ロマン派を代表する、フランスの詩人・作家のユゴー。若くして創作の名声を得て、社会的、歴史的観点も加えながら、良心の理想と現実で揺れ動く人間を鋭く深く壮大に描きました。いつの時も全力で生きたユゴーの作品からは今も生命力が溢れています。
フランス生まれのヴィクトル・ユゴーは詩人、小説家、劇作家、政治家と様々な顔がありました。1802年から1885年まで、ほぼ19世紀をまるまる生きたことになります。
学生時代にナポレオン帝政が終わり、その頃から詩人を志すようになりました。17歳で詩のコンクールで優勝、23歳の若さでシュヴァリエ叙勲など、若いころから順調に名誉を高め、1845年に子爵の地位を得て貴族院議員となってからは死刑廃止や社会福祉など人道主義の政治家として活躍します。
しかし、ナポレオンが独裁を始めた1851年、反対派だったヴィクトル・ユゴーはベルギーに、翌年からイギリス領ジャージー島などへの亡命を19年間強いられます。その間も執筆を続け、ナポレオン失脚後の1870年に帰国を果たしたときには民主主義の象徴として歓迎され諸外国でもカリスマ的尊敬を得ました。85歳でパリで死去し、葬儀は国葬で行われました。
1815年のフランス、1つのパンを盗んだ罪で19年間投獄されていたジャン・ヴァルジャンは、やっと仮釈放されたものの、働き口もなく人々から蔑まれながら放浪していました。そんなとき出会った司教ミリエルの崇高な慈悲に回心したジャンは生まれ変わろうと決意します。
数年後、名前を変え身分を隠して実直に働き、工場長を経て市長にまでなったジャン。あるとき、工場の元工員ファンチーヌから離れて暮らす幼い娘コゼットのことを頼まれましたが、仮釈放していた彼を執拗に追跡していた警官ジャベールに正体を気付かれてしまいます。
- 著者
- ヴィクトール ユゴー
- 出版日
- 2012-11-01
1862年の出版当時から今に至るまで売れ続け、世界中で舞台公演や映像化もされている不朽の名作です。フランスでは聖書の次に読まれているともいわれ、関連書籍も多く出されています。
それぞれが不幸で壮絶な人生を送っていますが、よく読むと根っからの完全な悪人というのは登場せず、主人公のパンを盗む経緯をはじめ、悪行にはそれに至る理由があり本人の責任とは限らないということを丁寧に描いています。ジャンの宿敵であるジャベール警部も、何としても法を執行せねばならなかった彼なりの思いがあり、運命が一歩違えば2人の立場は逆だったかもしれません。
魅力的な人物が多数登場し、読者は彼らのなかに、特に感情移入してしまう贔屓の誰かを見つけることでしょう。
またフランス革命などの歴史や文化について詳細に語られており、市民の気持ちを革命へと駆り立てた当時の社会背景を知ることができます。19世紀、また現在のフランスの文化について興味がある方も必読です。何度読み返しても面白いストーリーは、読むほどに理解が深まり、貴重な読書体験となるでしょう。
1789年に勃発したフランス革命はそれまでの絶対王政に対する徹底した市民革命でしたが、フランス西部ヴァンデ地方では王党派が圧力をかけられていくことや国王の処刑、重税などに対する不満もまた存在していました。そして1793年、徴兵に反対する農民らが蜂起しヴァンデ地方を中心にその反乱は一気に広がります。
『九十三年』は、まさに1793年にフランスで起こった「ヴァンデの反乱」が元となって描かれているのです。
作中では、ゴーヴァン、シムールダン、ラントナックという3人の主要な人物が登場します。
30歳のゴーヴァンは、真面目で温厚な人柄でしたが、幼いころ学問を教わった元僧侶のシムールダンに強い影響を受けて育ち、革命派の青年指揮官となりました。
闘いのさなか、ゴーヴァンとシムールダンは偶然の再会を果たします。
彼らが対立するのは、反革命軍の指揮官ラントナック。革命派のゴーヴァンは、軍を見事に指揮し、ラントナックを追い詰めます。一度は軍の包囲網から逃れることができたラントナックでしたが、突然起こったある火事で、再び身柄を拘束されることを顧みず、子供の命を助けに行くのです。
