安部公房おすすめ10選!とことんSFを読みたい!

更新:2021.11.24

安部公房は、ノーベル文学賞に最も近いと言われたほどの世界的SF作家です。一度読んだだけでは難解に感じる深い深い、世界観に浸ることのできる作品をご紹介します。

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劇団発足からカメラコレクターまで!複数の顔をもつ安部公房

1924年~1993年没、本名は公房(きみふさ)、ペンネームは公房(こうぼう)の安部は、小説家としてだけではなく政治の党大会にて批判を表明したり、自身で劇団を立ち上げたりするなど多岐にわたって活動をしていました。その劇団のメンバーには仲代達也、田中邦衛など豪華な顔ぶれも。

またカメラ好きとしても知られ、ポートレートを出版し、フォトエッセイを連載することもありました。

一方で、文壇とはほとんど付き合いをもたず、どちらかというと批判的な立場でした。中でも同じSF界の星新一とは顔も合わせない程だったようです。

安部公房のシュールな世界観は、ある種孤独との共存だったのかもしれません。彼は執筆の際、ワープロが登場してもすべて手書きで行っていたそうです。様々な顔をもつ安部公房ですが、筆を執る時間は自らの殻にこもって深く深く物語と向き合っていたのでしょう。

砂の絶望と幸福『砂の女』

読み進むにつれ、読者も砂漠に居るような気持ちになるでしょう。砂漠ならまだマシかもしれません。この作品では、右も左も、上も下も、四方八方が砂で囲まれているのです。

その中で主人公が絶望し、また幸福を感じるまでに人間の執着心がとても嫌らしく感じられます。

著者
安部 公房
出版日

主人公の男は、昆虫採集のためにある部落に迷い込みます。泊まるところの無かった男は、老人の勧めにより、ある民家に滞在することになりました。

その家は、砂地に空いた穴の中にあり、さながら蟻地獄のよう。そして夫を亡くした女がそこに住んでいました。

その家と地上との繋がりは縄梯子のみ。その梯子も、翌日には村人によって外されてしまいます。そこで男は初めて、村人の策略によって砂の家に閉じ込められたことを知るのです。

逃げようと思うも、体力を消耗するばかり。水を含め物資は配給制になっており、抵抗をすればその配給も止まるという地獄の日々……男は女と夫婦同然の暮らしをすることになります。

「逃げるてだては、またその翌日にでも考えればいいことである」(『砂の女』より引用)

このように至った彼の心境はいかに。

物で溢れた社会では、様々な欲望を満たしてくれます。ですが、『砂の女』はその境地をぶち壊す破壊力です。あんなに苦痛だった社会にいつの間にか、何も感じなくなっている……。そう気が付いても、もう今さらどうすることもできない、そのような諦めの境地と明日がある妙な安心感。
 
埃をかぶって鈍った部分をついてくる、衝撃作をぜひゆっくり体感してほしい作品です。

朝目覚めると「ぼく」が消えていた『壁』

芥川賞を受賞した作品です。「S・カルマ氏の犯罪」「バベルの塔の狸」「赤い繭」の三部から構成されています。

冒頭から内容が現実離れしているので、難解な点が多いと思います。しかし読み進める内に、すっかりこの作品に入り込み、同時に「ぼく」の身に起きている事態がとても孤独でシュールなのに他人ごととは思えない気持ちになるのです。

著者
安部 公房
出版日
1969-05-20

ここでは「S・カルマ氏の犯罪」についてあらすじをまとめたいと思います。

ある朝男が目を覚ますと名前を忘れていました。そのまま出社すると、なんと名刺が「ぼく」のフリをして働いています。片目でそいつを見ると、S・カルマと書かれた名刺が浮遊して見え、またもう片方の目で見ると「ぼく」にそっくりの男の姿が見えるのです。男は名刺に自らを乗っ取られたのです。

男は謎の裁判にかけられます。窃盗罪です。なんでも、男の目にはとんでもない異変が起きていたのでした。それは、男が対象物を見つめるとその対象物が消えて体内に吸い込んでしまうというものです。

「ぼく」は「壁」と同一化する。

これがこの作品の大きな核です。なぜ、私たちには、モノには名前がついているのでしょう。名前は存在と同義だと思いますが、その名前が奪われた時、自らを証明することはできるのかと問われると、それがとても困難なことに気が付きます。

仮面に隠れた自分と周囲から見た自分への戸惑い『他人の顔』

本作は『砂の女』の次に書かれた長編小説です。

この作品も自我の喪失がテーマになりますが、『壁』のように完全に自分が乗っ取られるわけではなく、自我が残っているからこそ物語に悲しみや滑稽さがまざまざと感じられて痛々しいです。

著者
安部 公房
出版日
1968-12-24

主人公の「ぼく」は、研究所の所長代理として働いています。ある日、液体空気の爆発事故によって顔に重度の火傷を負い、自分の顔を失ってしまうのです。傷跡によって夫婦関係や職場など人間関係がうまくいかなくなり、自分も周囲の目を気にするようになりました。

