『楢山節考』を聞いたことがあるでしょうか。苦しく切ない物語を描く深沢七郎は、実はとても面白い人物でした。作品の魅力と、作者の魅力両方を感じ取ってみませんか。
深沢七郎は1914年、山梨県にて生まれました。小説家であり、ギタリストでもあるという稀な経歴を持っています。
1956年、姨捨山をテーマにした『楢山節考』を発表したところ、当時の文豪三島由紀夫に大絶賛され、ベストセラーとなりました。
心筋症を患ったのちは、執筆活動を一旦やめて、東京で今川焼屋を始めるのです。その後執筆した『みちのくの人形たち』で谷崎潤一郎賞を獲得します。
主人公のおりんは、もうすぐ70となります。おりんが住んでいる信州の小さな村では、70になると山へ捨てられるという風習がありました。おりんは、山へ行く日のために支度を整えています。しかし、孝行息子の辰平は気が乗りませんでした。
しかし、おりんの家では食料が尽きかけてしまったため、とうとうその日がやってきます。
- 著者
- 深沢 七郎
- 出版日
- 1964-08-03
この作品は短編集ですが、1番の代表作である「楢山節考」を紹介したいと思います。
姨捨、という名称は聞いたことがあるでしょうか。姨捨伝説ははるか昔からある伝説で、長野県の北部に存在すると言われています。食料が少ない貧しい村の、生き延びるための対策として、年を取った老人を山に捨てに行くという風習です。
この作品の主人公であるおりんは、姨捨山に行くことをためらうどころか待ち望んでいました。むしろ、神様のもとに行くという考えを持ち、抵抗はありません。
逆に気落ちしていたのは息子で、ためらいながら母を連れていくのです。息子がおりんを背負って山へ向かうシーンには胸を打つものがあります。しかし、妻のためを思うと、そして子供や孫のことを思うと、食料を最小限にするためにもしかたがないのです。
最初、心情を描かれるのはおりんでした。しかし、おりんが山へ置いていかれた後は、息子の心情が描かれます。捨てられる気持ちと、捨てる気持ちを感じられ、捨てる方の責任を知ることが出来るでしょう。
生きていくために生きている人を見捨てる、という構図が巧みに描かれている作品と言えます。
現代の70歳と言えば、元気に働くお年寄りもたくさんいる印象です。しかし、昔はそうではなかったこと、そして伝統的に伝わっていた日本の文化を存分に感じることが出来るでしょう。
笛吹川沿いに住む貧しい農民一家を、6世代にわたって語る作品です。
笛吹川がある甲斐では、当時武田家が天下を取っていました。一家が世代を超えるたびに武田も世代交代し、信虎、信玄、勝頼と代わっていきます。武田の勢いがつく前から全盛期、そして衰退までを追うとともに、その被害を受けた一家を描いていくのです。
- 著者
- 深沢 七郎
- 出版日
- 2011-05-11
甲斐が都に近ければ、武田が天下を取ったかもしれない、というくらい、当時の武田家は勢いがありました。武田の名は現代でも全国に知られており、強いイメージが残っているかと思います。
しかし、当時甲斐に住んでいたただの農民にとってはどのような存在だったのでしょうか。
深沢七郎は山梨県出身で、当時のことは知らないといえども、武田信玄の過去の栄光はとても身近な存在でした。信玄の栄光を描いた作品は多く存在しますが、その当時の貧しい農民を描いた作品は少ないのではないでしょうか。
貧しい一家は、世代を後退しながら無慈悲に死んでいきます。悲しさあふれる内容ですが、深沢七郎独自の淡々とした語り口で、生命の儚さを描いている部分がとても印象に残るのです。
弱い立場ながら一生懸命生きようとするも、幸せになることがない一家の姿を見続けるのはとても心が痛みます。でも実際、権力がない弱い人間たちは、当時このような形で生きていたのかもしれません。
