二葉亭四迷、その特徴的なペンネームで名前の知名度は高いことでしょう。しかし、作品の認知度はとても低いです。しかし、リアルな人間の様子を描いた作品たちは、魅力がある物ばかりといえるでしょう。今回は、二葉亭四迷の4作品をご紹介します。
二葉亭四迷は1864年に江戸市ヶ谷で生まれ、愛知県で育ちました。本名は長谷川辰之助といいます。
ペンネームの二葉亭四迷というのは、実は「くたばってしまえ」という言葉から生まれたことをご存知でしょうか。とてもユニークな名前ですね。
外交官を目指し、東京外国語学校へと進学し、ロシア語を学びます。その後中退し、転々とした後に、当時の有名な作家である坪内逍遥を訪ねていきました。
その後から逍遥と親しく、二葉亭四迷の代表作である『浮雲』は逍遥の本名を借りて出版したものでした。また、ロシア語が堪能であったことから、ロシア文学を多く取り入れた作風でも有名です。
1887年から1889年にかけて発表された長編小説です。
主人公の内海文三は、従姉妹のお勢に心を寄せ、夢中になってしまいました。そのため、役所をクビになり、途方に暮れながらもプライドのために復職できずにいたのです。
お勢も文三に好意を寄せていましたが、元同僚の本田という男の登場によって、その希望も消えつつありました。
- 著者
- 二葉亭 四迷
- 出版日
- 1951-12-18
まず、特徴としては、全編「言文一致体」、つまり話し言葉で綴られているのです。当時の人たちにとっては非常に珍しいことと感じられました。
言文一致ということで、読みやすいかと思えばあまりなれない文章に戸惑うことでしょう。しかし、読んでいくごとにリズムに慣れ、テンポよく読み進めることができます。
主人公の文三は、プライドが高く復職すらままなりません。お勢に愛想をつかされてもおかしくないような、自己中心的な男です。
しかし、お勢もまたふらりふらりと心変わりする女でした。そんな文三を支えるどころか、文三の同僚であった本田を好きになります。
文三にとっては心苦しく、訳がわからないことでした。
しかし、終盤になると、文三はお勢が笑いかけてくれるだけで夢見心地で、本田に向いていた心が自分に向くかもしれないという期待に満ち溢れます。
人の心は、題名の『浮雲』の通りにフワフワとしていて掴めないもの。お勢の感情もそうですが、自分のいいようにお勢の気持ちを想像している文三ですら、浮雲のようにフワフワとしたものであることがわかります。
お勢が本田と話しているときの描写、文三の感情の起伏、それらがとても細かく描かれていて、登場人物の様子が手に取るようにわかるのです。現代でもよくあるような、色恋沙汰を明治の時にも行っていたのだな、と思わずにはいられない作品といえるでしょう。
二葉亭四迷が勤務していた朝日新聞社の、「東京朝日新聞」に連載された作品。
主な登場人物は、主人公の哲也、その奥さんである時子、そして時子の妹である小夜子です。哲也は奥さんの家に養子として入っており、時子には頭が上がらない立場でした。義理の妹の小夜子もまた、義理の父が愛人に産ませた子であり、時子とは微妙な姉妹関係であります。
出戻りして実家に帰ってきた小夜子に、主人公は惹かれていくという物語です。
- 著者
- 二葉亭 四迷
- 出版日
- 1987-02-16
小夜子は、時子とは全く正反対の性格でした。
明るくてよく働く小夜子は、主人公が帰ってくると出迎え、お茶を入れてくれました。時子にはそうした面はなく、哲也はただただ感動します。女性と言ったら時子のようなものだと思っていた哲也にとって、小夜子はとても素晴らしい女性に見えたことでしょう。
哲也が時子に冷めていった理由は、生活水準が合わなかったことも原因です。どんどんお金を使っていく妻のため、身を粉にして働く哲也は疲れ切っていました。
