『風立ちぬ』という作品を知っていますか?アニメーションとして発表されたこともあり、知っている方は多い事でしょう。今回は、その『風立ちぬ』の原案となった作品を執筆した作者、堀辰雄の作品をご紹介します。
堀辰雄は、明治から昭和にかけて活躍した小説家です。
大学へ入る前から芥川龍之介を師事し、東京帝国大学文学部卒業の際に書いた卒業論文は「芥川龍之介論」でした。また、大学在学中は室生犀星や中野重治と親しい間柄の中を持ち、川端康成、横光利一など現在にも残る名前を持つ複数の友人と共に在学中も同人誌を発表していきます。
しかし体が弱く、軽井沢や長野の高原へ療養する生活を長く送りました。そのため、療養中の体験を描いた作品も数多く見受けられます。
今回は、堀辰雄の儚く美しい物語を紹介していきたいと思います。
河野扁理(へんり)は、偶然、若い頃に一度会ったことがある細木夫人に再会します。それは、扁理が可愛がられていた「九鬼」という男の死によってもたらされたものだったのです。
それ以来、細木家に出入りするようになった扁理は、夫人から、娘である絹子が古本屋で見つけた本の話を持ち出されます。その本は、扁理が九鬼から貰ったラファエロの画集。実はお金に困った彼は、それを売ってしまっていたのでした。
本作のタイトルとなった『聖家族』は、ラファエロの画集に掲載されている絵画のタイトルでもあるのです。
- 著者
- 堀 辰雄
- 出版日
- 2008-11-17
冒頭の「死があたかも一つの季節をひらいたかのやうだつた。」という文は知っている方もいらっしゃるかもしれません。
この作品は、堀辰雄が尊敬していた芥川龍之介の死によって製作されました。この最初の文章は、堀自身の体験とも重なっているのでしょう。芥川の死によって、堀の新しい季節が開かれたのでしょうか。
本作の重要なポイントは、九鬼と夫人の関係です。少年であった扁理が見ても九鬼が夫人のことを愛していたことは明らかであるにも関わらず、夫人と九鬼は結ばれることはありませんでした。
物語の最初に死んでしまう九鬼と、九鬼に可愛がられていた扁理は、夫人曰く「互いに裏がえしにしたような」存在であるとされます。それを扁理も感じており、死んだ九鬼は自分の裏側に存在し、支配しているような気がしてなりません。
そして、夫人の娘である絹子もこの作品の重要な人物です。絹子は夫人に扁理のことを紹介された後に、扁理のことを気にし始め、また、扁理も絹子のことを気に掛けるようになりました。
しかし、扁理には九鬼の、絹子には母の影が付きまとっていて、結局二人が距離を縮めようとすることはありませんでした。扁理は絹子を忘れるため、踊り子にのめり込んでいきます。その二人の姿を見た絹子は激しい嫉妬に襲われます。
「何故私はあの人の前で意地のわるい顔ばかりしてゐたのかしら。それがきつとあの人を苦しめてゐたのだわ。」(『聖家族)から引用』)
この絹子の後悔のシーンは胸を締め付けられるでしょう。
男子のみの学校の寄宿舎での生活を始めた主人公は、美少年の三枝と同室になります。ある日、主人公が早めに床につこうと部屋に向かうと、なぜか三枝の枕元に男がいました。その出来事から三枝と主人公は、日々を一緒に過ごす中で、男同士の友情を超えた関係を築きます。
しかしその関係は長くは続きませんでした。
- 著者
- 堀辰雄
- 出版日
- 2016-07-31
まず最初に感じるのは、三枝の容姿、様子の美しさでしょう。薔薇色の頬、美しい皮膚、長いまつげ……美少年であることがありありと映し出されます。
もう1つの三枝の特徴としては、からだに浮かび上がる「脊椎カリエス」という病気の跡です。見えないところに傷を持つ三枝に、思わず心を動かされてしまいます。
「私」は最初、魚住という男に迫られます。その後、三枝の眠る枕元に魚住がいることを発見するのです。最初から「私」には同性愛の気があったのかもしれません。もしくは、同性に好かれる何かを持ち合わせていたのでしょうか。
「私」は、その後、三枝と1週間の旅行に行きます。その旅行の中で「私」は女の声につい反応してしまい、その声が耳に残ってしまいます。そしてそれからしばらくたってもその声が耳に残り、三枝からのラブレターを受け取っても、他人のように思えてしまいました。
三枝だけが「私」に好意を持っていたわけではありません。「私」もまた、三枝の綺麗な容姿に心を奪われていました。しかし、それは男子だけの空間で行われたことであり、女の子がいたわけではなかったのです。その特別な空間だったからこそ、友情以上の関係を築いていったのでしょう。
また、三枝のことを主人公は忘れたわけではないのです。物語の後半で主人公が入院する病院に、三枝とおなじ傷跡を持つ少年が登場します。主人公はこれに心を奪われるのです。三枝の「脊椎カリエスの跡」という特徴は、三枝を思い出させる要素としてはとても大きいものであったのでしょう。
切ないボーイズラブ小説、ぜひ読んでみて下さい。
主人公の婚約者である節子は体が弱く、結核を患っていました。療養のため、長く療養するための施設であるサナトリアムへ向かい、彼もまたそこで暮らしていく決意をします。
出会った夏から、病気が重くなった春、秋、冬、そして節子の死まで、主人公の日記として語られていきます。そして、節子の死を受け入れ、彼は生きていくことを実感していくのです。
- 著者
- 堀 辰雄
- 出版日
- 1951-01-29
