庄司薫はベストセラーとなった芥川賞受賞作『赤頭巾ちゃん気をつけて』で知られる作家です。口語体を用いてユーモラスに綴られた物語は当時斬新な作風として注目を集め、文学界に新しい風を吹き込みました。彼の魅力を堪能できる4作品をご紹介します。
1937年に東京で生まれた庄司薫は、1958年の東京大学在学中、本名の福田章二名義で発表した『白い瑕瑾』を改題・改稿した『喪失』で第3回中央公論新人賞を受賞し、小説家としてデビューしました。
1969年には芥川賞受賞作である『赤頭巾ちゃん気を付けて』がベストセラーになり、その後『白鳥の歌なんか聞えない』『さよなら怪傑黒頭巾』『ぼくの大好きな青髭』を加えた4部作作品「薫クン」シリーズを大ヒットさせています。
軽妙な文体でコミカルに綴られた彼の作品は当時新たな文学として大きな話題となりましたが、アメリカの文豪サリンジャーが『ライ麦畑でつかまえて』で用いたスタイルに酷似しているとの指摘を受け、文学界に賛否両論を巻き起こしました。しかし日本における現代文学の源泉となり後続の作家に多大な影響を及ぼした作家として知られる庄司薫の実力は本物。その面白さは今も色褪せることなく、幅広い世代の読書家に愛されています。
今回はまだ庄司薫作品に触れたことのない方に是非読んで頂きたいおすすめ4作品をご紹介します。
1958年に本名の福田章二名義で発表した『白い瑕瑾』をもとに改題・改稿を経て第3回中央公論新人賞を受賞した短編小説『喪失』。デビュー作となった作品ですが、三島由紀夫や江藤淳らに酷評され、物議を醸した問題作と言われています。
なお今回ご紹介する『喪失』は、翌年刊行された福田章二の処女作品集です。本作には表題作「喪失」のほか初期に書かれた「蝶をちぎった男の話」「封印は花やかに」の2作品が併録されています。
- 著者
- 福田 章二
- 出版日
- 1973-07-10
『喪失』とは含みのあるタイトルですが、これを読みきった読者は本作品集に一貫する福田章二の創作テーマがまさに「喪失」であることに気が付くのだと思います。彼が作中に描こうとしたもの。それはおそらく、「若さの喪失」ではないでしょうか。
福田章二はこれらの作品を、20歳の若さで書き上げました。若さの最中で描かれる彼にとっての「喪失」。それは大変なインパクトを持って、読者の心を揺さぶります。
彼はこの後の約9年間、執筆活動を休止し、謎に包まれた空白期間を過ごしました。1969年、ベストセラーとなった彼の代名詞的作品『赤頭巾ちゃん気をつけて』を庄司薫として発表し、活動を再開していますが、これに描かれた根底的なテーマも同じく「若さの喪失」でした。すなわち本作品集は芥川賞作家、庄司薫の原点といえる1冊であり、これを読むことで後年の「薫クン」シリーズをより深く楽しむことができると思います。是非、手に取ってみてください。
1969年、福田章二改め庄司薫として文学界に返り咲く契機となった作品『赤頭巾ちゃん気をつけて』。芥川龍之介賞を受賞した本作は、のちに『白鳥の歌なんか聞えない』『さよなら怪傑黒頭巾』『ぼくの大好きな青髭』を加えて4部作作品となる「薫クン」シリーズの第1作目にあたります。
主人公は都立日比谷高校3年生の「庄司薫くん」。1968年に起こった東大紛争からはじまるできごとを彼の独白形式でコミカルに描いたこの作品は、発行部数160万部を超えるベストセラーとなりました。
- 著者
- 庄司 薫
- 出版日
- 2012-02-27
「ぼくは時々、世界中の電話という電話は、みんな母親という女性たちのお膝の上かなんかに乗っているのじゃないかと思うことがある。とくに女友達にかける時なんかがそうで、どういうわけか、かならず「ママ」が出てくるのだ。」(『赤頭巾ちゃん気をつけて』より引用)
