しなくてもいい軍事演習にまで参加し、役職の違う宮廷行事に参列する。責任感と生真面目さが度を越しているのです。
明治天皇はそういう乃木の滑稽なほどの生真面目さに好意を持っていました。乃木もそれを感じていたからこそ、軍人としての職能で奉仕するのではなく、個人的感情でもって陛下に仕えるという気持ちがあったのだろうと司馬遼太郎は推測しています。
精神性の求道家の彼は生命の終わりかたにまで美意識をもちました。明治天皇が崩御したとき死を決意しますが、完璧さを求めて邪魔の入らないように何でもないそぶりで殉死を実行します。
ただ解せないのは「妻と一緒に」ということです。乃木は遺書に自分の死後の身の振り方について妻のことを書いているので初めから一緒にとは考えていなかったはずなのです。
日露戦争で二児が戦死し、夫婦二人だけになった乃木家。妻は果たして生き続けたかったのでしょうか。それとも夫の死への美意識につきあってやる覚悟を決めたのでしょうか。司馬遼太郎も読者も、もはや空想するしかないのです。
古代中国秦の始皇帝の時代、征服された各地域の人々の間には憤懣(ふんまん)が募っていました。秦の国民という意識が育成されないまま慣れない秦の制度を押し付けられ、土木工事の徴発や北方の民族と戦うための兵役など性急すぎた政策に酷使される人々の不満は爆発のタイミングを見計らっているようなものでした。
そんななか旅の途上で始皇帝は死ぬのです。二世皇帝の時代になっても人々の徴発はやまず、とうとうその時を迎えます。陳勝(ちんしょう)と呉広(ごこう)が反乱を起こしたのをきっかけに秦の支配態勢が崩壊し、旧国のゆかりの者たちが名乗りを上げて立ちあがる群雄割拠の時代が始まるのです。
- 著者
- 司馬 遼太郎
- 出版日
- 1984-09-27
この物語は中国の古代、戦国時代を終わらせた秦が強力な権力者始皇帝を失って瓦解し、乱世の後に漢帝国が再び中国を統一するまでの話です。群雄割拠の中から勝ち残って周囲を吸収し、最終的に二つの勢力が勝ち残ります。旧楚国の名家出身項羽(こうう)と農家出身の劉邦(りゅうほう)でした。
項羽は連戦連勝の常勝将軍でその強さと項氏という家名にひかれて多くの勢力が項羽軍に身を寄せます。最初は劉邦もその中の一人でした。一方劉邦はその田舎の親父のような人柄に惹かれて人が集まるタイプでした。
項羽はその性格がとても苛烈で敵に対して容赦がなく、部下に対しても好き嫌いがはっきりした人物でした。しかし、いったん好きになると自分の肉体の一部のように相手に感情を注ぎ込むのです。劉邦は自分の無能をよく心得ていて有能な人材の言葉をよく聞きました。というより有能なものたちによって頭目に担ぎ上げられたといったほうがいいのかもしれません。
上に立つものが部下たちを好きか、部下たちが上の者を好きかということでその軍団の色が全く違ったものになっているのです。項羽の軍は強く勢いがあるのにもかかわらず常に緊張状態で悲愴さがあるように思います。劉邦の軍は皆がこの好きな親父さんを勝ち上がらせようとしている様子がのどかな雰囲気となって部下と劉邦の関係がなんとなくコミカルで面白いのです。
残酷で厳しい項羽に刃向うとは考えられない軍事も戦略も知らない劉邦ですが結局最後に項羽と対峙することになります。攻め立てる項羽、弱音をはく劉邦。二人や二人をとりまく人々が対照的で勝敗だけでなくその人間関係にも興味がひきつけられる作品です。
古代日本の奈良・平安時代は遣唐使を派遣し唐からさまざまな知識を吸収して国づくりしている最中でした。空海(くうかい)はそんな時代に四国の讃岐に生まれます。幼い時から天才といわれ、その地域をしょって立つような期待もあった彼でしたが、その興味は讃岐の田舎にとどまらず日本を飛び越えて宇宙的普遍的真理というものに向けられます。
生きるという現世を肯定的に受け止めることの答えを求めようとしても既存の奈良仏教では答えが得られないと思った空海は肉体や生命を肯定する密教というものに強い関心を抱きます。そして唐へ渡ってただ学問するだけでなく、密教の伝法を持ち帰り自分が新たな教義を作り出そうとするのです。
- 著者
- 司馬 遼太郎
- 出版日
- 1994-03-10
この作品中では空海は同時に遣唐使で唐へ渡った最澄(さいちょう)をとても意識しています。唐へ渡る際にも私費で滞在費を工面した空海に対して最澄は国からの命令で渡航することもあって国費で唐にわたることができました。さらに最澄も密教を学んだことを知るのです。最澄が日本での密教の正統派になってしまう、という焦りが彼を襲います。
日本に帰ると案の定最澄の密教がもてはやされていましたが、空海にとって幸運だったのは最澄が古い奈良の仏教を攻撃して既存の仏教界の心証を悪くしていたことです。空海は政略的に動き自分の密教が唐での正統であることを訴えるのです。
