小説から詩、エッセイ、書評、英語やギリシャ語の翻訳をするなど、多岐にわたり執筆活動をしている池澤夏樹。1988年芥川賞を受賞した『スティル・ライフ』をはじめ、多数の受賞歴を持つ著作の中で代表作を5つ、ランキング形式でご紹介します。
池澤夏樹は1945年に北海道帯広市で、詩人の母・原條あき子と、小説家、詩人、フランス文学者である父・福永武彦との間に生まれます。5年後、両親が離婚し、その翌年母に連れられ上京。その後、母の再婚に伴い池澤姓を名乗ることになるのです。
1964年に埼玉大学理工学部に入学。結果的に中退するものの、そこで専攻した物理学は作品に影響を与えています。翻訳をきっかけに各国各地へ旅をした経験とともに、作品の特徴を形作っていき、その多岐にわたる活動は国にも功績を認められ、2012年に日本芸術院の会員に就任しています。
『百年の愚行』は2002年に刊行された写真集です。本作では、100枚もの写真が掲載されており、それぞれが10つのジャンルに分類されています。そこに、5人の著名人がエッセイを書き下ろし、コラムは全部で10本。寄稿した5人は世界を代表する知識人で、その中に池澤夏樹も加わっています。
- 著者
- ["池澤 夏樹", "アッバス・キアロスタミ", "フリーマン・ダイソン", "鄭 義", "クロード・レヴィ=ストロース", "小崎 哲哉", "Think the Earth Project"]
- 出版日
- 2002-04-22
20世紀に犯した人類の「愚行」とは……。
戦争、テロ、核兵器、差別、迫害、大量生産・大量消費による環境汚染、天然資源の争奪、公害、貧富の差の拡大など、ざっと書き出してみても、さまざまなことが思い浮かんでくるのではないでしょうか。これらの問題は、人類特有の欲望に根差し、科学技術の急速な発展とともに、驚異的なスピードで深刻化していきます。
『百年の愚行』では、厳選された写真を、簡潔なキャプションを添えて、読者に上記の事実を提示してくるのですが、その中には目を覆いたくなるようなものも含まれています。淡々と100枚もの写真を提示する、その狙いは何なのでしょう。
編集側の主張をできる限り入れず、写真で語っていくことに大きなポイントがあります。一方的に考えを限定してしまうのではなく、読者一人一人が、それぞれ考え、感じてほしいという意図を込めているのでしょう。
人間は愚行をおこなう反面、その愚かさに気付き、反省をもとに、それを改めていこうとするのも事実です。本書は「愚行」を記録に留めることにより、一人一人がその愚かさに気付き、よりよき思考と行動を喚起するきっかけになればとの思いが込められているのではないでしょうか。
池澤夏樹の寄稿は、理系的な論理性と詩人の感性を織り交ぜて、特有な味を発揮しています。また、構造主義を確立した文化人類学者であるクロード・レヴィ=ストロースも寄稿しており、その示唆に富んだ文章も必読です。
池澤夏樹が39歳の時に書いた処女小説の『夏の朝の成層圏』です。
日本人カメラマンが、マグロ漁船で取材中に海へ投げ出され、無人島へ漂着するところから物語が始まり、一人きりでサバイバルをしながら、「今」を生き抜くことを通して感じること。その状況下で、ふと過去の都会人としての自分を振り返った時に思うこと。最初は、孤独に生き抜く中で浮かんでくる、このような思考が語られます。
その後、人が居るのではないかという可能性を頼りに、近くの島へ渡り、廃屋を見つけて暮らし始めます。そこに一人の人物がやってきて、その人物と対話をし、一緒に過ごす中で、もうすでに野生で生きることはできないと悟り、島を出ようと決心しますが、この生活を文字にして留めておきたいという気持ちが働き、彼と別れて、文章を書き始めるのです。
- 著者
- 池澤 夏樹
- 出版日
彼は、野生で生きることと、都市に生きることの対比を、素晴らしい文章で示してくれます。
「この島には彼以外には人間は一人もおらず、ここにいるかぎり彼が今までにしてきたこと、身につけた技術、知人や友人の網の目、高度に分業化された都市生活の規則などはすべて無価値なのだ。自分の生活がそのような制度とからみあって存在していたことを彼はあらためて知った。」(『夏の朝の成層圏』から引用)
確かに、都市での生活というのは、あまりに断片化されてしまい、生きているということを実感しにくくなってしまっているのではないでしょうか。生きることの断片化は、悩む余地が無数に現れる要因となるものです。