本作には学生運動によって東大入試が中止になったことで目標を失ってしまった薫くんのある1日が描かれています。物語は彼が数々の災難の挙句に足の爪を剥がしてしまい、女友達に電話をしてテニスの約束を断るという「サエない」話から始まりますが、上記に引用した冒頭部分のように、独特の感性を持つ薫くんの思考が物語全体を通してユーモラスな口語体で綴られており、読者の興味を惹きつけます。
彼の作風は後続の作家に大きな影響を及ぼしたことでも知られているため、現段階で読書に親しんでいる方にはより楽しめる作品だと思います。庄司薫の代名詞ともいえる傑作。是非読んでみてくださいね。
本作は4作にわたる「薫クンシリーズ」の後に刊行された自伝的エッセイです。福田章二としてデビューしてから長い沈黙の期間を過ごし、『赤頭巾ちゃん気をつけて』で再び文学界に返り咲いた庄司薫。本作には彼が創作することで追求し続けた大きなテーマである「若さ」や「青春」についての記述が多くあり、著者の内面に迫る内容となっています。「薫クンシリーズ」を楽しんだ読者には大変面白く、そして嬉しく感じられること間違いなしの1冊と言えるでしょう。
- 著者
- 庄司 薫
- 出版日
- 2006-10-25
表紙をめくるとまず目に飛び込んでくるのは「若々しさのまっただ中で犬死しないための方法序説」という一節。この本の内容はまさしくそれです。
庄司薫は本書の第1章「三つの序文」のなかの「ぼくが「序説」の好きなわけ」という題目で「これはあくまでも序説であって、もし時間があれば、ぼくは、その他の「ほんとのこと」を限りなく書くだろう、もし時間があれば、と。」と語っています。
これは彼が自身の創作において「ほんとのこと」を正しく、また量的にすべてを書き表すのは難しい、ということを前提として述べた上で、このエッセイを読む読者に向けて「序文」の役割を果たしている一文なのです。つまり、「今からあることないこと書くよ」と。是非読んでみてください。庄司薫と彼の作品を、いっそう好きになれるはずです。
最後にご紹介する作品『ぼくが猫語を話せるわけ』は上に挙げた3作品とは少し毛色が違います。
庄司薫は自称イヌ派。ある日そんな彼の家に、猫(それも7.5キロの体躯を持つ大きなシャム猫、名前はレオナルド・ダ・ピッツィカート・フォン・フェリックス)が居候することになります。本書はイヌ派の著者が猫、通称タンクと同居する日々を綴ったエッセイ作品となっていますが、実はこの猫は後に著者の妻となるピアニストの中村紘子が飼っていたもの。刊行と同時に2人の馴れ初めも明かされることとなった、ファン必読の1冊です。
- 著者
- 庄司 薫
- 出版日
- 1981-11-10
言葉の通じないはずの猫にあれこれ話しかけてはコミュニケーションをはかろうとする著者の様子が大変微笑ましい本書。イヌ派だった彼はいつの間にやら完全な猫派に転身してしまいます。
また内容もさることながら、中村絢子による可愛らしい挿絵、並びに巻末に添えられた17ページにわたる解説「わたしも猫語を話せるわけ」も大変魅力的。猫のみならずその飼い主も預かることになった庄司薫の人柄に触れられる内容となっており、そこには猫への愛、そして夫婦の愛が満ちています。猫派の方はもちろん、ペットや恋人、家族を愛するすべての方に共感を呼び起こし、あたたかい気持ちにしてくれる1冊です。ぜひ手に取ってみてくださいね。
稀有な才能で文学界を沸かせ、ユーモア溢れる作風で世間を楽しませた芥川賞作家、庄司薫。年月を経ても色褪せることのないその魅力に、あなたも触れてみませんか。きっと素敵な読書体験ができるはずです。