世にあふれる言葉を疑う、信じないために必要な4冊

更新:2021.10.28

もうながいこと、物書きの仕事と編集者の仕事を並行してやっている。物書きとしては、同時代の小説を読み、そこから触発されて自分の言葉を紡ぐことが主な仕事だ。言葉は悪いけれど、目の前の土を食って背後にクソを残し前に進むミミズのように、言葉を読み(食い)、書く(吐く)作業を延々と繰り返す。そうすることで、ミミズが通ったあとの土壌のように、言葉も豊穣になると信じている。

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私が今回いただいたのは、言葉を「疑う」「信じない」ための本を選べ、というお題である。この記事の担当編集者が、「『疑う』という世間知の力が落ちてきているのではないか」「そのことを考察してほしい」と言うのだ。

正直に言うと、これはじつに難しいテーマだ。なぜかというと、「読む」という行為は、目の前にある言葉をひとまず「信じる」ところから始まるからだ。

これは「本に書かれている主張や内容を、鵜呑みにしろ」ということではない。額面どおりに「ひとまず受け入れた」上で、「さて、ここに書かれていることは本当だろうか」「自分はそれを信じられるだろうか」と問い返してみる。それが、いわゆる批判的読書というものだ。書かれた言葉を信じつつ、書かれている内容を信じすぎないなんて難しいと思うかもしれない。でもそれは、本当にそんなに難しいことだろうか? 
 

信頼できないものが押しつけるイメージ操作と立ち向かうために

著者
伊坂 幸太郎
出版日
2010-11-26

たとえばミステリは、そういう読み方が求められる小説の形式だ。作者がフェアに仕掛けた謎を読者が解く、という意味でもそうだが、それだけではない。伊坂幸太郎の代表作の一つ、『ゴールデンスランバー』を思い出してみよう。

この作品では物語の冒頭、仙台駅前を車でパレード中の金田総理大臣が爆殺される。1963年にアメリカで実際に起きたジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件を連想させるが、なぜ伊坂はこんな小説を書いたのだろう? 

主人公の青柳雅春は、総理大臣暗殺犯の濡れ衣を着せられ、国家権力に追われるハメになる。一度は青柳を捕らえた警察庁警備局の総合情報課長補佐・佐々木一太郎は、「指名手配される前に自首する機会」をやろうと取引を切り出す。引き換えに情報をコントロールし、世間に対して情状酌量のイメージ操作をしてやるというのだ。

この小説で伊坂幸太郎が描くのは、こうしたイメージ操作にいかに人はたやすく騙され、社会的な記憶さえもが「書き換え」られてしまうか、ということだ。

もちろん青柳はこの取引を拒否する。そして彼の逃亡を大学時代のサークル仲間やかつての恋人が助ける。青柳に向けて親友の森田はいう。「人間の最大の武器はなんだか知ってるか?」「さあ」「習慣と信頼だ」。イメージ操作に対して有効に抗うための一つの根拠が、ここにある。

国家権力や巨大なコンピュータシステムといった存在は、デカいがゆえに信じられない、信じるべきではないという立場を伊坂はつねにとる。伊坂の小説では、「善」と「悪」とは必ずしも対立しない。対立は、信頼できる者とできない者との間で、あるいは「大きなもの」と「小さなもの」との間で起きる。

善意であれ悪意であれ、デカいやつらが力ずくで押し付けてくるものに、伊坂作品の登場人物は小さくてとるに足らない者同士のネットワークの力で立ち向かう。そこには嘘や悪が含まれていてもいい。なにしろこの作品で青柳の逃亡を効果的に助けるのは、「キルオ」とあだ名される連続殺人犯なのだから。

皆が信じる善悪の構図は果たして正しいか

著者
高木 徹
出版日
2005-06-15

「善意」と「悪意」という相反する要素をもつ人類が行う、もっとも大きな行為が戦争だ。あらゆる戦争は愚行であり、「善い国家」と「悪い国家」が戦うわけではない。でも戦争は多くの場合、「善」と「悪」との戦いとして報じられる。ドイツや日本は第二次世界大戦で悪役を振り当てられた。いまも多くの戦争が、善悪の構図で報じられている。

近い過去の例でいうと、かつて南ヨーロッパにあった「ユーゴスラヴィア」という国が崩壊する過程で、1991年から92年にかけて激しい内戦が起きた。このときに(おもにNATOによって)「悪役」を振り当てられたのは、旧ユーゴ内の大国セルヴィアだった。それに対して小国のボスニア=ヘルツェゴヴィナは「被害者」の役を演じた。私を含めて多くの日本人がこの構図を疑わなかった。しかしそれは、必ずしも事実ではなかった。

