激動の時代に病気と闘いながら文学を学び、史実にもとづいたノンフィクション作品を次々と発表した吉村昭。戦争や自然災害を題材にした記録小説は、現代を生きる私達に歴史から学ぶべき教訓を示してくれています。目を逸らさずに向き合いたい6作品をご紹介。
吉村昭は1927年、東京都日暮里生まれの小説家です。病に冒され高校を中退・学習院大学を除籍となるなど数々の挫折を経験するも諦めることなく執筆活動に熱中。戦中・戦後を強く生きぬき79歳で亡くなるまでに多くの作品を残しました。
吉村昭の執筆した作品のジャンルは、第2回太宰治賞を受賞した『星への旅』などの純文学、『ふぉん・しいほるとの娘』『桜田門外ノ変』など江戸時代~幕末にかけての歴史的事件や人物を描いた歴史小説、太平洋戦争で使用された超巨大戦艦「武蔵」を題材にした『戦艦武蔵』をはじめとする戦史や『関東大震災』『羆嵐』など明治~昭和にかけて起こった実際の事件や自然災害を描いた記録小説など、多岐に渡ります。
ベストセラーにもなった『戦艦武蔵』以降、彼は多数のノンフィクション作品を発表しましたが、執筆にあたりあくまで史実にこだわりました。彼の作品は題材とした事件や人物、災害についての膨大な資料や証言を整理してつなぎ合わせることで、実際に起こったできごとをできるかぎり正しく後の世代に伝えるとともに、当時に生きた人々の心情や生き様をリアルに感じさせてくれます。まさに日本を代表する、記録文学の立役者であると言えるでしょう。
今回は若い世代にこそ読んでほしい、吉村昭の代表作5作品をご紹介します。
本書は1923年9月1日、午前11時58分に相模湾を震源として起こり、首都圏に甚大な被害をもたらした関東大震災にまつわる事柄を、時代背景・当時の社会問題を含めて詳細に記録した小説です。綿密な調査と被災者の手記・インタビューなどから構成されており、写実的で克明な描写は、読者の胸に迫ります。
吉村昭の両親は東京で被災しており、彼は幼少より震災時の体験を聞かされて育ちました。建物の崩壊や火災等、実際の被害の恐ろしさは勿論ですが、吉村は異常な状況下で人々が心を忘れ混乱することにとりわけ恐怖し、本書の執筆に至ったと明かしています。
- 著者
- 吉村 昭
- 出版日
今では当たり前になっている「避難時に家財を運び出さないこと」も当時は浸透しておらず、大八車で運び出した家財道具が火災を広げ、尊い命が奪われたこと。震災発生後、流言(デマ)が広がり、罪のない多数の朝鮮人を襲った殺傷事件が起こったこと。この本を読んで当時のリアルな状況に触れ、その悲惨さに戦慄しました。
この震災から時が経ち、日本はいくつもの震災を経験しました。避けられない自然災害。それは私達が防災について考える機会となり、大切な命を守るために様々な対策がとられるようになりましたね。建物の耐震化が進み、各家庭が非常時の食料や生活用品を搭載した非常持ち出し袋の作成を行うようになり、地震予知技術の進歩から、地震が起こる前にスマートフォンに緊急地震速報が届くようになりました。また、今では震災時に日本中が協力し、スムーズなボランティアの派遣や救援物資の手配なども行えるようになってきています。
しかしその前段階において、この本にまとめられているような事実が存在することを、忘れてはなりません。私達がまたいつの日か直面するであろう大震災を前に大切な命を守り、デマや差別にだれも傷つくことなく最小の被害で乗り越え強く生きていくために知るべき多くのことが示された、非常に価値のある1冊です。
『高熱隧道』はそのタイトル通り、富山県黒部渓谷に黒部第三発電所を建設するにあたって、掘れば熱湯の吹き出す灼熱の山々に資材運搬用のトンネルを貫通させるという難工事に尽力した男たちの姿を描いた記録小説です。
