正岡子規について知れる5冊の本。34年の短い生涯や夏目漱石との友情

更新:2021.12.20

正岡子規は「柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺」など有名な作品が多く、名前は聞いたことがあるという人が多いのではないでしょうか。明治時代を代表する俳人で、多くの人に影響を与えた人物でもあります。そんな子規にまつわる本を5冊集めました。

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俳句、短歌の革新運動を行った正岡子規とは

正岡子規は、明治時代を代表する俳人、歌人です。俳句、短歌だけではなく、小説や随筆、評論も書き、日本の近代文学に大きな影響を与えました。また野球の普及にも力を尽くしています。

子規は1867年愛媛県で松山藩士の息子として生まれました。1880年旧制松山中学に入学しましたが、中退して上京します。共立学校から東大予備門に入学し、ここで夏目漱石、南方熊楠らと同窓になりました。松山からの友人には秋山真之、藤田主計がいます。

大学中退後は1892年に新聞『日本』の記者となり、俳句の革新運動を行いました。1894年日清戦争時は、一旦従軍記者として遼東半島に渡りましたが、すぐに下関条約が調印されたために1ヶ月で帰国しています。帰りの船内で喀血し、療養後松山へ帰郷。血を吐いたことと、鳴いて血を吐くと言われるホトトギスを重ね合わせ、俳号にホトトギスの漢字表記である「子規」を使うことにしました。

1897年高浜虚子が作った俳句雑誌『ホトトギス』の創刊にも携わり、写生による俳句を指導し、俳句の革新を進めています。「歌よみに与ふる書」を新聞『日本』に連載し、短歌の世界でも革新を続けました。後の『アララギ』へと繋がる根岸短歌会を主催しています。

病に伏せていても創作をやめず、『病牀六尺』などを書いています。1902年に34歳で亡くなりました。
 

これは意外!?正岡子規にまつわる9つの逸話

1:自分の目の位置をとても気にしていた?

正岡子規の残っている写真と言えば横顔が有名ですが、それは子規自身が自分の両目が離れているのを気にしていて、それを隠すために横顔を撮らせていたのだそうです。

2:英語が大嫌い!カンニングまでして乗り越えた英語の試験

英語がとても不得意で、ある大学予備門の英語の試験の時、judicatureという言葉の意味が分からないので隣の人に聞いたところ、「ホーカン」と教えられました。でも太鼓持ちという意味の「幇間」と思い、そう書きました。しかし後で「法官」だとわかり答えは間違っていたのですが、結局は無事合格したのだそうです。

3:実は子規の自宅は火事で焼失していた

まだ幼い3歳ごろの時、自宅が火災に遭い、母屋を全焼させてしまいました。そのあと正岡家は同じところに家屋を再建し、その際焼け残った以前の家屋の木材も再利用して作ったそうです。そして明治16年、上京するまで彼はそこに住んでいました。

4:女の子の行事・遊びを好んだ

子規はあまり男の子が好むような遊びはやらず、いじめられっ子で、家で本を読むのが好きな、おとなしい性格だったそうです。中でもひな祭りはとても楽しみにしていたそうで、彼自身も「一年の内にてもっとも楽しく嬉しき遊びなりき」と、「わが幼時の美感」という随筆の中で書かれています。

また、叔父から、かるたをプレゼントされたことがあり、それをとても気に入って、相手がいないときでも一人でかるた遊びをしたのだそうです。

5:無類の大食いだった

彼の日記には、給料の半分が食費に消えてしまったとの記載があるほど、とても大食いでした。病気になって療養している時もたくさん食べ続け、食べ過ぎで苦しいと日記に記述した時もあったそうです。

6:たくさんのペンネームを持っていた

正岡子規は新しい文章を書く度に新しいペンネームを考えていたそうで、その数は100個以上にものぼります。

その中には「ひねくれ者」という意味で「川を枕にして石で口をすすぐ」が元になった「漱石」という言葉をペンネームに使ったことがあり、その言葉を気に入った、親友の夏目金之助がペンネームとして譲り受け、夏目漱石という名前になりました。

7:名前にもいろいろと紆余曲折があった

子規の本名は父の常尚にちなんで常規と名づけられました。幼名は處之介(ところのすけ)で、父の知り合いがつけてくれたのですが、あまり評判が良くありませんでした。

そこで子規の祖父が、周りから「ところてん」と呼ばれて馬鹿にされないようにと、升(のぼる)という名前にしたのです。その後家族からは、のぼさんと親しみを込めて呼ばれるようになりました。

8:思わぬ災難を与えた左利き

彼は左利きでしたが、学校にて左手に箸を持ってお昼の弁当を食べていると、先生に叱られたり、友達にからかわれたりということがあったそうで、そのため弁当を食べないで家に帰ったこともあったそうです。

9:「俳句」という言葉を作った

江戸時代にはまだ「俳句」という言葉はなく、「俳諧」の一番初めの句「発句」が今の俳句を意味していました。

正岡子規はそれを「俳諧」の「発句」ということで「俳句」と名づけ、2万以上の作品を残し、「俳句」の第一人者として確立しました。また「短歌」という言葉も彼が考えたものです。

正岡子規が残した言葉で辿る生涯

本書は、その時その時に発した言葉を中心に、正岡子規の生涯を見ていこうという作品です。俳句、短歌の解説ではなく、子規の人物像を歌から探っていくように書かれており、子規がどんな人だったかということが分かりやすいといえます。子規を知る入門書としてぴったりの1冊です。

