貧困や暴力に悩まされることなく、安全で平和な世の中で暮らす私たち。しかし、光があれば闇があり、安全や幸せとは無縁で過酷な日々を生きる人もいるのです。 本作『絶叫』は、とある女性にスポットを当てた社会派ミステリー小説。2019年3月にドラマ化する、怖すぎると話題の本作の魅力をご紹介しましょう。
本作は葉真中顕が2014年10月に発表した、社会派ミステリー小説です。2017年3月に文庫化されました。ミステリー小説という分類にはなっていますがサスペンス要素も強く、孤独死やブラック企業など、現代社会の問題を扱う、社会派小説でもあります。
ある日、警察に寄せられた匿名の通報により、マンションの一室で女性の死体が発見されました。飼っていた猫に食い荒らされたその遺体は、鈴木陽子という女性であることが判明します。
- 著者
- 葉真中 顕
- 出版日
- 2017-03-09
自殺か他殺かもあいまいなため、事件性の有無を確認するために、刑事の奥貫綾乃は亡くなった女性・陽子の人生を追っていくことになります。そして、最後は孤独となってしまった彼女を取り巻くさまざまな事件と、その壮絶な人生が明かになっていくのです。
本作は、綾乃が陽子の人生を追っていく現在のパートと、陽子に語り掛ける謎の人物の視点を織り交ぜながら進んでいくパートの2つが存在します。陽子自身だけではないさまざまな人の目を通すことにより、陽子という人物、そして、その人生が輪郭をもって浮かび上がるのです。
以前から映像化を熱望する声が多い作品でもありましたが、2019年3月24日よりWOWOWの連続ドラマW枠でドラマ化されることが発表されました。平凡だったはずなのに、社会の闇に触れ、転落していくしかなかった陽子を演じるのは、尾野真千子。他にも、安田顕、小西真奈美らの出演が予定されています。
作者の葉真中顕(はまなか あき)は、1976年3月1日生まれ。東京都の出身です。
就職氷河期だったため普通のサラリーマンを諦めて、ドキュメンタリー制作会社に入社。テレビ番組のリサーチャーをしていましたが、2年ほどで退職します。その後、ライターなどをしながら働いていましたが無職に近い状態だったため、一念発起して小説の投稿を始めるのです。
2009年に「ライバル」で角川学芸児童文学賞優秀賞を受賞。2010年に、児童文学作家として活動を開始します。しかし、児童文学だけでは生活できないとの考えから、後に興味のあったミステリー作品を書き上げるのです。
2013年に、老人介護を扱った『ロスト・ケア』で、日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。その他、各ミステリー賞でも高く評価されました。
ライターとしての活動や2009年から運営している「俺の邪悪なメモ」では罪山罰太郎、児童文学作品は、はまなかあき、そしてミステリー作品では葉真中顕と、3つの名前を使い分けている人物です。
- 著者
- 葉真中 顕
- 出版日
- 2016-10-18
介護をする家族の悲惨な現実が浮き彫りになる犯罪小説『ロスト・ケア』や、第二次世界大戦下の北海道を舞台に、戦争や民族の問題を扱った『凍てつく太陽』など、社会問題に大きく切り込む作品が特徴。平和なはずの世界にも必ずある闇を浮かび上がらせます。
なかでもおすすめしたい作品は、『コクーン』。この作品は、無差別銃乱射テロ事件を起こしたカルト教団を軸に、関わった人々の人生を描いた物語です。
当時社会を騒然とさせた、オウム真理教が関わった事件がモデル。宗教団体に関わった当事者たちだけではなく、関わる可能性、巻き込まれる可能性を持った周囲の人々の葛藤が描かれました。大きな事件の影響力が垣間見られる、おすすめ作品です。
陽子は、特別な人間ではありません。容姿も、頭脳も、特別よくも悪くもない、ごくごく一般的な女性です。しかし、能力が平均だからといって、波風のない人生を送れるわけではありません。彼女は家庭をはじめとした、さまざまな環境に恵まれない女性でした。
大手企業に勤めるサラリーマンの父と、美しく頭脳明晰な母という、優秀な両親のもとに生まれた彼女。彼女自身は特別な才能には恵まれませんでしたが、弟の純は天才的な頭脳を持っています。父親は仕事ばかりで子どもに関心が薄く、母の愛情は常に純のもとにありました。