着工は1936年8月。当時の日本は、国家総動員法が制定され、戦争へと邁進しようとする激動の時代。軍事工業力の強化が必要とされ、プロジェクトは動き出します。
工事は序盤から難航。重い資材を運ぶ負荷(ボッカ)が切り立った渓谷から転落する事故が相次ぎ、不穏な空気が立ち込める中、工事は強行。摂氏160度を超える高熱の岩盤でトンネル内は蒸し風呂状態になり、高い日当で雇われた人夫たちを苦しめるばかりか、自然発火したダイナマイトの暴発事故や猛烈な泡雪崩に見舞われるなど大自然の驚異が幾度も現場で働く人々に襲い掛かります。
- 著者
- 吉村 昭
- 出版日
- 1975-07-29
トンネル工事を請け負う佐川組の幹部である藤平健吾は、何度も間近で人の死を見、最初は強い恐怖を感じていますが、工事現場で働く先人達と同じく、次第に動揺することのなくなっていく自分に気づきます。
また彼の上司である根津太兵衛は、過去に仲間の死を前に放心する藤平に対して、こう言い放っています。
「おれたちは、葬儀屋みてえなもんだ。仏が出たからといって一々泣いていたら仕事にはならねえんだ。おれたちトンネル屋は、トンネルをうまく掘ることさえ考えていりゃいいんだ。それできないようなら今すぐにでも会社をやめろ」(『高熱隧道』より引用)
極限状態に立たされたことのある人間にしか言い得ないであろう、非常に印象的な台詞です。また藤平や根津達佐川組の幹部のほか、トンネルで働く人夫や技師達も、命の危機に晒されようと決して仕事を下りようとしません。
「なぜあいつらは、こんな危険な仕事から逃げ出そうとしないんでしょう。」(『高熱隧道』より引用)
読者はその答えを、克明な描写のつづく行間から、読み取ることとなるでしょう。
『漂流』は1975年にサンケイ新聞で連載され、翌年単行本として刊行された長編小説であり、1981年には同名で映画化。凄まじいサバイバル生活に起きた奇跡をその筆力で臨場感たっぷりに描いた、ノンフィクション作家吉村昭の代表作とも言える傑作です。
時は江戸時代。舞台は、アホウドリの生息地として有名な伊豆諸島の鳥島。土佐を出港した長平ら若者4人の乗った船が荒天に遭って難破し、鳥島へ漂着するところから、物語がはじまります。着の身着のまま、飲み水さえなく、船も通らない。その後12年間に及んだ絶望の無人島生活の中で、主人公・長平はどのようにして希望を持ち続け、生還を果たすことができたのでしょうか。
- 著者
- 吉村 昭
- 出版日
- 1980-11-27
仲間が死に、ひとりきりになった長平は念仏を唱え、孤独に耐える日々を生きます。長平はひとりでも様々な工夫を凝らしてどうにか生活を営みますが、夜毎見る夢には何度も死んだ仲間である源右衛門や音吉、甚兵衛や故郷にいるお絹という娘が登場し、長平は夢の中で彼らと会います。しかし目を覚ました長平を待っているのは、途方のない孤独だけ。その描写は読んでいて辛くなるほどですが、読者に他者の有り難みを痛いほどに意識させます。
その後しばらくして鳥島に新たな漂流者が流れ着き、長平は彼らに生活の知恵を教えるなどし、共に暮らしはじめます。
極限状態の人々による様々なドラマが描かれ、ページを捲る手が止まらなくなるほどの面白さです。彼らが島を脱出する決意を固めて作戦を立て、実行するシーンでは彼らの生命力を怖いほど感じ、これが実話であり彼が生還した歴史的事実を知っていてもなお、手に汗握る冒険譚に目が離せなくなってしまうことでしょう。
長平が無人島で過ごした12年間という歳月を詳細に描いた作品のためかなりの文章量がありますが、吉村昭の筆力により実際に見てきたかのような臨場感とリアリティで描かれたこの作品は夢中になって読み進めてしまうこと必至の1冊。生きる力を貰えます。ぜひ読んでみてくださいね!