著者
坪内 稔典
出版日
2010-12-18

本書では短かった子規の生涯を、「少年時代」「学生時代」「記者時代」「病床時代」「仰臥時代」に分けています。順を追って子規の作品を見ていくことで、子規の思いがどのように変わり、歌がどう洗練されていったかということが伝わってきます。

また野球も好きだった子規が、友達と野球の上手さを比較した「ベースボール番付」、子規の筆跡なども載っており面白く読み進められます。短くも中身の詰まった子規の生涯は、言葉と切り離せないものでした。その言葉の発せられた状況、込められた思いを知ることで子規のことを身近に感じられるはずです。

彼の生涯が手に取るように分かる

正岡子規の生涯について、多くの文献を元に、冷静に分かりやすく書かれた本作。日本研究の第1人者である元アメリカ人のドナルド・キーンが書いており、子規について賞賛だけではなく批判した人の言葉なども紹介され、子規の人物像が多面的に浮かび上がってくるのです。本書も先に紹介した本と同じように、子規を知るための最初の1冊におすすめします。

著者
ドナルド キーン
出版日

俳句、短歌に及ぼした影響はもちろん大きいのですが、本書ではそれ以上に子規の人間関係について楽しく読み取ることができます。夏目漱石との友情や、弟子である高浜虚子、河東碧梧桐との関係、家族の話など、どれも興味深いものです。家族については子規は文句を言うことも多かったので、若尾瀾水に「その人格冷血」などと言われることもありました。

子規の俳句界における功績についてもきちんと述べられており、本書を読めば、さらに子規が残した歌を見てみたいと思うことでしょう。英語が得意だった子規というのも意外と知られていないことです。子規がリアリティを持って私たちの前に現れ出てくる作品といえます。

正岡子規と漱石の友情物語

正岡子規が東京に出て、東大予備門で夏目漱石に出会うあたりから、子規の死による別れまでを描いている『ノボさん』。青春時代の子規と漱石の友情がさわやかに書かれ、お互いがお互いをどのように見ていたかということも分かるので、二人の人物像も浮かびやすいのです。病に冒された後の子規と、ノイローゼのようになる漱石の様子も目が離せません。
 

著者
伊集院 静
出版日
2013-11-22

子規と漱石、二人とも文学者であり、プライドが高くて傷つきやすい繊細な人物でした。しかし根本的に全く異なる性格。そんな二人が親友としてやっていけたのは面白いことです。お互いに刺激しあいながら、後世に残るものを作り上げ、他の人にも大きな影響を与えていったのだろうことが分かります。

何事にも一生懸命で、人を惹きつけて多くの素晴らしい弟子を作り出した子規。野球が好きで、翻訳に試合にと力を尽くすシーンは青春そのものといえるでしょう。そんな子規の魅力があふれた評伝小説ですので、ぜひ当時の東京へ心をタイムスリップさせてみてください。

明治時代を描いた代表的小説

司馬遼太郎の代表作の1つである『坂の上の雲』は、同じ松山出身であった正岡子規と、秋山好古、秋山真之の兄弟を主人公として書かれた小説です。共に学び成長していき、進む方向は違うけれども日本のことを考えていた青年たちの物語。後半は日露戦争が舞台になりその終結をもって、本書も終わりとなります。明治というのはどういう時代だったのかについて読み取ることができる、文庫全8巻の大作です。

著者
司馬 遼太郎
出版日
1999-01-10

1、2巻は、3人が勉強に打ち込んでいく青春群像劇の雰囲気です。それぞれ性格が違う3人に加え、夏目漱石ら他のメンバーも登場し、すがすがしく読み進められます。そして日本のためにそれぞれの役割を果たそうとする姿に感銘を受けるのです。

子規は俳句・短歌の革命を進めていきます。戦闘シーンが続く中で、子規が登場するシーンはちょっとホッとする場面に感じてしまいます。

しかしその子規も3巻で亡くなってしまうのです。主役の一人としてはいなくなってしまうのが早い気がしてしまい残念ですが、その後は日露戦争で秋山兄弟の活躍を読む楽しみが残っています。長編ですので、どっぷりはまって読んでください。

正岡子規と漱石が交わした手紙の数々

タイトル通り漱石と子規の手紙のやりとりを時系列で載せている『漱石・子規往復書簡集』。漱石からの手紙の方が多く、漱石の俳句を子規に添削してもらっているものや、ロンドンに留学した際にロンドンの様子を書いて送ったものなどがあります。数多くの手紙からは、二人の友情がどんなものだったのかを感じ取れることでしょう。

著者
出版日
2002-10-16

真面目な手紙だったり、ふざけたり、洒落ていたりとさすが文豪だと思える手紙が並びます。はじめの頃は読んでいてニヤリとするものも多く、楽しく読めることでしょう。ケンカをしているものもあり、本当の友情を育んでいたのだと感じます。

しかし、子規が病に冒され病状が悪化してくると読んでいる方も胸が痛くなります。部屋から出ることもできない子規のために、ロンドンの様子を書き送る漱石。正岡子規は

「君ノ手紙ヲ見テ西洋ヘ往タヨウナ気ニナッテ愉快デタマラヌ」(『漱石・子規往復書簡集』より引用)

と返しています。動けない自分の身がどれだけ悔しかったでしょうか。漱石の手紙を心待ちにしていた子規の心を思うと、涙なしには読めません。二人の関係を詳しく知れる1冊です。

いかがでしたでしょうか。子規は短い人生でしたが、周りに人が集まる魅力的な人物で、中身の濃い人生を送りました。病に冒されても創作し続ける精神は、なかなか真似できないものですね。子規の生きざまからは、多くのことを学べることでしょう。

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