そこで「ぼく」は精巧な人工皮膚を造り、仮面をはめて『他人の顔』に成りすますことにします。「他人」として妻と密会し、「他人」に嫉妬を覚えます。けれども妻が気に入っているのは「ぼく」ではなく「他人」。主人公はこの最大の矛盾に葛藤しますが、ついにある決心をするのです。

誰しも、本当の自分と周囲に振る舞ってみせる自分に距離があると思います。ひとりの顔、学校での顔、会社での顔、家族と一緒にいる時の顔。

作中の主人公は顔そのものが変わるので、二重人格のような感覚に近いのかもしれません。更に複雑な心境です。

その瞬間を確実に捉え、自我を掘り下げていった時に何が残るのか……この作品を通じて改めて本当の自分とはいったい何者なのか考えさせられます。

社会から隔絶したダンボール男の記録『箱男』

安部公房作品の中でも難解な作品だと思います。そして恐らく、作品自体が一度で読んだつもりになっては困ると挑戦的な態度をしているのではないでしょうか。

数章にわたって続く男の記録は、読むごとに視点を変え、「箱男」と同じく社会との繋がりを断ち切った穴から見える風景が違って見えるのだと思います。

著者
安部 公房
出版日

物語は男が箱をかぶることから始まります。約1×1×1.3mのダンボール箱を頭にかぶり、「箱男」が自分の記録をノートに記すのです。

「箱男」は外に居ます。箱には外を覗くために穴が開いており、箱の内側には生活に必要な最小限の道具を揃え、また箱が本体なので身体には麻袋を巻き付けているのです。

男が外に立っている。その意味が、箱をかぶるだけで違ってくるのです。そして、「箱男」は世間にたくさん居ます。

Aの場合、住んでいるアパートの下にいた「箱男」を発見し、空気銃で威嚇しました。その「箱男」は姿を消しますが、Aはなんとなくダンボール箱を持ち込み、同じように箱をかぶります。すると、箱をかぶったままAは外に出て帰らなくなるのです。

「箱男」は世間に多くいると、この作品にあります。確かに私たちは見えない箱をかぶって生活しているのかもしれません。それは、他人事、という意味なのかもしれません。

テレビ越しの事件や事故が自分に降りかかると思っていないからこそ、涙が出ない。楽しくない。箱をかぶっているとは社会と断絶すること……。

果たしてあなたは、箱の中からどの様な風景を覗き見ることになるでしょう。

膝からかいわれ大根が!腹が減ったらむしって食べる男の話『カンガルー・ノート』

突拍子もないタイトルになりましたが、それだけ『カンガルー・ノート』は突拍子もない出来事から幕開けします。

この作品は安部公房の遺作と位置付けられ、病床の日々を送る作者の姿が垣間見える場面もあります。冒頭から夢か現実か分からない内容ですが、「死」に翻弄される主人公に読者もワケのわからない恐怖や諦念を感じることができる作品です。

著者
安部 公房
出版日
1995-01-30

ある朝目が覚めると、膝にかいわれ大根が生えていた。原因も分からず病院へ行くと、医師が男を自走する生命維持機能付きベッドへと括り付けます。ベッドが勝手に走るのです。その行先は地獄谷の硫黄温泉。ベッドは温泉行のトロッコとなります。

その道中、男の意識とリンクして死んだはずの母の姿が見えたり、かと思うとドラキュラ娘に遭遇したり、次々に場面が変わっていくのです。自生するかいわれ大根もだんだんと元気がなくなってきて……。

男は医者に突き放されるようにトロッコに乗せられますが、読者はラストシーンにしばし呆然とすることでしょう。それくらい死は簡単で、夢物語のように遠く、けれども現実と紙一重なのです。

権力は視界を曇らせる『水中都市・デンドロカカリヤ』

「プルートーのわな」は本作に収録されている短編小説です。6ページと、とても短いのですがこれまでご紹介した安部公房作品とは少し変わった、イソップ童話のような物語なのでぜひ読んでいただきたい作品です。

著者
安部 公房
出版日
1973-08-01

舞台は倉の2階にあるねずみの巣です。そこにはネズミの夫婦がいます。夫のオルフィスは天才的な詩人で、彼の叫びを聞けばねこも寄り付かず、ねずみの住みやすい環境になってしまう力を持ちます。

他のねずみ達はオルフィスを王様にしたがるのですが、彼は共和政治を勧めます。そこで彼はねずみ共和国の大統領となることになりました。それからはねずみ達に指導をしたり裁判をしたり、オルフィスはなくてはならない存在となります。

そんな中、ある事件が起きます。ねこのプルートーと対峙することになるのです。オルフィスは妻を人質に、プルートーと交渉をするのですが……。

オルフィスを人間に置き換えると、権力に溺れた薄汚い人間の姿が浮かんできます。その背後にはいつだって爪を研いだねこが潜んでいるのです。

未来は明るいなんて誰が約束したのだろう『第四間氷期』

本作は非常にSFらしい作品です。

人間は常に発展します。より良い生活のために素晴らしい機器を生産しますし、コミュニケーションツールも産み出します。それは、全て明るい未来のためです。けれども未来は明るいなど、誰が保障しているのでしょうか。

