武田泰淳のおすすめの小説4選!社会問題を織り交ぜた珠玉の本

更新:2021.12.19

戦中・戦後の混沌とした社会の中で人間の内面を探求し描き続けた作家、武田泰淳。社会的であると同時に哲学的作品が多く存在し、人間の内側にある複雑で深い闇が感じられます。そんな武田泰淳の作品から代表作を4つ、ご紹介します。

ブックカルテ リンク

戦中戦後の不安定な社会に生きた、武田泰淳

武田泰淳は戦後文学に代表される作家の一人で、1912年に東京で浄土宗僧侶の次男として生まれました。高校時代から左翼運動にかかわり、1931年東京帝国大学支那文学科に入学したものの、反戦運動に参加した為に1年で退学しています。

大学退学後も中国文学の研究を続け、文学者の道を志すものの1937年に一兵卒として中国に派遣され、そこで中国の惨状を目の当たりにします。それまで中国文学を愛してきた若者は、戦場において中国人を殺す・殺される、の関係性で結ばれる敵と見なければならなくなるのです。

その衝撃的な経験が武田泰淳の執筆に大きな影響を与えたであろうことは想像できますが、その闇がどんなものであったかは容易に想像がつくものではありません。戦争による支配・被支配の関係で社会が混沌とする中、武田は人間の内面を探求し、文学の中でそれを表現しようと試み続けてきました。深い人間哲学に触れる武田泰淳の作品を4冊、ご紹介します。

「正常」と「狂気」の境界線を模索する『富士』

1971年、文芸雑誌『海』の連載小説として刊行された長編小説『富士』は、武田泰淳が富士山麓の別荘で過ごしている間に執筆したものです。舞台は太平洋戦争末期における精神病院。主人公である大島が、当時精神科医実習生であった自身による25年前のノートをもとに回想した手記、という形で展開されています。

物語には様々な個性ある患者や病院スタッフが登場しますが、その人物たちは大きく二分されます。つまり「正常」と「狂気」です。若い頃の大島は、精神医学という学問を確立させようと志す「正常」な若者でした。

著者
武田 泰淳
出版日
1973-08-10

しかし「狂気」の世界にいる患者たちに接するうち、やがてはその境界線がわからなくなり、「狂気」の世界へと踏み入れていくことになるのです。若い大島は自分が「正常」と「異常」のはざまにいるように感じられます。そのノートを眺めている現在の大島は精神科の患者であり、「異常」側の視点から過去を回想しているという構成になっています。

この小説を執筆している最中、武田泰淳は飲酒量が増えて、脳血栓症を発症し入院しました。片側にまひが残り、以後は妻が作者の口述を筆記して仕上げることになったのだそうです。作者自身が執筆するうちにその狂気の世界に呑まれそうになったのでしょうか。深い人間哲学を感じさせる1冊です

衝撃的食肉事件がモチーフになった『ひかりごけ』

1944年、北海道知床岬で日本陸軍の徴用船が難破。餓死寸前の極限状態の中、仲間の船員の遺体を食べて生き延びた船長が、罪人として裁かれることになったという事件がありました。この事件をモチーフに描かれたのが武田泰淳による小説『ひかりごけ』です。

この物語の構成は少々特殊です。プロローグは語り手のいる一人称の小説、それが次第に作者の随筆のような文章になっていきます。そして本編に入る前、この事件に文学的表現を与える苦肉の策として、戯曲風に書くことを選択したと綴られています。

著者
武田 泰淳
出版日
1964-01-28

人肉を食うという、一見異常な行動。しかしそれが行われた、飢餓寸前という異常事態。何が正常で、何が異常か、という単純な文章では書きあらわせないことを表現するのに、敢えて随筆と戯曲という特殊な構成を用いたのです。通常の文章による生々しい描写よりも、読者其々の捉え方に委ねたかったのかもしれません。

人間が、人間のことでありながら直視したくない部分、この世界に生息する人間という生物の本質ともいえる姿、野蛮と正常の境目はどこにあるのでしょうか。武田泰淳は、誰もが無意識に目をそむけている禁断の扉を開けるように描き出していくのです。共に収録されている「異形の者」「海肌の匂い」「流人島にて」はどれも、そんな武田文学の原点を示す作品ばかり。何度も読み返してみたくなるような奥深さを感じます。