この話の中の最澄に対する空海の感情は嫌悪に満ちています。一方最澄のほうは密教を一部分しか持ち帰っていないのにもかかわらず周囲の評判になってしまったことに心苦しさもあり、空海に慇懃に教えを乞います。しかし机上で学んで体得できるものではないと退けられるのです。意地悪というより、密教というものに対する認識の違いが最澄に対しての空海の苛立ちとして描かれています。
まるでたたき上げの人間が、学歴もあり家のバックアップもある人に対して同じ土俵にいることにいら立ち、不満や軽蔑の感情を持つのと同じような気がするのです。
この作品中の空海はとてもエネルギッシュで野心家で、信仰の対象の「お大師様」ではない、生な肉体を持つ空海を思い描くことができます。
17世紀初め日本では徳川幕府の世になったばかりの頃、大陸では明王朝が滅びようとしていたときの話です。九州の平戸松浦家の領地に異国の女が流れ着きました。はるか朝鮮半島より向こうの韃靼(だったん)というところの姫だというのです。
騒乱の気配のある明国。貿易で成り立つ松浦家は明が滅ぶのか、そして新興の国が建つのであれば商いの相手となりうるのか知る必要がありました。姫を送り届けることを口実に探索の主命を受けたのは桂庄助。姫の名はアビア、長く漢民族から非文明の民族と卑しめられてきた女真族の貴族でした。
この本は中国最後の王朝となる清王朝の始まりの物語です。
- 著者
- 司馬 遼太郎
- 出版日
アビアをともない「信」を重んじる明国の船乗りたちに助けられながら遼東の地に赴いた庄助は「日本国の使者」という名目を与えられて女真の中に居場所を得ます。そこはヌルハチがモンゴルを従え、ホンタイジが国の体裁を整え「清」という国号を称する新興国がうまれつつある現場だったのです。
主命に忠実という日本武士の庄助。好きか嫌いかを明確にする女真の人々は奇異に見ながらも庄助に好意を持ち何くれと手助けをしてくれ、貴族で武将のバートラという親友も得ます。
庄助に寄り添うアビア。男として彼女に接するのか、貴人として接するのかも主導権はアビアにあります。彼の人生の前途を示すのは彼女でした。アビアの分だけ女真をひいき目に見ているという指摘は庄助のかわいらしさを表しているようでほほえましいです。
そんな生活の中、日本が国を閉ざしたと知った庄助。国外から帰ることも許されない禁令に愕然とします。貿易の活路を開くという主命は意味をなさず、帰ることもできない。帰りたいのか女真になりたいのかそして祖国からはじきだされた自分は何者なのか。
内部から瓦解していく明国と新興の国の若々しさの対照的なさまが数奇な人生を送った日本人の視線で語られます。
この本は「人間がうまれて死んでゆくということの情趣のようなものをそこはかとなく書きつらねている」と作品中に書かれている随筆です。この作品の冒頭は正岡忠三郎という人物の死から始まります。俳句で有名な正岡子規の妹の養子です。
忠三郎は自らが子規ゆかりの者とは周りに語りませんでした。常に寡黙で物事に束縛されない人という印象があったといいます。元共産党員の西沢隆二(タカジ)や夭折の詩人富永太郎が彼を心のよりどころとしていたのではないかと思われる記述が忠三郎という人の人間性を偲ばせます。
- 著者
- 司馬 遼太郎
- 出版日
- 1995-02-18
強烈な性格を持ち自他に厳しい養母のリツ、優秀な兄たちと自分を常に比べていた実母のひさ。そんな二人から遠く距離を置いてきた忠三郎。本当は酒が苦手であるのにもかかわらず酒の席には必ずいたそうです。自分のようなつまらない人間は酒でもないとみんな付き合ってはくれないだろうという趣旨の彼の言葉には心底に秘めた何事かを感じてしまいます。
戦争中思想犯として投獄されていた共産主義者タカジの、姓ではなく下の名前を呼ぶことによって年齢や地位というものから個人を解放するという独自の思想なども面白いのですが、この作品の底の部分を担っているのは彼らの傍らに寄り添ってきた女性たちではないでしょうか。
忠三郎のことを語る妻のあや子や政治活動のため姿を消してしまうタカジの妻摩耶子のこと。特にあや子の気丈で自然体の態度が忠三郎やタカジの生な姿を引き出しているようで司馬遼太郎がこの作品を書く上での幹になっているように感じます。
正岡子規への献身的な介護をした妹リツのそれ以外の人生について著者が取材し、調査し人物像が肉付けされていくさまも興味深いです。
ふだん見せる顔や肩書き、世間での評価では知りえない何かを人は人生の中に持っている。取材や人間関係から知りえた人々の素顔を筆者がかきつらね、私たちに語ってくれます。
司馬遼太郎の作品おすすめ10選いかがでしたでしょうか。彼の描く登場人物は歴史上有名な人物も英雄的伝説的エピソードをこそげ落とし、生な人間としての姿をむき身にして読者に提示してきます。それは英雄と呼ばれる人々も我々と同じ感情をもつ何ら特別な選ばれし人間ではないということを教えてくれるように思えます。