小夜子はとても魅力的な女性として描かれています。健気で、明るくて、周りに気を使えて……魅力的な部分を全部つぎ込んだ女性と言っても過言ではありません。時子や義母に2人の仲を怪しまれながらも、哲也は、小夜子が幸せになれるにはどうしたらよいか考えるのです。
まさに現代のドラマにありそうな、人間関係、三角関係にドキドキしながら読み進めることでしょう。哲也がどうにもはっきりとせず、暗い印象ですが、それをはるかに超えた小夜子の女性としてのすばらしさが際立つ作品となっています。義理堅い哲也の性格も、優しすぎると思えるような魅力に感じてくること間違いなしです。
結末はとても悲しいものでした。はたして、哲也と妻と、小夜子にとってはどのような結末が良かったのでしょうか。
この書籍は、二葉亭四迷の名作をまとめた作品集です。「浮雲」「平凡」……など、有名な作品や、「余が翻訳の標準」「私は懐疑派だ」など、二葉亭の考えや人柄が分かる文章をまとめています。
二葉亭四迷という人物をもっと深く知りたいという方にぜひおすすめしたい作品です。
- 著者
- 二葉亭 四迷
- 出版日
この書籍は、代表作以外にも随筆風の作品が掲載されています。そのうちの一つ、「私は懐疑派だ」について紹介致します。
「私は筆を執っても一向気乗りが為ぬ。どうもくだらなくて仕方がない。」(「私は懐疑派だ」より引用)
この文から始まるこの随筆、最初からみても二葉亭の気難しさが現れていることが分かるでしょう。
文章中には、「平凡」や「其面影」についての、辛口批評が載せられています。自分の作品に厳しく、「浮雲」ですら満足しなかった二葉亭の性格がありありと表現されていると感じました。
また、「懐疑派」と自分でもいうように、世の中のどんなことにもまず疑いを持ち、深く考えずにはいられない性格も読み取れます。
「私は、まァ、懐疑派だ。第一論理ということが馬鹿々々しい。」(「私は懐疑派だ」より引用)
このような文で語られるのですが、何となく面白さを感じるのは、軽快な言葉運び、さらには話し言葉での文章であるためでもあります。
二葉亭四迷という作家を垣間見るためにも、有名作品とエッセイが一緒に収録されている今作、ぜひお手に取ってみて下さい。
二葉亭四迷、生涯で3作品目となりました。
主人公の私は、下級官吏として働いていました。昔、少しだけ小説家として活躍したという設定の、いたって平凡な人生を自伝のように書き連ねていく作品です。主人公の姿に、二葉亭本人の人生がかぶる自伝風小説となっています。
- 著者
- 二葉亭 四迷
- 出版日
平凡の定義とは、どういうものでしょうか。この作品の主人公は、平凡と称して自分の人生を語っていきます。それは、後悔だらけの影のある物でした。
とにかく、モテないです。モテないのではなく、勇希がなかったのかもしれません。「浮雲」の主人公、「其面影」の主人公と通じるものがあります。そのくらい、うじうじとした人間なのです。それが、逆にリアルさを感じることでしょう。
こういう人、現代にもいるなあ……とつい思ってしまうような、親近感を覚える主人公です。そしてこれは、もしかしたら二葉亭そのものなのかもしれません。
主人公はヒット作が売れても、自分の両親のことを幸せにできなかった、と後悔していました。飼っていた犬のことすらも思い出してしまいます。若いうちに、良かれと思ってやったことは、後々考えていくと後悔に繋がってしまうのだと感じるシーンがあることも印象的です。
自分を懐疑的、と言っている二葉亭の言葉を思い出します。本作は、何事にも疑問を持ち、自分の人生にすら懐疑的であった二葉亭ならではの作品ではないでしょうか。
二葉亭四迷の名前は知っていても、実際に作品を読んだことがある人は少ないだろうと推測します。実は、二葉亭の作品はとても少ないのです。そのため、一つ一つに込めた想いはとても大きいものだったのでしょう。ぜひ、読んでみて下さい。