純はいわゆるアスペルガー症候群に分類される人物で、人付き合いが得意ではありません。そのことで彼は思い悩むことがあり、中学生の時に道路に飛び出して自殺をしてしまいます。突然愛する息子を失った母は、より一層彼だけを愛するようになり、陽子の孤独は深まっていくのでした。
愛情に飢えていた陽子でしたが、中学生になった時に部活動の先輩・山崎と恋に落ちます。2人は将来の夢などを語り合いましたが、さまざまな要因により離れ離れになってしまうのです。しかし、高校を卒業して事務員として働いていた陽子は、偶然アルバイトをしている山崎と再会します。
漫画家になるという夢を追い続けていた彼は、やがて雑誌デビューが決定。彼は上京することになり、いつか東京で暮らしたいと考えていた陽子も、結婚するという形で地元を離れることに……。
幸せをつかみ取った陽子でしたが、ひと時の幸せは、やがてくる転落の前触れでしかなかったのです。
初恋の人と、憧れの東京で結婚。幸せな人生を歩み始めたかに思われた陽子でしたが、壮絶な転落が待ち受けていました。なんと夫が不倫をし、相手の妊娠が発覚して離婚してしまうのです。結婚生活はわずか3年。1人になってしまった彼女は、非正規社員としてコールセンターで働き始めます。
その後、安定した生活を送るため、保険外務員に転職。コネや身体を使って顧客を獲得し、月収アップ。上司との不倫関係もスタートし、彼女はまさに幸せの絶頂を迎えます。
しかし、上司は別の女性とのトラブルにより失脚。彼女はストレスからブランド品を買い漁り、お金を湯水のように使ってしまうのです。
さらに実家は、父親が多額の借金を作って蒸発。母親は生活保護を申請し、生活苦にあえいでいました。自分を愛さなかった母親を悔しがらせたいとの思いから、彼女は仕送りを約束。しかし、枕営業や顧客の水増しなどの不正が新しい上司にバレてしまったことで、職を追われることになってしまうのです。
再び職を失った彼女ですが、とにかくお金が必要です。ついに、デリヘル嬢として働き始めます。やがてホストにハマってしまった彼女は、店を辞めたホストの男を養うことに。酒を飲んでは暴力を振るう男との暮らしを続けるなか、彼女は風俗狩りにあい、売上金を奪われたうえにレイプの被害に遭うのです。
保険外務員時代にそれなりに悪い事をしてきた陽子でしたが、命を脅かされることはありませんでした。しかし、自分が死ぬかもしれないと思ったことで、ある種の覚悟ができたのでしょう。彼女は自分を襲ったリーダー格の男に、ある提案を持ち掛けるのでした。
リーダー格の男であるNPO法人「カインド・ネット」の代表・神代武に持ちかけた提案。それは、保険金殺人でした。彼女は人の命を、最小限の被害でお金に換金する術を知っていたのです。協力者を得た彼女は、自らの意志で殺人に手を染めていくことになります。
そのターゲットは、自分にDVをしてくるホストの男。その方法は、彼を神代の家に住まわせて油断させた後、陽子が彼との婚姻届を提出して本籍を別の所に移し、後日、泥酔した彼を路上で寝かせてトラックに轢かせるというものです。
果たして、これがうまくいくのか?と思われてしまうような計画ですが、陽子には勝算がありました。それは、過去に彼女の弟が死亡した事件に関係していて……。
その後、神代に心を許してしまった彼女は、何度も同様の犯罪に手を染めることになります。自らを襲った張本人である神代に恋心を抱いてしまう点も、鈴木陽子という女の闇を表しているようです。
しかし、事態は急展開を見せます。NPO法人代表理事殺害事件が発生したのです。被害者は神代。そして容疑者となったのは、他でもない陽子でした。なぜ、彼女はこのような行動に出たのでしょうか。衝撃の結末に向けて、予想外の展開を見せていくのです。
本作は、1人の女性が自立した生活を送ることの難しさを描いた、社会派作品です。1度転落してしまったら、元の生活に戻ることはきわめて難しい。読者は陽子の人生をなぞりながら、想像以上に厳しい現実を目の当たりにしたのではないでしょうか。
社会問題だけではなくミステリーとしての見所も多く、読み進めていくうちに謎が深まっていくでしょう。さまざまな謎が登場する本作ですが、最初からある大きな謎が1つ提示されていました。
