絵本は絵画と言葉の融合物です。色彩あふれる精緻な絵や、柔らかな描線。叙情豊かな物語や、心のひだに染み入る詩文。大人の感性に訴え琴線にふれる作品は、濃厚で贅沢な癒しの時間を与えてくれるに違いありません。おすすめの5冊をご紹介します。
水没してゆく街に、老人が独りぼっちで暮らしていました。積み木をかさねたような不思議な家です。老人は水面が上昇して家が沈むたびに、沈んだ家の上に新しい家をつくることを繰り返し、上へ上へと移り住んでいました。
ある日お気に入りのパイプを海に落としてしまった彼は、パイプを拾うためにダイビングスーツを身につけ、海に潜ります。積み上げてきた家々を、下へ下へ……過去へ過去へと、潜っていくのです。
海中に沈んだ過去の世界で、いったい彼はどんなものに出会うのでしょうか。
- 著者
- 平田 研也
- 出版日
原作は加藤久仁生監督による短編アニメーション映画です。2008年に発表されると世界中から注目され、アカデミー賞短編アニメーション部門をはじめ国内外の映画祭で20冠を達成したので、なんとなく見覚え聞き覚えのある方もいらっしゃるかと思います。
ご紹介する作品は、この短編映画の監督・加藤久仁生と脚本・平田研也が、絵本としてリメイクし描き下ろしたものです。独特の世界観はそのままに、絵本ならではのしっとりと心にしみる作品になりました。
独りぼっちで暮らす老人のお話ですが、その絵が醸すのは孤独で寒々とした雰囲気ではありません。老人の背景にある幾重にも層を成す思い出が、この物語に柔らかな温度を与えているのです。
心静かに自分と向かい合いたいときにおすすめしたい絵本です。
貧しい老婆の暮らす屋根裏部屋の窓辺。鳥かごの中に水やりのために置かれた、壊れたぶどう酒びん。物語の主人公はこのぶどう酒びんです。
かつて老婆が美しい少女だったころ、びんは少女とその婚約者のもっとも幸福な時を祝う象徴でした。様々な人の手を渡り、数奇な運命を経て、びんは再び少女の人生に引き寄せられていきます。
すぐそばに居ながら、互いにそうとは知らず、それぞれにかつての幸福な時間に思いを馳せるびんと老婆……。繊細で鮮やかな影絵が抒情豊かな物語を彩る、大人のための絵本です。
- 著者
- 藤城 清治
- 出版日
- 2010-04-13
アンデルセンの原作『びんの首』に、藤城清治が影絵を挿した絵本です。
藤城清治は日本を代表する影絵作家で、長年に渡る活躍により国内外で数々の賞を受けてきました。名前をご存じない方も、独特の影絵作品はなんとなく見覚えがあるのではないでしょうか。
じつはこの物語、藤城清冶が26歳のときに自身最初の刊行物として絵本にしたものです。それから60年を経た86歳の誕生日、あらためて刊行したのが今回ご紹介する作品なのですが、たんなるリメイクではありません。
「60年の長い人生を乗り越えてきた、経験と技術と感度のすべてをこめて作らなければ、再び作る意味はないだろう」と自身が語るとおり、作品は大きく進化をとげました。モノクロから彩り鮮やかなカラー作品となり、より繊細に、精緻に、幻想的に生まれ変わっています。
息をのむ影絵世界の美しさに、こどもは一瞬で引き込まれることでしょう。しかし、この絵本のなかに広がる色彩鮮やかな幻想世界に出会って、もっとも驚き心揺さぶられるのは大人のほうではないでしょうか。
昔絵本を読んでくれた大切な人に、プレゼントとして贈るのも素敵です。
「おやすみのあお。まどのむこうのささやくこえ。おやすみのあお。ぼくをのせたかわのながれ。ねえ、ねむりのまえにふれてごらん。夜はこんなに深い色をたたえているから…」(『おやすみのあお』より引用)
一日の終わりの眠りにつく時間、静かに世界を包みこむ深い「あお」色を、耳元でささやくような心地よい言葉で綴る絵本です。
- 著者
- 植田 真
- 出版日
- 2014-06-21
静謐な空気を感じさせる穏やかな絵に、優しく繊細な言葉がしっとりと寄り添っています。その静けさは意外と雄弁で、耳を澄ませば、山をわたる風の音や、湖面を揺らすさざなみの音が、感じられることでしょう。