「女」を描くことに執着した作者の女性観『蝮のすえ・「愛」のかたち』

講談社から出ている『蝮のすえ・「愛」のかたち』には、3篇の小説が収録されています。中国清時代の史震林による説話「西青散記」と「西青文略附」をもとに書かれた『才子佳人』、戦後まもない上海を舞台とした『蝮のすえ』、肉体的コンプレックスを持つ人妻が主人公の『「愛」のかたち』です。

武田泰淳は生涯にわたり計5回、中国に行っています。最初の中国行きは1937年から1939年までで、中国各地を転々とし、ここでの経験がデビュー作『司馬遷』を生みだしました。そして2度目、1944年から1946年にかけて上海に滞在、その後も3度上海を訪れています。武田にとって『蝮のすえ』の舞台となっている上海は、他の日本人より特別な場所だったのでしょう。

どの作品にも主人公または重要な登場人物として、女性が出てきます。文学者の対場から、女性というものを表現することに挑戦した3作品だといえます。実は武田泰淳は小説の中に女性を描き出すことに並々ならぬ執着を持っていたようです。ゆえに、武田の作品の多くに夫婦の描写が登場しています。

著者
武田 泰淳
出版日
1992-12-03

3作品は1947年11月から1948年12月にかけて、続けて刊行されたものです。ですから、短編集3篇という扱いではありますが、3作にはどことなく連続性が感じられます。3作品に共通して女性という生き物とその生き方について探究がされており、そしてその陰には、戦前戦後の日本を象徴するような混沌と、支配・被支配の関係が垣間見えるのです。

作者の女性観やその描き方には賛否両論ありますが、いずれにせよ戦後文学界において重要な意味を持ち、多くの評論家によって論じられてきた武田泰淳の作品らしく、様々な捉え方ができる深い作品となっています。

作者自身がモデルの社会派作品『風媒花』

小説『風媒花』は、1952年に刊行された武田泰淳最初の長編小説です。時代は朝鮮戦争の最中、敗戦国日本は戦後処理も定まっておらず、社会主義、共産主義、自由民主主義、戦前日本の帝国主義という様々な思想が入り組んで、どの理念が今後の日本の軸となるのかという不安定な政情にありました。

主人公は「エロ小説家」である峯三郎という40男。「日中の間に橋をかける」という高い理想のもと「中国文化研究会」に立ち上げからかかわってきたにも関わらず、どことなくのめり込めず、かといって達観できているわけでもないようです。
 

著者
武田 泰淳
出版日

武田泰淳は東京帝国大学文学部支那文学科に入学後、左翼活動を繰り返し数回逮捕された経験があります。釈放後には大学を中退し、大学で知り合った竹内好らと「中国文学研究会」を設立したのだといいますから、この作品のモデルは作者自身であったのでしょう。

主人公だけでなくその周辺の登場人物も、実在の人物をモデルにしたようです。研究会の主催者として登場する軍地は共に研究会を設立した竹内であり、主人公同棲相手の蜜枝はこの小説の発表前年に結婚した武田の妻百合子だと考えられます。

研究会の重要人物の死とその息子の転落死、青酸カリ混入未遂など、穏やかならない事件が物語に起伏を持たせています。そして主人公やその妻を含むそれぞれの会員がとる行動と、そこにある真意。やがてそれらが収束に向かう様とその理由。自身の体験を軸に、混沌とした社会における人間の内面性と人間哲学を描き出した、武田泰淳の代表作といえる作品です。

人間の深い部分、誰もが目をそらしたくなる内面性、それを直視しながらも達観はできず、不安定な様を率直に描き出した作品が多いですね。突然文章の形式が変わるなど、ストーリー裏に隠された作者の真意が難解で、ある種のグロテスクさも含んでいるので、気軽にリフレッシュできる内容ではないかもしれません。それでも、読んだ後必ず何らかの不気味な余韻が残ります。一言で言い表せない、複雑な人間哲学に触れたいと思ったら、ご一読をおすすめします。

  • twitter
  • facebook
  • line
  • hatena
もっと見る もっと見る