それは、NPO法人「カインド・ネット」代表理事・神代武の他殺体と、判別不明な状態となって発見された、鈴木陽子の死体です。神代は誰が殺したのか、陽子はなぜあのような状態で発見されるに至ったのか……。
作中には、警察のたどり着いた答えが提示されています。それは、神代を殺したのは同居人だった陽子というもの。仲間内でもめた後、神代を殺害した陽子は逃げ切れないと悟り、自殺を図った。そして、その遺体を猫達が食べたと考えたのです。
DNA鑑定の結果、正式に死体が鈴木陽子であることが確定したこともあり、警察はそう結論付けました。しかし、綾乃は大きな疑問を抱きます。保険金殺人をしていたわりに、陽子の預金が少ない。誰か別の人物が彼女を殺害して、お金を持ち去ったのではないだろうか……そう考えたのです。
警察は事件解決と判断し、捜査はこの時点で終了します。綾乃の疑問は払拭されることなく、残ることになりました。しかし、この警察の捜査、そして綾乃の推理こそが大きな伏線となるのです。
本当に陽子は自殺をしたのか。事件の驚くべき真相が明かされていきます。
作中に、綾乃が訪れた「カフェ ミス・バイオレット」というお店が登場します。ここに関しては、何気ない日常の風景の象徴というような印象を抱くことでしょう。居心地のよい、くつろげる空間であるカフェですが、少々気になる店名をしているのが特徴です。
店名のバイオレットは英語ですが、日本名では菫色。紫色の一種で、菫の花弁の色といわれています。日本古来より親しまれている花で、平安時代には装束の重の色目として使われており、名称は違うものの色の名前として認識されていたようです。菫色という言葉になったのは、近代以降のことでした。
花の名前、色の名前となっていますが、もちろん女性の名前として使用されることも多い言葉。作中にはすみれという名前の、陽子のデリヘル嬢時代の仲間だった女性が登場します。店主は「ミス」とついているとおり、女性です。
陽子の過去を知るこの女性が、何らかの形で物語に関わってくる可能性もあり、気になるところでしょう。
本作は、事件を捜査する綾乃の視点で描く現在と、陽子に語り掛ける誰かとともに陽子の人生を追っていく、2つの視点が存在します。この二人称というところがミソで、実は大きな伏線の1つとなっていたということに、最後になってようやく気が付くでしょう。
陽子は居場所のない人生を送ってきました。弟ばかりを可愛がる母、家族に関心のない父。結婚をしても不倫をされ、就職をしたら業績のために利用され、最後には捨てられる。身体も心も利用され続けた彼女は、寄る辺すら持たず、ただ社会のなかを放浪するしかありませんでした。
ずっと居場所を探し続けていた彼女ですが、最後に自分の確固たる居場所を見つけます。最後の4行でその事実が判明するのですが、思わず読み返して該当箇所を確認してしまうでしょう。
明確に出来事や心情が語られるわけではありませんが、彼女は自分の望んでいたものを手にしたのだと、読者は知るのです。
- 著者
- 葉真中 顕
- 出版日
- 2017-03-09
おのおのの出来事の時に、違う選択をする機会はあったでしょう。しかし、彼女には違う方法を模索する時間も余裕もなく、結果的には犯罪の道に走るしかありませんでした。
自分は心穏やかに過ごしたいと思っていても、いつ誰に何が起こってもおかしくはありません。自分の意志とは関係なく、不幸な状況に陥ることもあるのでしょう。さまざまな負の環境に陥った女性が1人、社会のなかで浮上していくこは、想像以上に難しいことなのだと痛感させられます。
陽子は悪い事をしたけれど、ずっと彼女だけが悪かったわけではありません。そして、社会だけが悪いわけでもありません。
確かに不幸だった女性の、壮絶な人生の行く末。それを見守った読者は、行き場のなくなった想いが心の中に渦巻くことでしょう。ぜひ本作のラスト4行で、衝撃を味わってください。
人生とは、個人のもの。しかし、そこには家族や周囲の人々、社会の環境など、さまざまな要因があわさって形作られるため、自身も望んでいなかった歪みが生じてしまうこともあるのです。胸に迫った陽子の人生ですが、ドラマ化で映像になることにより、より明確な形を得ます。
そちらに落ちてはいけない……思わず、そんな声をかけたくなるのでしょう。