シュールな世界観『風の歌を聴け』。読者の想像をかきたてる「空白」とは!?

更新:2021.12.6

世界的小説家・村上春樹の記念すべきデビュー作『風の歌を聴け』。断片的なストーリーは、一見読者を突き放しているように思えますが、注意深く読んでみるとそこには味わい深い青春劇があったのです。今回はその魅力についてご紹介していきます。

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ストーリーの欠損が読む人を引き寄せる『風の歌を聴け』

東京の大学に通う主人公は、夏休みの期間を利用して地元の港町に帰省します。とくに何をするわけでもなく、友人の「鼠」とジェイズ・バーのマスター「ジェイ」と過ごす主人公。

その日も、いつものように行きつけのバーでビールを飲み、友人が来るのを待っていると、トイレで女の子が倒れているのを発見します。

なりゆきで夜をともにするのですが、翌朝女の子から「最低」と言われてしまいました。迷った挙句主人公のとった行動とは?
 

著者
村上 春樹
出版日

小説を書くとき、もしくはなにかエピソードを語る時に、人は物事が「起こった」順に書いていくものが多いです。そのほうが受け取る方もわかりやすいし、伝える方も整理しやすいですよね。

しかしこの『風の歌を聴け』は、作者が語るように「最初はABCDEという順番だったけど、つまらなかったのでBDCAEとエピソードの語る順番を変えて、さらにそこにAとDを抜いた」という手法で執筆されています。

この作品を読むと、どこか「空白的」で「断片的」な印象を受けると思います。しかし読者は、その分断されたイメージを知らないうちに「補完」しようと、新たな想像を膨らませるのです。

これによって物語には無限の可能性が出てきて、人によってまったく違った印象になります。ある場合には気持ちの良いイメージだったり、またある場合には不快なイメージになったりもするでしょう。

そのために村上春樹の小説は人によってはすごく不快に感じたり、拒絶反応を示したりする人も多いのです。

けれどもいつの時代にも、彼の読者層は一定数います。これは、村上春樹の作品が持つ「空白」を埋めたがる人が時代を選ばず存在している、なによりの証拠ではないでしょうか。

小説は、最終的には読む人自身が物語を作るのかもしれません。文字のひとつひとつの意味は、誰が読んでも同じ理解なのに、連なって物語になるとなぜかそれぞれ、バラバラのイメージにたどり着くという不思議な現象が起きるのです。

『風の歌を聴け』はその断片的なストーリーがもっとも顕著に現れている作品ともいえるでしょう。いわゆる読者に想像される余暇を持たせた作品です。

もしこれから読んでみようと思っている人は、あまり難しく考えずに素直に物語を受け止めると、本作品らしい魅力が感じられて良いかもしれません。

そして自分が抱いた印象を大切にして、他人と比べたりせず、自分らしく物語を感じてみてください。もし他人と印象が違っていても、それら全てを含めて、この作品の味わい深さにつながっているのです。

この作品の魅力はそこにあるといえるでしょう。

『風の歌を聴け』の舞台は1960年代ですが、当時のどこか物寂しい雰囲気もよくでていて、ほのかな哀愁が漂っています。

その寂しさはどこか現代に通じるものがあり、時代の儚さや脆さが伝わってきて、人生の節目に読んでみたくなるような中毒性がある作品です。

本作品を読んだ人は、繋がりは薄いですが『1973年のピンボール』という続編がありますので、是非読んでみてください。そちらもまた違った魅力があって面白いですよ。

村上春樹の作品は、いろいろと難しい解釈をされがちですが、あまり小難しいことを考えずとも純粋に物語を楽しめるように作ってあるので、初めて読まれる方は肩の力を抜いて、そこにあるストーリーを追ってみてください。

読み終えたあとには、読む前とは違った世界が見えてくるかもしれませんよ。

いかがでしたでしょうか。作品の魅力が少しでも伝わっていれば、もしくはこの文章を読んで「読んでみたいな」と思っていただけたなら嬉しいです。

『風の歌を聴け』を読むことで、あなたの知らなかった新しい自分の姿に出会えるかもしれませんよ。ぜひ読んでみてくださいね!

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