思い悩み、不安に駆られることが原因となって、ほとんどの病が引き起こされるといっても過言ではありません。大袈裟かもしれませんが、人間とはそういうものなのでしょう。それは、他の生物たちがするように、自然の中で、ただ純粋に生きるということ自体が、もはや難しくなってしまっているからなのではないでしょうか。
そして、そのことを考えるとき、次の文章は心の中にとどまって、大きな存在感を持つようになります。
「一所懸命に自分を生かしておくべく苦心を続けた。あれほどなすべきことが目前にたくさんあって、その時その時の必要に追われて動きまわっていなくてはならない状態、迷うとか立ち止るとかする隙もないほど行為によって一面に埋めつくされた時間というのは、幸福への道の一本なのではないだろうか。」(『夏の朝の成層圏』より引用)
生きるということを考えるとき、あまりに論理的になりすぎると重く、抽象的過ぎても結局何なのかがよくわからなくなります。池澤夏樹の文章は、そのちょうどいいところで着地し、読者の考える余地を絶妙に残しているといえるでしょう。
キップをなくしたら改札から出られないんだよ……。小学生の主人公イタルが、キップをなくして「駅の子」になるところから物語は始まり、JR東京駅の片隅に、イタルのようなキップをなくした「駅の子」たちが、こっそりと住んでいるという不思議な設定で、話は進行していきます。
ここだけ読んでしまうと、なんだか怖い話のように思えるのですが、実はそうではなく、そういう設定の中で、子供たちが自分たちの役目を果たしながら、自立していく姿を描く、冒険ファンタジーのような内容です。
- 著者
- 池澤 夏樹
- 出版日
- 2009-06-25
「駅の子」たちの大切な仕事は、通学する子供たちを守ることです。この仕事を通して、子供たちは人として成長していきます。普段、学校へ通っている立場の子供たちは「守られる存在」。親や先生たちは、無償で手を差し伸べてくれるので、子供たちは受け身の存在といえるでしょう。「駅の子」たちは、大切な仕事に取り組み、行動しながら、積極的に「相手を思いやる心」を実感として学びとっていきます。
そして、この話のもう一つのテーマが「死」です。
死ぬということは、どういうことなのか。これをきちんと子供たちに説明できる大人はいないのではないでしょうか。身体を構成している細胞が活動を停止し……というような回答をしたところで、そんな生物学的な答えがほしいわけでは決してありません。
しかし、大人も戸惑ってしまうのは、当然といえば当然なのです。なぜならこれは、説明する種類の問いではなく、生きていく中で、自分なりに体得していくしかない感覚といえるからでしょう。池澤夏樹は、もう一人の主人公ともいうべきミンちゃんを登場させ、この問いに対しての回答を示していきます。
イタルの「なんでご飯食べないの?」という問いに対して、ミンちゃんは「私、死んでるの」と答えます。この、サラッと交わされる会話の中に、生と死の関係が絶妙に表現されています。「死」は遠い存在ではなく、隣り合わせで常にあるものということを、懸命にミンちゃんのために行動することを通して、イタルは実感として知り、受け入れていくのです。
この『キップをなくして』という物語は、生きること、死ぬこととはどういうことかを考えさせられる文章がたくさん詰まっているのですが、最初から大人の穿った見方で読もうとするのではなく、単純に子供が冒険を楽しむような気持ちで、肩ひじ張らずに読むことをおすすめします。
今も精霊が生きていると信じられている珊瑚礁の島。そこで暮らす14歳のティオが、個性的な人々と出会い、様々なことを経験する中で、人間として成長していく姿を描き出した作品です。
代表的な「星が透けて見える大きな身体」をはじめ、10の短編で構成されています。池澤夏樹が得意とする、理知的な要素を感性で包みこんだ文章によって、読者を引き込んでいく魅力にあふれているのです。
- 著者
- 池澤 夏樹
- 出版日
- 1996-08-06
人間の愛情や憎しみ、喜びや苦しみという感情。生きること、死ぬこととは。これらを語るとき、論理的に語れば語るほど、相手に伝わらないという経験をしたことはないでしょうか。
池澤夏樹は、論理的思考と感性的思考を合わせ持ち、それがゆえに、自分の思いを相手に伝えるとき、どのような手法が効果的なのかを何度も考えてきたのではないでしょうか。特に、その伝える相手が子どもだった時、伝えることの難しさに直面し悩んでいる姿が容易に想像できます。