あらすじから見ても、切ないのだろうと予想されるこの作品は、ジブリでアニメーションとして制作された『風立ちぬ』の原案となりました。しかし内容は大きく異なり、本作はすべて主人公の手記で話が進んでいきます。
この小説の魅力的なところは、なんといっても美しい言葉の数々であります。
「そんなにいつまでも生きて居られたらいいわね」
「お前にはね、おれの仕事の間、頭から足の先まで幸福になっていてもらいたいんだ」
「ただ彼女をよく見たいばかりにわざと私の二三歩先きに彼女を歩かせながら森の中などを散歩した頃の様々な小さな思い出」
「こうやってあなたのお側に居さえすれば、私はそれで好いの。」(『風立ちぬ』より引用)
こんな甘いセリフを言いあいながら、節子が段々季節ごとにやつれていく姿を、共にしていくのはとても胸を締め付けられます。
これらは死ぬのを覚悟している、死を目の前にしている節子と、今から一人で生きていかなければいけない主人公の気持ちが伝わってくるシーンではないでしょうか。
また、この二人が言葉を発しない場面も必見です。彼は、節子のためを思ってしたことは本当は自分のためだったのではないだろうか?幸福とは何なのか?ということをひたすら考えます。迫ってくる死を考えると共に、「生きること」を考えさせられる、そんな物語です。
この作品は、堀辰雄が実際に愛していた女性がモチーフになっています。実体験のような書きぶりはそのためでしょう。内容は暗いですが、隅々まで散りばめられた二人が相手を思う気持ちが溢れる作品になっているのも、リアルさを感じます。読んだ後、胸が苦しくなるような切なさを持つ物語です。
同時に収録されている「美しい村」は、「風立ちぬ」での女性のモデルと実際に出会った物語なので、そちらもぜひ読んでみて下さい。
「楡の家」では母親の日記形式で、「菜穂子」では母親の日記を読んだ娘・菜穂子の結婚生活を描いた物語です。
菜穂子は適当に決めてしまった結婚生活で、夫と姑から仲間外れにされていることを気づまりに感じていました。そんな中、菜穂子は喀血をし、結核の療養所で暮らすことになります。
登場人物は菜穂子の他に、幼馴染の明、夫の圭介、姑です。3人が代わる代わる見舞いにやってきますが、菜穂子はすべてに表面的な態度をとります。
- 著者
- 堀 辰雄
- 出版日
- 1948-12-17
菜穂子は、母親の日記を読み、苦々しい想いと共にその日記を目の届かないところに追いやってしまいます。
姑と夫と嫁との関係は複雑で、夫が気づかない菜穂子の様子を姑が気づいています。そして、姑もその夫の気づかなさを利用し、菜穂子の病状をはぐらかすのです。その三者の関係が、菜穂子と夫・圭介の溝を深くして言っていたのかもしれません。
結婚とは、何なのだろうか?その点についても、三者の関係を基に菜穂子は考えていきます。
夫である圭介は、菜穂子がいる日常のことを普通のことだと思っているけれど、幼馴染の明は菜穂子のことを特別な存在であると感じています。圭介と明は出会うことはないですが、菜穂子への気持ちや態度が両極端で面白いです。
また、この作品の見どころの1つは、菜穂子と圭介の関係性です。圭介が菜穂子に会いに行き、菜穂子もまた、病院を抜け出して圭介に会いに行きます。
「若しお前がそれほど俺の傍に帰って来たいなら、話が別だ」
「ひょっとしたら夫がいまにもその瞬間の彼女の心の内が分かって、『もう二三日このホテルにこの儘いないか~』そんなことを云い出しそうな気がしたからであった。」(『菜穂子』より引用)
そんな二人の想いは伝わることなく、夫は去っていくのです。切ない恋物語、ぜひ読んでみてください。
作者が大和や信濃をめぐりながら、日本の風景をつづったエッセイです。日本の古くからある風景や春夏秋冬をめぐる木々の変化などをありありと感じ取れるこの作品は、堀辰雄ならではの上品な、美しい文章で表されています。
- 著者
- 堀 辰雄
- 出版日
- 1955-11-01
まず目を引くのは小題名です。「斑雪」「浄瑠璃寺の春」など、四季を感じさせながら上品な表し方をされています。この題名だけでも、興味を引かれませんか?
旅の中で、作者は寺や石など、特定のものに深く思いを巡らせていきます。
「私はまた心の一隅であの信濃の山近い村の寺の小さな石仏を思い浮かべがちだった。」(『大和路』から引用)
小さい石仏にまでとことん疑問をぶつけ、深く知りたがる様は堀辰雄ならではの視点です。
また、後半では彼の奥さんも旅に参加。二人ともが興味を示すもの、妻は無心なもの、また彼が無心なもの、と物によって二人が意見を交わし合う場面はとても愉快に思えます。
感じ方が違っていても、「自分はこう思う」と意見を言う妻はとても強く美しく描かれています。そして、口調が上品なことも印象に残るでしょう。堀1人だけでは感じうることのできなかったものが、妻の存在によって語られていくことはとても面白く思えると考えられます。
大和、信濃の現在を知っている方はもちろん、その他の方にも、日本の古くからある美しい景色を感じられること間違いなしの作品です。
いかがだったでしょうか。堀の作品は、体験談に基づいたリアルな物語が多いです。また、繊細な感情も読み取れます。淡々と進んでいく落ち着いたこれらの作品に、とりこになること間違いなし!名前は知っているけれど読んだことがない……という方、たくさんいらっしゃると思います。ぜひ読んでみて下さい。