冷酷無比で一切信念を曲げない男だと有名なラントナックでしたが、実際は血の通う人間であることに気づいたゴーヴァン。彼は、そんな人間を捕え、生を奪うようなことを本当にしてよいのかと葛藤します。
- 著者
- ヴィクトル ユゴー
- 出版日
- 2005-03-01
本書は、ヴァンデの反乱を舞台として人間愛とは何かを訴える、人道主義者ヴィクトル・ユゴーの真骨頂が読める作品です。
ユゴーの小説には、著者自らが歴史や文化に対する私見を読者に直接語り掛けるエッセイ的な箇所が非常に多く挿入されています。これらのエピソードは社会背景を理解し物語を深めるためにも本質的に重要で大変面白く、この『九十三年』ではそれが特に存分に味わえる作品です。
歴史が好きな読者にとって、実在の著名な人物が登場して会話するような場面は特に面白いでしょう。悲しくも深重な結末に向かう、それぞれの思いを持つ3人の男たちが、平和とは、正義とは何かを問いかけます。
15世紀のパリ、ノートル=ダム大聖堂の前に赤ん坊が捨てられていました。司教補佐のフロロに拾われ、カジモドと名付けられます。赤ん坊は顔や全身の骨格に障害を持っており、周りに外見の醜さを笑われながら育ちました。カジモドは大聖堂を出ずに成長し、やがて教会の鐘つき係となります。
あるとき町に踊り子のエスメラルダがやってきます。高潔で冷静沈着だったフロロですが、彼女の美貌に夢中になってしまい、あろうことかカジモドを使って彼女を誘拐することをたくらみました。
- 著者
- ヴィクトル ユゴー
- 出版日
- 2000-11-01
1831年にヴィクトル・ユゴーが最初に書いた小説で、舞台となったこの中世の大建築をユゴーがとても愛していたことが伝わってくる作品でもあります。感情を率直で赤裸々に描き、最後まで息をつかせぬ展開です。
主要人物たちが報われない恋をしてしまい、愛情がとことんすれ違い、更にそれがもとで次々と事件が起こります。カジモドのまっすぐな純情には感銘を受けるところですが、それを前にしてのエスメラルダの戸惑いや、勉強だけさせられて育った大人しいフロロが欲に溺れていく葛藤の様子も細かくリアルに描かれ、物語に深みを与えているのです。フロロは、自身も夫婦関係で悩んだ経験を持つユゴーがモデルとも考えられています。
派生作品の中にはストーリーを短くハッピーエンドに編集されているものもありますが、当時の社会を壮大なスケールで描き人間心理の美醜を浮き彫りにした重厚さは、原作ならではです。
日本では小説が有名ですが、詩人シャトーブリアンに憧れて、15歳で詩人として文壇に迎え入れられ才能を発揮していたヴィクトル・ユゴーの本領は、詩にこそあるともいわれます。テーマはあらゆる事象に及び、叙事詩といったジャンルも限定しません。
ユゴーは生涯を通して詩を書いており、人生のその時々でなにに傾倒していたか、どのように変遷していったかを垣間見ることができます。
- 著者
- ヴィクトル ユゴー
- 出版日
- 2000-10-01
奇抜な言い回しをすることなく、読みやすい詩ばかりです。むしろその時々感じたことを率直に自由に書き記しているようにみえます。形こそ詩であるものの、ユゴーの日記やエッセイのようにも読めるのではないでしょうか。ヴィクトル・ユゴーがどのような人生を送ったのか、その縮図のようでもあります。
王党派詩人としてデビューした若き日、自由主義、社会主義、民主主義、共和主義と固執せずただ良心を追い求めた経緯、人を含めた自然とその造り手への賛歌、狂おしい恋愛、亡くした娘に対する愛などを詠った詩には、ユゴーのありのままの姿がそこにはあるようです。
長い期間構想と調査を重ねて執筆されたヴィクトル・ユゴーの作品は、社会問題や人間の感情などありとあらゆるものが凝縮されていて、何度読み返しても飽きることがなく、その味わいはより深まっていきます。フランスが舞台でありその文化を詳細に描いていますが、世界に共通するテーマでもあり、作品は今も様々な問いを投げかけているようです。