この『南の島のティオ』という作品は、文章を通して伝えるにはどうすればよいのかを、池澤夏樹が実践したひとつの形なのではないかと感じます。児童文学という位置づけをされながらも、子どもがこの本を手に取った時、やはり難しいと感じるでしょう。ただ、小学校高学年以上になり、感受性も豊かになってくる年ごろには、文面の意味が分からなくても、心の奥底に響く何かを得る瞬間が多くあるのではないかと思わせる作品です。
教科書にも掲載されたことのある、「星が透けて見える大きな身体」という短編は、原因不明の病気にかかり入院している「あこちゃん」を救うために、ティオとヨランダが、天の使いの「星が透けて見える大きな身体」に、直談判をしに行くというものです。論理で相手を納得させなければならないと聞かされていたにも関わらず、ティオは腹を立ててしまい、感情的になってしまいます。もうだめかと思った瞬間、後ろから進み出たヨランダが「あこちゃんを返してください」と大きな声で言うと、その透明で大きな木のような怪物は消えてしまうという内容です。
論理や感情ではどうにもならないと悟った時、心の底から思いを伝えるしかないことを知る……これは「祈り」に通じる、大切な心構えともいうべきものを表現しているような気がします。
おそらく、『南の島のティオ』に収録された一つ一つの短編から受け取るものは、一人一人違うものでしょう。それは、歩んできた人生、経験してきたことによって、文章に触れた時に生まれてくるものが違うからなのです。
この作品は、そういう要素がたくさん詰まった、優れた短編集になっています。
第1位は、芥川賞を受賞した『スティル・ライフ』です。
この作品を手にして、読み進めていくうちに感じることは、書かれていることを理解しすぎようとすると、雲の上をふわふわと歩いているような感覚に囚われるということです。
解説や感想を述べようとすると、それをしてしまうことで、池澤夏樹の意図を壊してしまうのではないかということを強く感じます。
ふわっとして、淡々と話が進み、言ってみれば「何も起こらない」小説。作者があえてこの形をとったのには、奥深い意図があってのことなのでしょう。
- 著者
- 池澤 夏樹
- 出版日
何かを伝えようとして、言葉という具体的な形にした瞬間、伝えようとしていたことが半分も伝わらないものになってしまっていた……。そんな経験をしたことはないでしょうか。
これは、感性が豊かなものほど強く感じるジレンマではないかとも思います。解説や感想を述べないほうがいい場合があるのは、これが理由です。
文章に触れた人それぞれが、人生や経験を通して得てきたものを重ね合わせ、様々な受け止め方をする。ここに、この作品の醍醐味があるような気がするので、そう感じさせる文章を、いくつかご紹介します。
「この世界がきみのために存在すると思ってはいけない。世界はきみを入れる容器ではない。大事なのは、山脈や、人や、染色工場や、セミ時雨などからなる外の世界と、きみの中にある広い世界との間に連絡をつけること、一歩の距離をおいて並び立つ二つの世界の呼応と調和をはかることだ。たとえば、星を見るとかして」(『スティル・ライフ』より引用)
「音もなく限りなく降ってくる雪を見ているうちに、雪が降ってくるのではないことに気付いた。その知覚は一瞬にしてぼくの意識を捉えた。目の前で何かが輝いたように、ぼくははっとした。雪が降るのではない。雪片に満たされた宇宙を、ぼくを乗せたこの世界の方が上へ上へと昇っているのだ。静かに、滑らかに、着実に、世界は上昇を続けていた」(『スティル・ライフ』より引用)
「うん、いわばぼくは透明人間になった。人間関係のネットワークの中に立って、その一つの結び目として機能して、それに見合う報酬を得るということをやめてしまった」(『スティル・ライフ』より引用)
素直に読み、感じ、そしてそこから何か得る……。池澤夏樹の『スティル・ライフ』で、純粋に文章に触れる時間を、じっくり堪能してみてはいかがでしょうか。
明晰で論理性の高い文章と感受性豊かな文章。一見、相反する要素が、池澤夏樹という人物の中で絶妙にブレンドされ、独特な味のある作品ができあがっていきます。そんな池澤作品を読みながら、心地よい時を過ごし、自分の中から出てくる感情や思考に触れてみるのも、充実した時間の使い方ではないでしょうか。