どこにでもいるような子どもが、ふとしたことから不思議な国へ迷い込む……。子どもの繊細な心情と大胆な設定のファンタジーの併せ技、そんなお話をたくさん送り出している岡田淳は児童文学作家です。大人にも読み応えのある作品をご紹介していきます。
岡田淳は、1947年に兵庫県で生まれました。大学卒業後、小学校の図工の先生になります。
身近で子どもたちを観察した岡田の作品に登場する子どもたちの姿はとてもリアル。子どもたちを勇気づけるファンタジー作品を数多く生み出しています。
著作も非常に多いので、小さい頃に読んだことがある、という方も多いでしょう。
岡田さんの描く世界では、子どもたちが異世界の住人と交わったり、はたまた戦ったり。一見、突拍子もない世界の出来事に見えるのですが、そこで活躍する子どもたちには、強さや優しさがあふれています。
大人になって読み返してみると、ああ、自分もこういうことがあったな、と思い当たる方も多いのではないでしょうか。
小学生の悟は、保健室にトゲヌキを届けに行く、と言って学校の映画会の準備を抜け出します。
サボっている悟が出会ったのは、「ダレカ」という名前の、喋れる黒猫。話しているうちに、悟は不思議な森へと連れていかれてしまいます。
突然姿を消すダレカ。「この世界で一番たしかなものの姿をしている」というダレカを捕まえれば、元の世界に戻れると言われ、悟はこの不思議な世界の冒険へと旅立ちます。
- 著者
- 岡田 淳
- 出版日
不思議な世界での冒険はさぞ、心細いもののように思うのですが、悟と冒険をするのは、たったいま映画会の準備をしていたクラスメイト達。彼らは悟のことは知らない、という設定なのですが、見知った顔が悟に勇気をくれるのです。
さまざまな試練の時を超えて、悟は「この世で一番たしかなもの」にたどり着きます。
小学校高学年の男子と女子の微妙な関係性なども描かれていて、ちょっと心がキュンとしてしまう人も多いと思いますよ。
母親が亡くなり、小学校教師の父親と暮らす行也。夏休みの課題に創作を選んだ行也は、父親の仕事場である小学校の倉庫へ。ピエロの人形や椅子、時計など様々なものを創作のモチーフとして、書き留めているうちに不思議な世界へと足を踏み入れることになるのです。
行也と時を同じくして倉庫に迷い込んだ39歳の喫茶店「メリー・ウィドウ」のママ。2人は、今までいた世界へ戻る道を探って、不思議な世界を旅します。
ふたりは、果たして元いた世界に戻れるのでしょうか……。
- 著者
- 岡田 淳
- 出版日
複雑な伏線が入り組んでおり、何回か読み返さないと分からない部分もたくさんある作品です。
スピーディーな物語の展開や行也とママがそもそも自分が住んでいた世界に帰れるのか、ということに目が奪われがちですが、大人の読者としては、作中のこんな心情の吐露にも心が奪われるでしょう。
「……(前略)とうさんだってわかっちゃいない。男でひとつで育てた、すなおないい子だって思ってるさ。前にそう言ってたもの。でもとうさんのほうだって、ほんとうに思っていることを僕に言ってないんだ。僕と同じさ。ひねくれてるんだ」
「どうしてそんなことが分かるの?」
「とうさん、再婚したいのに、ぼくに遠慮して断ってるんだ」(『扉のむこうの物語』より引用)
作中では、座ると自分のネガティブな気持ちを吐き出したくなる椅子が出てくるのですが、歳を重ねて、素直な言葉を吐けなくなった大人には、少しうらやましくなるような椅子でもあります。
冒険活劇の裏に繊細な少年の感情が描写された作品です。
父親が急に亡くなり、母親の仕事の関係で転校してきた始は、転校初日に、クラスで不思議な神様「びりっかすさん」を見ます。
どうやら、その神さまは、テストでびりを取った人のところに出没する様子。面白くなった始は、算数の計算テストから、漢字のテスト、本当は速いかけっこまで、びりを目指すことに。
本物のびりだった女の子とその神様を共有するうち、クラス内にはだんだん、「びりっかすの神さま」が見たいがためにびりを目指す子が増えてきてしまいます。
ネガティブなイメージの「びり」を楽しく、そして友情を育むカギとして使ってしまう岡田淳の面白さに脱帽です。
- 著者
- 岡田 淳
- 出版日
主人公の始が転校してきたクラスの担任は、テストの成績順に机を並べるちょっと嫌な先生。今だったら大問題になりそうですが、そのことでギスギスしがちなクラスを「びりっかすの神様」が救っていきます。
大上段に「びりだって悪くない!」と言ってしまわず、びりを目指すためにみんなが少しずつレベルアップしてしまう、という逆説的なお話が、シニカル好きな大人の心をくすぐるでしょう。
康男が保育園の時は仲良くしていた女の子の優樹。しかし、優樹の家が母子家庭になったり、学校のクラスが変わったりと環境の変化が起きたことで、2人は疎遠になってしまいます。
しかし、ある夕方、偶然出会った2人は、康男が忘れた宿題のプリントを取りに学校へ。教室にいたのは先生ではなく、「ジェラルドゆうねん。」と、関西弁をしゃべる竜退治の騎士。
怪しいやつ、と思いながらも、竜退治に興味津々の2人に、ジェラルドは騎士になる方法を伝授します。その驚きの方法とは?
