代表作『武蔵野』で有名な国木田独歩は、記者、教師、詩人、作家など多くの顔を持ちます。芥川龍之介や夏目漱石からも高い評価を受けている国木田の作品は、彼の知識が溢れるものばかりです。その中から今回は5作品、紹介していきたいと思います。
1871年、千葉県で誕生した国木田独歩は、本名を哲夫といいます。幼少期から優秀で、読書が好きだった国木田は、後に文学の他にも詩や新聞記事など、文に携わる幅広い仕事をします。独歩の他にもペンネームが存在し、孤島生、田舎漢などという名前でも活躍していました。
学生の時は明治維新や学制など、政治にも関心を持つ中、文学者を志し、雑誌に多くの作品を発表していきました。
学校を卒業した後、英語教師になります。その後小説を書きながら「国民新聞」の記者となり、日清戦争の従軍記者として活躍しました。また、その後編集者としても活躍し、雑誌の企画も行っていくなど、幅広く文学に携わった人物です。
代表作は『武蔵野』。国木田の作品は短編でエッセイ風のものが多く、明るく読みやすい中にも少しの影が見えるような作品が見受けられます。
武蔵野の地の自然あふれる風景を描いた作品です。作中には、道玄坂、目黒、早稲田という、現代にも馴染みのある地名が出てきます。今はビルばかり建つ東京ですが、当時はこんな様子だったのか、とタイムスリップしたような気持ちになること間違いなしです。
- 著者
- 国木田 独歩
- 出版日
- 1949-05-24
自然主義、という言葉にぴったりのこの作品は、執筆当時の武蔵野の様子がありありと浮かんでくるような、そんな文章が散りばめられています。
「鳥の羽音、囀さえずる声。風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶ声。叢くさむらの蔭、林の奥にすだく虫の音。空車からぐるま荷車の林を廻めぐり、坂を下り、野路のじを横ぎる響。蹄ひづめで落葉を蹶散けちらす音、」(『武蔵野』より引用)
この文からは、本当に鳥や風の音が聞こえてきそうですね。
また、この作品を一言で表すと、「武蔵野という地を延々と褒め続ける物語」です。そう言っても過言ではないほど、語り手が武蔵野について褒めるのです。
「武蔵野に散歩する人は、道に迷うことを苦にしてはならない。どの路でも足の向くほうへゆけばかならずそこに見るべく、聞くべく、感ずべき獲物がある。武蔵野の美はただその縦横に通ずる数千条の路を当あてもなく歩くことによって始めて獲えられる。」(『武蔵野』から引用)
つまり、どの道を歩いても、どれを見ても武蔵野は美しいのだと断言しているのです。国木田は武蔵野を本気で美しいと感じているのだと伝わってくる一文だと考えられます。
さらに、この『武蔵野』を散歩する友は当時の女性の恋人ともいわれています。つまり、女性のデートで感じたことを文章に起こしたものであると考えられるでしょう。
デートをしている間はすべてがステキに見える、そんな部分も表しているのではないでしょうか。
「牛肉と馬鈴薯」は、牛肉を「現実」、馬鈴薯を「理想」ととらえ、それぞれの主張を言いあいながらも、政治や恋について語る物語。
「酒中日記」は、酒を呑んだときに日記を書いている主人公を、追いながら描いた作品です。
- 著者
- 国木田 独歩
- 出版日
- 1970-06-02
「牛肉と馬鈴薯」は、複数人で様々なことを討論しながらも、意見を言いあっていく形式です。最初、牛肉には馬鈴薯が欠かせないことを討論していますが、そのうち、「実際」派と「理想」派に分かれた意見を交わし合っていきます。
面白いところが、最終的には牛肉でも馬鈴薯でもなく、政治、恋、最後には宇宙まで語りだし、私とは何か?という討論にまで発展していくのです。それらは牛肉と馬鈴薯の話からこんなことまで!と思わず笑ってしまうような場面を映し出しています。
「酒中日記」では、大河今蔵という教師が主人公です。
最初の日記では、この人はなんだかのらりくらり生活をしていて、可愛いお露という女が側に居て、なんだ充実しているではないか、という印象を持つことでしょう。
しかし、日記が進むにつれ、彼には妻子がいたこと、妻子は亡くなっていることが明かされます。妻子が亡くなった原因は自分にあったと、回想のようにつづるのです。
この日記を書いているころには、大河は住む場所を変え、職を得て、その住民と共に酒を呑みながら生きて居ます。傍にいてくれるお露が可愛くて仕方がない様子でした。
「けれどもね六兵衛さん、死んだ妻はお露ほど可愛くなかったよ、何でも無かったよ」(「酒中日記」から引用)
これは、妻のことを村の六兵衛に聞かれた際、大河が答えたセリフです。
彼は本当に妻子のことを愛していなかったのでしょうか。ぜひ、読んで確認してみて下さい 。