『三陸海岸大津波』は吉村昭の専門分野のひとつである自然災害を詳細に記録したルポルタージュであり、1970年に初版として刊行された『海の壁 三陸沿岸大津波』を1984年の文庫化の際に現在のタイトルに改題。また2011年3月11日に発生した東日本大震災の後、津波を扱った記録文学として注文が急増し、約5万部が増刷されたことで再び話題となりました。増刷分の印税は著者の妻であり小説家の津村節子によって震災復興のための寄付金として納められたそうです。
本作は1896年、1933年、そして1960年のチリ地震の際に青森・岩手・宮城の3県にわたる三陸海岸にもたらされた大津波を、当時の資料や被災者の手記を掘り起こし、記録文学として構成し直した作品となっています。
- 著者
- 吉村 昭
- 出版日
- 2004-03-12
そこにはすさまじい津波の記憶を記録した生々しい体験談が多数収録されており、中でも当時子供だった被災者が書いた作文にはそのリアリティに胸を打たれ、やるせない気持ちにさせられます。
「つなみだ、つなみだ」
と、さけぶ声がきこえてきました。
私は、きくさんと一しょにはせておやまへ上りますと、すぐ波が山の下まで来ました。
だんだんさむい夜があけてあたりがあかるくなりましたので、下を見下ろしますと死んだ人が居りました。
私は、私のおとうさんもたしかに死んだだろうと思いますと、なみだが出てまいりました。
(『三陸海岸大津波 』より引用)
この本を出版しなければかき消されてしまったであろう被災者の「声」の数々。読了すれば、それらを丁寧に集めて世に出したことの意味がわかるような気がします。吉村昭の心に触れられる1冊です。
本作は1915年に北海道苫前郡苫前村三毛別六線沢で実際に起こったエゾヒグマのによる史上最悪の獣害事件『三毛別羆事件』をモデルにしたノンフィクション小説であり、後にドラマ・舞台化も果たされた吉村昭の代表作のひとつです。
雪に覆われた北海道の開拓村。冬眠し損ねた「穴持たず」の巨大なヒグマが開拓民として移り住んだ人々を次々に襲い、村中が大パニックに陥ります。厳しい寒さと闇の中で姿を見せないヒグマの気配を感じ怯える人々の様子と、ヒグマが人間を食らう凄惨なシーンの克明な描写は読者を恐怖させ、ページを捲る手が震えるほど。そこにアイヌの羆猟師・銀四郎が現れ、彼とヒグマとの壮絶なバトルが展開していきます。
- 著者
- 吉村 昭
- 出版日
- 1982-11-29
これは本当に起こった、実際の事件なのだろうか――読者はあまりの惨さに絶句しながらも、そう疑いたくなるでしょう。それほど迫力のある、とにかく凄い1冊です。この作品は吉村昭の専門とするところの、資料をさらい史実にもとづいて時系列順に起こったことを淡々と描写していく手法をとられたノンフィクションのドキュメンタリーですが、その作風が返って読者の恐怖を煽るよう。その描写力によって鮮血で赤く染まる雪の地面やヒグマが人骨を齧る音がまざまざと想像できてしまうからです。
終盤、絶望的な状況で腕が良いが気性の荒い猟師である銀四郎が現れ、たったひとりでヒグマと対峙します。そのシーンにおいても吉村昭の持ち味はそのまま淡々と描かれているのですが、そこで描き出される銀四郎の姿からは、ある種の厳しさを感じます。人間が自然の脅威に負けず、助け合って生きていくということは、一体どういうことなのか。彼は作中で、その答えを示しているように思います。
明治14年4月下旬、東京の小菅にある集治監から赤い服を着せられた40名の囚人が船に乗せられ北海道に送られます。2年前に設立されたばかりの東京集治監はすでに定員を大幅に超え監視体制が行き渡らなくなったため、政府は新たな集治監を北海道に建設することにしたのです。
未開の地に辿り着いた囚人たちは、そこに自分たちが収容される集治監を建設しながら自らの食料を得るための農地も開墾することになります。
見知らぬ土地で毎日課せられる厳しい重労働と食料不足のため囚人たちは日増しに憔悴し、やがて極寒の冬を迎えると病気で倒れる者や凍傷で耳や手足を失う者も出てきます。その後各地の集治監からさらに囚人たちが送りこまれ、囚人の数は当初の40名から数百名に膨れ上がりますが、過酷な労働と獄舎の環境の劣悪さから毎年おびただしい数の死者を出すのでした。
- 著者
- 吉村 昭
- 出版日
- 2012-04-13
北海道で発見された炭鉱や硫黄山の採掘、日露戦争のための土地開発と道路整備など、それら全てを担うのは囚人たちでした。コストがかからないという理由で使い捨てのように酷使され続ける囚人たちの中には、厳しい現状から逃れるため命がけの脱獄を企てる者も出始めます。脱獄者を出せば懲罰を与えられる看守たちと囚人たちとの間には常時緊張が張り詰め、互いへの激しい憎悪が生れるのでした。
本作は特定の主人公を置かず、感情表現を最小限にそぎ落とし出来事を淡々と記述することにより、過酷な状況が報道記事を読むように現実的に伝わってきます。
当時の明治が野蛮さを残した混沌とした時代であったことを知るとともに、北海道が現在のような美しい観光地となるために歩んだ道程には暗く残酷な事実があったことを教えてくれる作品です。
いかがでしたでしょうか。過去の事件や災害、そして当時の人の姿を知ることは、この国で未来を生きていく私達に大切なことを教えてくれるかもしれません。ぜひ吉村昭の記録文学を読んで、歴史を知ってください。その読書体験はいつかあなたが窮地に立たされた時、役に立つ何かをもたらしてくれることになるでしょう。