当たり前のように日常を送る私たちに衝撃を与える作品となっています。

著者
安部 公房
出版日
1970-11-27

世界初の予言機械「モスクワ1号」がソビエトで開発され、日本でも予言機械を造ることになりました。主人公が開発した「KEIGI-1」は脳波から記憶や人格を再現することに成功します。

国は更なる予言機械をと、開発を進めるために研究者の私は助手の頼木と共にまずは個人で実験を(予言)してみることにしました。ある男に目をつけ、男を追ったのですが……その男は翌日死体となって発見されます。

二人の行動を見ていた人間の告発から二人に殺人の疑いがかけられてしまいます。そこで二人は真犯人を突き止めるべく、男の死体から記憶を取り出そうと考えるのですが、それがとんでもない未来の予言へと繋がっているのでした。

未来を予言する先に幸福があるとは限らない。むしろ、未来など知らない方が良いと安部公房が言っているような気さえします。

触らぬ神に祟りなし、とはこのことなのかもしれないと思う戦慄の一冊です。

何をやっているのか分からなくなる恐怖『燃えつきた地図』

他の作品に比べると現実的な作品です。

自己の存在意義を問われる、価値観の逆転する物語になっています。例えば絶対的な力をもった自分がその力を失った時、自分の存在を保っていられるのか。人間の存在など曖昧で壊れやすいものなのです。

著者
安部 公房
出版日
1980-01-29

ある探偵が失踪した人物の捜索を依頼されます。手がかりはほとんどなく、難航しますがある人物に行き当たります。ですがその人物は事件に巻き込まれ、あっけなく死んでしまうのです。

また、もう一人情報提供者として男が名乗りをあげます。その男は失踪した男の部下ですが、虚言癖のある男でした。探偵はこの男を信頼しないことにします。そのことに逆上した部下は自殺をするのです。

手がかりのツテとなる人物が立て続けに死に、またそのおかげで警察沙汰になることを恐れた興信所に探偵は解雇されてしまい……。

取り巻く環境から急に見放された探偵は、それまで何をやっていたのか、自分が何なのかわからくなります。燃え尽き症候群という言葉がありますが、それに似ているのかもしれません。探偵のように、目的地が急に消えてしまったら呆然と消えてしまうのかと思うと恐ろしいことです。

この作品は、一心不乱に働き詰める社会に一石を投じるような作品なのかもしれません。

自分の部屋に死体が居たら、あなたはどうする?『無関係な死・時の崖』

比較的読みやすい作品ですが、単純な構図のためより絶望感が引き出されている作品だと思います。じわりじわりと自らの首を絞める主人公に読者もただ、呆然とするしかないのです。

著者
安部 公房
出版日
1974-05-28

ある日主人公が帰宅すると、先客が自分の部屋に居ました。その客は両足を揃えてうつぶせに横たわっているのでした。死んでいるのです。

このような想定もしない事態に、主人公は思わず部屋の鍵をかけてしまいます。全く知らない人間の死体を前に誰が完璧な行動などとれるでしょうか。

逃げたいという本能に、主人公は様々な策を講じますが……。

この作品を通して見えてくるのは、人間の愚かさと弱さだと思います。逃げたいあまり、必死になりますが気が付けばその行動が自らをどんどん深みへ陥れている。

行き詰った時にずっと悩んでいてもなかなか解決策は浮かばないものです。そんな人間の弱さを上手く表現した作品です。

皮肉たっぷりな労働者監視ロボット『R62号の発明・鉛の卵』

表題作は、発明したロボットがその目的を果たすとき、発明者への皮肉がこれでもかと思うほど爽快に、残忍に描かれています。

著者
安部 公房
出版日
1974-08-27

元機会技工士の男が自殺をしようとしましたが、通りがかりの学生から死体を売ってほしいと頼まれます。機会技工士は持たされた地図を頼りに目的地へ行くと、脳の手術によりR62号というロボットに変えられるのです。

R62号の使命は労働者が休みなく作業を続けなければ、労働者に罰を与えるというもの。手始めに指を一本切り落とされ、次は……と非常に恐ろしい機械です。

最後にはR62号とある人物が取り残されるのですが、ラストの展開に資本主義社会の恐ろしさを感じさせられます。

ロボットが寛恕をもつと人類に攻撃を加える、そんな話はたびたび見かけますが、安部公房はその先を予見しているような気がします。人間が人間のために造った機械が、もしかしたら一番人間にとって脅威なのかもしれません。

安部公房作品は読むのに労力をつかう作家です。非常に難解で、シュールな世界観に挫折する方も多いかもしれません。ですが、諦めるのはもったいないです!今読んで分からない作品が、数年後、すっと物語に吸い込まれる時が来ると思います。 

恐ろしく、暗い作品が多いですが……だからこそこのモヤモヤと曇った社会の中にいる自分の目の前の霧を晴らしてくれる、不思議な作用のある作品ばかりなのです。

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