千駄木のレトロなカフェで「ダメ人間」をテーマにした読書会があった。主催者が「目標から逆算した人生」的な意識高い系イベントに反発して企画したらしい。そこでダメだけどクズじゃない男たちの物語をいくつか聞いた(もしかしたら、「クズ」も混じってるのかもしれないけれど)。 その中から「無敵の女」が登場する話だけを紹介する。なぜか「無頼派作家の遺作」が2つあるが、偶然だ。
- 著者
- チャールズ ブコウスキー
- 出版日
主人公の名前はニック・ビレーン。55歳のデブで醜男(ブオトコ)。ウォッカ(と日本酒とスコッチ)と競馬をこよなく愛し、セクシーな女に弱い自称「とびっきりの腕利き」だ。曰く「俺はいつだって女の脚に目がないのだ。生まれてまず見たのも女の脚だった。まああのときは、そこから出ようとしてたわけだけど。」
死んだはずの伝説の作家セリーヌと宇宙人、そして存在するはずのない「赤い雀」を追って、ロスの街を徘徊する。(ほとんど飲み屋で飲んでるだけだが。)
依頼者の一人「死の貴婦人」に罵倒され、美女宇宙人に誘惑されながらも、彼はミッションを果たしていく。
『町でいちばんの美女』を書いた無頼派ブコウスキーの遺作を柴田元幸が翻訳している。突き抜けた作家の突き抜けた遺作だ。
- 著者
- 獅子 文六
- 出版日
- 2015-12-09
戦前(1936年)の人気小説が昨年なぜか再版された。
主人公の「碌さん」はダメ男だ。10才の「小生意気な」娘の悦ちゃんと暮らす売れない作詞家。「盥(たらい)の水に映した日食みたいな」、「元気はないが、善良な顔」の持ち主が、金持ちの姉の強引な薦めに応じてやおら「婚活」を始める。碌さんは財産家の娘で教養豊かな美女に好かれるという幸運に舞い上がるが、悦ちゃんは彼女を嫌い、質素で優しいデパートガール鏡子さんを慕う。優柔不断で場当たりな碌さんは庶民派の男女には好かれるが、意識高い系のお金持ちには嫌われ窮地に陥ってしまう。状況を打開すべく悦ちゃんと鏡子さんの大冒険が始まる。
- 著者
- 庄野 潤三
- 出版日
- 1965-03-01
「小景」が高度成長期の時代と世界を切り取る。中学時代、国語教師の「庄野潤三の日常を描く作品は超常的な中島敦より文学的に優る」と言う発言に山月記ファンだった私は反発した。だが、どうも国語教師は正しかったかもしれない。
夏休みの小学校のプールに男の子二人を連れてくる男性。彼らを迎えに来る白い犬を連れた夫人。「あれが本当の生活だな。生活らしい生活だな。」と見送る教師がつぶやく。
しかし、実際のその家族は崩壊に直面している。夫は使い込みが会社にバレ首を言い渡されている。妻は事実を聞いて「少なからぬショックを受け」、「思わずリングに片膝をついた」。聞く限り、どうと言う理由もない「使い込み」の背景に妻は「女」の存在を疑う。ただし、冷静かつ沈着な考察の中で……。
平凡で幸福な会社員の生活が簡単に崩れ去り、妻の前に虚無にも似た夫と世界の謎が立ちはだかる。夫の側には思考の片鱗もない。ダメ男を超えた不思議な人間像。誰か、この結末の意味を教えてくれ!
- 著者
- 太宰 治
- 出版日
絶世の美女にして怪力のキヌコさんの職業は闇屋相手の「担ぎ屋」。戦後のどさくさに紛れて派手に稼いだ二枚目気取りの主人公は、女たちと手を切るために彼女の力(美貌)を借りようとする。ところが彼女はとてつもない大食漢で金に汚い。二枚目氏は思うように金を奪われ翻弄される。彼女が象徴するものは何?
敗戦国・日本を見限った太宰治は底抜けに笑える小説を書き始めた(そして未完のまま死んだ)。明るく軽やかなこの小説は存外重い。
(ああ、続きが読みたい!)
「ダメ」は判断の元になる「水準」の存在を前提とする。世の中に「水準」は満ち溢れているのでダメも無限にある。本人の自覚、ましてや真実とは関係ない。分かりやすく言えば普遍的にダメな人間など存在しない。男は世間水準から逃れられず「ダメ男」に追い込まれる。無敵な女たちには関係ない話である。