- 著者
- 岡田 淳
- 出版日
他の作品とは違って、登場人物の会話が全編関西弁で書かれています。
「この学校に、竜が、いてるんですか?」
ジェリーはあいまいに首をふった。
「さあ、たいがいの学校にはいてるけど、どの学校にもいつもかならずいてる、とはよういわん。」(『竜退治の騎士になる方法』より引用)
といった調子で、物語のテンポが小気味よくスラスラと読めてしまいます。
1日の夕方の、ちょっとした時間の物語なのですが、疎遠になってしまう男の子と女の子の少し、寂しくお互いの存在を思う心情などにもうなずけるポイントがたくさん。切なく、甘酸っぱく、でも面白いお得な1冊です。
お父さんが友達から借りてきたロールプレイングゲームにはまってしまった学。夜中じゅう、ゲームに没頭してしまいました。
翌日、寝不足のために先生に促されるまま保健室へ行く途中、保健係としてついてきてくれたクラスメイトのあかりに、ゲームの面白さを話しているうち、ふたりはいつのまにか、その中へ。いつの間にか、学校全体がゲームとなり、闇の王が支配する世界となっていたのでした。
普通にゲームをしているときには、敵として無残にキャラクターを殺していきますが、彼らたちと関わり合ううちに、学とあかりの心の中には、様々な気持ちが生まれてくるのです。また、ゲーム中のキャラクターには2人の仲間となる、クラスメイトである勇太もいつの間にか登場します。
ゲームに心惹かれる子どもたちの心理を巧みに描きながら、その生臭さや問題点を浮き彫りにしている名作です。
- 著者
- 岡田 淳
- 出版日
- 2010-11-05
作者は、ゲームで無造作にキャラクターを殺すことなどに、さまざまな疑問を感じたのでしょう。その疑問は、ゲームを作り出した、大人への痛烈な批判とも受け取れる形で、作中に提示されています。
「だってそうよ。平和な美しい世界をとりもどしたいのなら、自分で光の意思をとりかえしに行けばいいのよ。ほかの人をつぎつぎにおくりこんでは、やっつけられるのを見ているんじゃない。」
(中略)
「あの、これ、ゲームだよ。」
勇太が言った。
「ゲームでも殺しあいはいやよ。殺されるのはいや。」
「ううん。」勇太は腕を組んだ。「殺しあいがいやで、殺されるのもいや、か。きみは?」
と、学を見た。(『選ばなかった冒険―光の石の伝説ー』より引用)
こうしたお話でも、決して、偉そうにならないのが、岡田淳作品の特徴でもあります。緊張を強いられるゲームの世界での体験は、やがて子どもたちの現実の行動も少しずつ変えていくようになります。
ぜひ、子どもが読み終わったら親に、親が読み終わったら子どもに、と大人と子どもで一緒に読みたいお話のひとつです。
児童文学の中でも、少し複雑な気持ちを抱えだす小学校高学年が主人公の作品を多く生み出してきた岡田淳。自分の子どもの心が見えにくくなってきたな、と感じたら、ぜひ読んでもらいたい作品ばかりです。冒険の世界に心躍らせているうちに、忘れてしまったその頃のの気持ちを、きっと思い出せることと思います。