お子様に読んであげる絵本を探すのも、忙しいお母さん、お父さんにとっては大変なことです。そこで今回は、大切なお子様との時間を素敵に彩る、親子で心を豊かにできるようなおすすめの絵本を5選にしてご紹介します。
情操教育とは、情緒を豊かにしたり、価値観を養ったりすることを目的とした教育のことを指します。
そう聞くと、何となく難しく聞こえる方もいるのではないでしょうか。しかし、心を育てるというのは、実は意外にシンプルなことの繰り返しなのです。
子どもはまっさらで、様々なことにどう反応すればいいか、どう感じ、どう受け止めればいいか、まったくわかりません。ですから、子どもは親の反応や受け止め方を一つ一つ真似することで学習していくのです。
親が楽しそうに笑えば、「これは楽しいことなのだ」と一緒に笑い、親が悲しみに涙すれば、「悲しいことなのだ」と一緒に泣く。そのうち、自分と他人の区別がわかってくると、自分がされたように、泣いている親を慰めてくれます。
今大人の方も、子どもの頃はそうやって親の反応の真似を、それこそ無数に繰り返して学習してきたはずです。真似した分だけ、心が豊かになってきたのです。
さて、それならば、絵本を通じてどう子どもの心を育てればいいのでしょう?
答えは簡単、一緒に楽しめばいいのです。一緒に楽しんで、一緒に感動して、一緒に成長すればいいのです。親の反応が豊かであれば、子どもの心も豊かになるものです。
今回は、親子で心を豊かにできる絵本を5冊紹介させていただきます。是非、お子様と一緒に楽しんでみてください。
ボタンが外れていることで買ってもらえなかった、くまのぬいぐるみコールテンくんは、その夜、ボタンを探してデパートの中を探検します。しかし、結局見つからないまま、警備員のおじさんに元の売り場に戻されてしまうのです。
翌朝、昨日も会った女の子が、大切に貯めていたおこづかいを握りしめてコールテンくんを買いにやってきます。そして、抱っこして連れ帰ると、外れたボタンを付けてくれたのです。
- 著者
- ドン=フリーマン
- 出版日
コールテンくんは、ボタンを探して夜のデパートを探検します。その中で、「してみたかったこと」を色々と体験しますが、結局一人ではボタンを見つけられず、大失敗をしてしまいます。
コールテンくんがボタン探しに出たのも、元はといえば、「ボタンが外れていたから買ってもらえなかった」という理由です。それはつまり、なかなか買ってもらえないぬいぐるみたちの「誰かに愛されたい」という自己承認欲が原点ともいえます。
そんなコールテンくんに、欠けていたボタンを与えてくれるのは、ボタンが外れていても一目で気に入り、大事なおこづかいをはたいてまで買ってくれた女の子です。コールテンくんと女の子にとって、ボタンを付ける行為は「人を好きになり、大切にする気持ち」の象徴だったのでしょう。
子供の頃は今より簡単に、誰とでも友達になれていませんでしたか?好きなものが同じだったりするだけで、あっという間に仲良くなって、ごく自然にお互いに何かしてあげていませんでしたか?
かけがえのない友達という絆が、互いに思いやることの繰り返しであるなら、その始まりは極めてシンプルでかまわないはずです。好きな人と一緒にいたい。好きな人のために何かしてあげたい。そんな気持ちをお互い素直に出せたなら、それはきっと、友達の始まりでしょう。
幼稚園や保育園に入園し、おともだちが増える頃には読んであげたい一冊です。
表紙からして異彩を放っている感はありますが、この紹介で興味を持ったら、是非手にとって開いてみてください。
「いいお話だったね」とか、「きれいな絵だったね」という、ありきたりな感想は出てこないと思います。
なぜならこの作品は「話が素敵」「絵が良い」などと別個で考えることが難しいほど、絵本を構成する要素のすべてが揃って初めて成立している、絵本でなくてはならない絵本なのですから。
- 著者
- ミロコマチコ
- 出版日
- 2012-08-12
『オオカミがとぶひ』は、日本絵本大賞を受賞した作品で、独特すぎる絵のタッチがネットでも話題になっている絵本です。その絵は、子どものときに図工や美術の教科書で見たような、子供が描いた絵のタッチそっくりです。つまり、お世辞にも「上手い!」とは言えない絵です。
物語も、一応雨と風の強い1日を男の子の視点で見たお話になっているのですが、風をオオカミに例えたかと思えば、遠雷の音をゴリラに例えるなど、奔放すぎる表現は大人が一読しただけでは「???」となる人も多いと思います。
しかし、文章はとてもリズミカルで、前半は雨と風の荒々しさを踊るような文体で、後半は嵐が止んだ静けさをゆったりとした文体で表現していて、1日を通して荒ぶる自然が緩やかに治まっていく様を表現したリズム構成には、大胆さと繊細さが感じられます。
身の回りで起きたことを、様々な動物に例える表現や、文章のリズム。そして、画面のタッチ。それら全てが一体となって、子供の心をそのまま鏡に映したような「絵本」に結実しているのです。