国木田独歩は、日清戦争の間、海軍の従軍記者として戦争についての記録を記していました。これはそのときの日記のような小説です。国木田の日本に対する思いや、戦場の様子がありありと思い浮かぶ作品となっています。
- 著者
- 国木田 独歩
- 出版日
この作品の面白さは何といっても構成にあります。海軍に付き添っていた国木田は、戦場の様子や戦況までを報告しなければなりません。国民新聞に記事として送っていたそれを、実弟にあてて報告するという形をとっており、非常に斬新なのです。
この作品があったからこそ、国木田は国民に広く知られていくようになりました。
日本軍からの攻撃や、相手からの攻撃を子細に報告していく中で、浮かんでくるのは日本軍が抱く愛国心です。当時は、国のために戦争に参加することを当然のように考えていた者も多かったため、この作品の中にもその兆しが見えます。
戦争について描かれた小説はたくさんありますが、この作品は戦場にいた記者が描いたものであるため、よりリアルに状況が感じられるでしょう。
溝口の亀屋という宿場で落ち合った二人の芸術家が、「忘れ得ぬ人々」について談義する物語です。嵐の夜に、無名の文学者大津と、無名の画家である秋山は朝まで話そうということになります。そこで大津がとりだしたのは、自身が書いている「忘れ得ぬ人々」という作品でした。
- 著者
- 国木田独歩
- 出版日
- 2015-06-30
大津は秋山に「忘れ得ぬ人々」の内容を話して聞かせることになります。
「本の赤の他人であって、本来をいうと忘れてしまったところで人情をも義理をも欠かさないで、しかもついに忘れてしまうことのできない人がある。」(『忘れ得ぬ人』から引用)
大津は、そんな人たちを文章に記していっていることを語ります。
ある時は顔も知らない人影、ある時は琵琶法師など、長い思い出話の中に一瞬登場する人ばかりが名前をあげられます。関わってはいないけれど、物語に存在する影のような存在が、大津にとっての「忘れ得ぬ人々」なのです。
ここまで読みながら、たしかに、物語のスポットライトを浴びない脇役でもきちんと生きていて、大津はこれらに逆にスポットライトを当てているのではないだろうか、と考えることが出来るでしょう。
そして最後、二人が別れてから月日が流れ、大津が描く「忘れ得ぬ人々」の中にはこの時のことも記されています。これを見たときは、つい前を読み返してしまうような、そんな構成になっているのです。
身近な人ではなく、影の人に注目してみる国木田の感性に、思わず感心してしまう一作ですよ。
短編作品が多い国木田の作品の中から8編をまとめた一冊です。表題作にもなっている「号外」「少年の悲哀」の他にも、「春の鳥」「窮死」などが収められています。そのため、国木田の魅力が全方向から伝わる一冊になっているでしょう。
- 著者
- 国木田 独歩
- 出版日
「号外」は、喫茶店に毎日のように現れる男爵の物語です。新聞の号外を取り出し、戦争当時のことについて語り合います。
「三十七年から八年の中ごろまでは、通りがかりの赤の他人にさえ言葉をかけてみたいようであったのが、今ではまたもとの赤の他人どうしの往来になってしまった。」(『号外」より引用)
上記にあるように、戦争当時は号外が多く、国家の一大事によってみんなが団結していました。しかし、平和になったその後は行き交う人でさえ他人のように思えるということを、号外を通して感じていく内容になっています。
号外、という単語から、登場人物同士の討論という形を使って戦争について考えさせられる内容に発展させる所が、国木田らしい表現の仕方だと感じられるでしょう。
「少年の悲哀」は、主人公が少年の時に感じた悲しみを懐古する形式になっています。
主人公は、野山を駆け回り自然の中で成長した少年です。ある日、地元の青年に連れられてある女に会いに行きます。女は、語り手を自分の弟のように思い、泣き出してしまいました。
この作品のポイントは、少年が自然の中でのびのびと生きてきたことです。いままで平和に暮らしてきた少年にとって、女の存在する場所は異世界のようでした。自由に生きていくことが出来ない女は、少年とは対照的に映っていることでしょう。
少年はこの後女に会うこともなく、青年もまた女の行方を知らないという結末を迎えます。少年は小さいながらも、この女の不幸を感じ取り、「悲しみ」ととらえたのかもしれません。
他6編も合わせて読んでみて下さい。
いかがだったでしょうか。国木田はその豊富な経験を生かし、面白おかしく当時の人のリアルな生活を描いているように思います。つい登場人物の討論に参加してみたくなるような魅力あふれる作品ばかりですので、読んでいただけたら嬉しいです。