軍事力において劣勢のボスニア=ヘルツェゴヴィナは、アメリカの大手PR会社ルーダー・フィン社に依頼し、国際的なキャンペーンを打つことで優位に立とうとした。同社はナチスの所業を思い出させる「民族浄化」という言葉をたくみに用い、結果的にセルヴィア=悪という構図が国際的に定着した。この本の著者・高木徹は、NHKのディレクターとしてユーゴ内戦の実情を取材するなかでその事実に行き当たり、この本を書いた。

政敵を直接的にナチスになぞらえたり、「ホロコースト」のようだと表現したりするのは西欧ではタブーであるらしい。「民族浄化」というキャッチフレーズは、政敵に悪のレッテルを貼りつつ、ぎりぎりのところでタブーを回避するという、PR会社が手がけた絶妙な仕掛けだった。戦争当事国でもない国の一企業が貼ったレッテルを、広く世界が「真実」だと信じたのだ。

政敵を安易にファシスト呼ばわりすることしかできない日本のリベラルは、せめてこの本を読んで一から出なおしてほしい。政治について、メディアについて考えたい人にとっての必読書である。

タコツボ化するインターネットが隠しているもの


※『閉じこもるインターネット〜グーグル・パーソナライズ・民主主義』を改題

 

著者
イーライ・パリサー
出版日
2016-03-09

マスコミは嘘をつく。政府も信じられない。それよりはネットに載る情報を信じたい。そう思う人が増えている。ある意味、それは自然なことだ。なにしろネット上には自分と似たような人がたくさんいる。普通の人の普通の言葉は、政府や大企業、マスコミの言葉より信じられる。

まさに伊坂幸太郎が『ゴールデンスランバー』で描いた「小さくてとるに足らない者同士のネットワーク」、それがインターネットだ。そう信じられた時代がかつてあった。でも、いまのインターネットは、もはやそうではない。

TwitterもFacebookもGoogleも、アルゴリズムの力によって、ネットを見ている人間にもっとも快適な世界を、個別にカスタマイズして見せてくれる。事実そのままではなく、まるで小説のような、いや、どんな小説よりも心地良いフィクションを。

ネット上で市民運動を行う団体をいくつも立ち上げ、さまざまな実践をしてきたイーライ・パリサーが書いた『フィルターバブル』は、インターネットがすでにいくつものバブル(泡)のような小部屋によって隔てられ、人々は気づかないうちにその中に閉じこもっていることを、いちはやく指摘した本だ。

目に見える分かりやすい敵だけが、本当の敵なのではない。自分に似た者ばかりに囲まれた快適な世界のほうが、自分をダメにしてしまうもっとも悪質な罠なのだと気づくことは、とても大事なことだ。
 

本当に信頼できる言葉にたどり着くために必要な力

著者
星野 智幸
出版日
2015-09-11

ここまで書いてきたようなことを、デビュー作以来、一貫して書き続けてきた稀有な現代作家が星野智幸である。現時点での最新長編『呪文』は、まさにインターネット上の「自分に似た者ばかりに囲まれた快適な世界」がもたらす悪夢が、現実世界の小さな商店街をディストピアに変えていくさまを描いた傑作だ。

この小説には、さまざまなレベルの言葉が書き込まれている。主人公の内面描写もあれば、ネット上の典型的なデマ文書もある。自己啓発的なメッセージや政治的なスローガンもあれば、ほろりとさせられる人間のナマの言葉もある。それぞれの言葉が、登場人物のカラーを際立たせている。

でも、この小説を読みながら、「この登場人物は悪役だ」「この登場人物はいい人だ」と腑分けをすることには意味がない。この世に絶対的な悪人はほとんどいないし、その反対に、絶対的な善人もいないからだ。

もっともらしく目の前に示される言葉の前でいったん立ち止まり、自分なりの経験に照らして検討してみることは、単にだまされないためというよりも、自分自身をよりよく知るためにこそ、必要なプロセスだ。本当に信頼できる言葉にたどり着くには、まず、それを求めてしまう「自分」というもののあやふやさを知らなければならない。

情報過多の時代に人間のアイデンティティが揺らぐさまを、悪の存在を認めつつ描く星野の小説は、伊坂幸太郎と思いのほか近いところにあるような気がする。
 

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