是非、おやすみ前の枕元で読んであげて下さい。1日を振り返って眠りに落ちていく子供のようなこの絵本は、きっとお子様にも素敵な夢を見せてくれるはずです。
るるこはお母さんから大きな桃色の紙をもらい、とても大きなキリンのキリカを作ります。ところが、キリカは雨に濡れて、首からきれいな桃色がはげてしまったのです。
キリカの首を元通りにするため、るることキリカはクレヨン山へと冒険に出かけます。
クレヨンの木を独り占めしている、いじわるなオレンジくまをやっつけたお礼に、山の動物たちから「描いたものが本物になる魔法の紙」をもらったるるこは、帰ってキリカが入れる大きな部屋を描いてあげたのです。
- 著者
- 中川 李枝子
- 出版日
- 1965-07-01
紙とのりとはさみ、それにクレヨンがあったら、子どもは何でも作ってしまいます。それこそ、「描いたものが本物になる魔法の紙」なんかじゃなくても、なんでも本物にしてしまうのです。
子どもの想像力は、それだけ壮大で無限ということですね。
本作『ももいろのきりん』では、るるこはお母さんからもらった紙でキリンのキリカを作りました。そこから先の物語は、まるでるるこがキリカを作ったテーブルの上が、世界を呑み込んでしまったかのように、空想世界での冒険へと流れていきます。
桃色の紙で作ったキリンが動き出しただけでも魔法のようなことなのに、物語の最後で動物たちからお礼にもらうのが「描いたものが本物になる魔法の紙」だなんて、いかにも子どもの感性そのものといった感じです。
そういう微笑ましい子どもらしさを楽しみながら読んであげると、お子様もより素直に楽しんでくれるでしょう。
本作はちょっと長めのお話なので、読み聞かせだけでなく、小学校低学年ぐらいのお子様の1人読書デビューにもおすすめです。
おうむは みどり きんぎょは あかい……。
本作は、「自分の色」を持つことに憧れていたカメレオンが、もう一匹のカメレオンと出会うことで、本当の「自分の色」に気づいていくお話です。
- 著者
- レオ・レオニ
- 出版日
- 1978-04-01
カメレオンは「自分の色」を手に入れようとします。
「もし ずうっと はっぱの うえで くらしたら いつまでも みどりいろ、
ぼくも じぶんの いろを もてるって わけだ。」
(『じぶんだけのいろ―いろいろさがしたカメレオンのはなし』 より引用)
でも、カメレオンは葉っぱの色を真似たにすぎません。季節の移り変わりにあわせて紅葉する葉っぱに、カメレオンの体の色もくるくる変わり、やがて冬と共に吹き飛ばされて真っ黒になってしまいます。
「自分らしさ」を求めているのに、何かの真似で終わっている辺り、「自分らしさ」を必死になって模索していた思春期が思い出されて、ちょっぴり頬が熱くなりませんか?
「かわいそう」だったカメレオンは、もう1匹のカメレオンと出会い、価値観が変わっていきます。
一緒に暮らす2匹は、緑になったり、紫になったり、様々な色に移り変わります。けれど、一緒にいるから変わる色も一緒。「自分の色」がなくても、「あなたと私」は普遍であると気づくのです。
「あなたはあなた、あなたが見失っても、私があなたを見失わないよ」
親であれば、きっと誰もが抱いている子どもへのそんな想いをさりげなく代弁してくれる――そんなすてきな絵本です。
「大きくなったね」というと、子どもたちはみんな喜んでくれます。
大人はもちろん、「成長したね」という意味で言っているわけですが、多くの子どもは背が伸びたことや、足が大きくなったこと、言葉通りに大きくなったことが褒められたと受け取っているでしょう。
「成長すること」とはどういうことか、子どもに説明しようと思っても、なかなか言葉にするのが難しいテーマです。だって、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんだって、死ぬまで成長し続けているんですから。
本作は、そんな「成長すること」の意味を、わかりやすく伝えてくれる絵本です。
- 著者
- 中川 ひろたか
- 出版日
- 1999-01-25
本作は、体の成長のようなわかりやすい成長から入り、体が大きくなって、歯が生え変わって、できることが増えて……木登りの話からは、行動と結果を考えること、やってはいけないことをしないこと、嫌なことでも我慢することなど、心の成長へと話が進みます。
やがて、お兄さんお姉さんになるということはどういうことか、優しさとは何か……そういうことを理解できることこそが、「おおきくなるっていうこと」なのだと教えてくれるのです。
「またひとつ おおきくなった おめでとう みんな」
(『おおきくなるっていうことは』より引用)
最後のページのその言葉を受けとった時、読んでいる大人も「あ、私も大きくなれたかな?」と感じられると思います。
入学や進級などの節目節目で「成長すること」の意味を再確認するため、何度でも読み返していただきたい一冊です。