心安らぐ「あお」の世界に広がる、透明感のある優しい言葉。閉館後の美術館で絵画を鑑賞しながら、耳元で詩を詠んでもらっているような、贅沢な時間をくれる絵本です。
ただひたすらに安らぐだけではありません。「あお」の世界には植物や動物たちの生命感が漂い、「おやすみ」のトンネルの向こうには、まだ知らない素敵な歌や人が待っています。「あお」に包まれる幸せ、「おやすみ」を重ねる楽しみがあふれているのです。
今夜ベッドであの本を開こう――そう思うだけで少しほっとする、静かで穏やかな、希望を含んだ眠りを運んでくれる一冊です。
「ハムレット、リア王、ロミオとジュリエット、マクベス、じゃじゃ馬ならし、真夏の夜の夢、ヴェニスの商人、お気に召すまま、テンペスト――」
一度は耳にしたことがあるという方も多いタイトルかと思いますが、さて内容はとなると、知っている・読んだことがある、という方はそう多くはないと思います。
気にはなるけれどなんとなく敷居が高くて手に取ったことはない、というのがシェイクスピアの位置づけではないでしょうか。
ところがこの一冊の絵本を手にすることで、シェイクスピアの戯曲世界をあますところなく訪れることができるのです。
- 著者
- ["安野 光雅", "松岡 和子"]
- 出版日
- 1998-11-17
なんといっても素晴らしいのは安野光雅の絵画です。シェイクスピアに興味が無くとも、思わず手に取り見いってしまうことでしょう。
描かれているのは物語のハイライトシーンです。安野自身がセレクトし、彼なりの切り口で表現された劇世界は、数多あるシェイクスピア解説本とは異なる新鮮な驚きに満ちています。
さらには戯曲を象徴する名セリフと、明解なあらましが添えられているのが嬉しいところですね。書いているのは松岡和子で、物語の時代背景などもさらりと紹介しています。いわばツアーガイドの役割でしょうか。
シェイクスピアは生涯に10の史劇、11の悲劇、16の喜劇、計37の戯曲を残しています。その名場面を集め一冊にしたというのですから、じつに贅沢。豊かな時間を過ごしたい大人へおすすめの、価値ある「繪本」です。
20世紀のスイスを代表する画家であり「色彩と描線の魔術師」とも評されるパウル・クレー。その幻想的な絵画に、日本でもっとも有名な詩人・谷川俊太郎が物語を吹きこみました。
「どんなよろこびのふかいうみにもひとつぶのなみだがとけていないということはない(「黄金の魚」より引用)」
絵画と韻律とが共鳴しあい、幻想世界に新たな広がりをもたらします。国と時を越えて、じつに豪華な共作の「絵本」が完成したのです。
- 著者
- ["パウル・クレー", "谷川 俊太郎"]
- 出版日
- 1995-10-04
多彩なクレー作品が40点も収められているので、画集としてだけでも充分に堪能できることでしょう。そこに谷川が14篇の詩を書き下ろしたのですから、豪華としか言いようがありません。
美術理論家としても有名なクレーですが、その線と色彩は、計算しつくして描いたと知らされなければじつにナチュラルで自由な印象を受けます。
じつはクレーは画家となる以前、ヴァイオリン奏者であり詩人でもありました。その影響でしょうか、彼の絵画に音楽や詩を感じる人も多いようです。
詩人・谷川の柔らかくも鋭い感性も、呼応しないはずがありません。彼は若いころからクレーの絵にインスパイアされた詩を書いていたそうです。
『クレーの絵本』に谷川の寄せた詩は、絵の解説ではありませんし、解釈とも異なります。触発されて生まれた、詩句で紡がれた「物語」なのでしょう。
絵画と詩句とが響きあって生まれる奥深い世界観を味わえる、まさに大人のための絵本です。
アニメばかり観ているこどもは叱られますが、文字や数字ばかり読んでいる大人は心配もされません。最後に青空を見上げたのはいつだっけ……。風の匂いをかいだのはどこだっけ……。
たとえわずかな時間でも、自分のために開く絵本はきっと、濃厚で贅沢な安らぎの時間をもたらしてくれることでしょう。大人向けの綺麗な絵本は、贈り物としても素敵です。