しかし、死ぬたびにまた命が生まれます。世代がどんどん受け継がれていく様は、仕方ない中にも生きていっている貧しい者たちの象徴となっているのではないでしょうか。
武田家のために生き、殺されながら、それでも武田家に忠誠を誓う農民一家の姿に、生きるとは何かを考えさせられること間違いなしです。
深沢七郎の交流関係や、日々のことを綴ったエッセイです。当時有名な作家であった、正宗白鳥、井伏鱒二などとのおもしろおかしい交流を描いています。
深沢の人柄を知ることができるとともに、当時の作家たちの交流や、会話を知ることができる貴重な一冊ともなっているのです。
- 著者
- 深沢 七郎
- 出版日
- 1987-11-10
ここまで紹介してきた『楢山節考』、『笛吹川』の内容から、深沢七郎のイメージを浮かべていた方、必見です。作品から、深山七郎は堅い性格なのかと思われがちですが実際はひょうきんでおもしろい性格をしています。
作品の前半は日記で、文豪たちとの交流を描いていきます。中には、本当にあったの?と思えるようなエピソードや、自分が恥じていることなどをあっけらかんと語っていくところが見られるでしょう。文豪の家に急に赴いたり、有名な作家を知らなかったり……深沢の性格が表れているようなエピソードがたくさんあります。
ほんとうに大人なのか?と思えるほど素直で純粋で、見ているこっちが楽しくなってしまうかもしれません。深沢七郎の裏表のない小説は、この素直さから生み出されるものなのかもしれないと感じることでしょう。
後半は、ポルカと称してエッセイを綴りました。『楢山節考』の裏話、どんな思いで描いたのかも収録されています。自分の好きなものを書いただけなのに、評価され「実存主義」と言われ、それはなんなのか。というような内容もあり、何とも不思議な人物であるという印象を受けます。
この作品に関しても、面白いことを書こうと思っていたわけではなく、ただ面白くなってしま他のでしょう。作品と評価のみで、作家の印象を決めてはもったいないのかもしれませんね。
おなかを抱えて笑ってしまうこと間違いなしの一冊です。ぜひご覧ください。
深沢七郎が考える「庶民」の姿があらわされていることで有名なこの作品です。老人から若い人まで庶民であり、庶民とはどういうものなのか?を短編の形式で綴っていきます。
庶民、という言葉は良くないイメージがあるかもしれませんが、これを読むと庶民の魅力が存分に伝わってくることでしょう。
- 著者
- 深沢 七郎
- 出版日
- 2013-01-23
序章では、庶民とは何か、について深沢の考えを示します。序章によると、深沢自体は庶民ではないらしいのです。小説家は庶民には入らないという理論で、深沢は除外されます。
しかし本文中には、もしかして彼は庶民に憧れているのではないだろうか、むしろ庶民が大好きなのではないだろうか、と思える記述が目立つかもしれません。
そのため、何度も「庶民」という言葉が出てきても違和感を感じないのです。庶民だからこその魅力が存分に詰まっています。
代表的な庶民の姿として紹介するのは、「おくま噓歌」です。
庶民のお婆さんが主人公であります。気が強く、見栄っ張りなお婆さんの姿は、まさに庶民といえるでしょう。どこか滑稽だけれど、なぜかいとおしい姿が、深沢の考える庶民なのかもしれません。
また、他にも庶民の姿が描かれます。強情で、嘘つきで、見栄っ張りな庶民の姿は本当にどうしようもありません。しかし、だからこその人間味と面白さが浮かんでくるでしょう。
序章に出てくる印象的なセリフ、「庶民ですねー」が、実に的を射ています。庶民の魅力を感じ、自分でも「庶民ですねー」とつい言ってみたくなるような作品といえるでしょう。
深沢七郎は、執筆した作品によって起こっ事件をきっかけに放浪し、1965年に埼玉県で「ラブミー農園」という農園を開きました。農園での農家としての生活や、作家としての生き方を知ることができる1作です。
深沢にとっての暇つぶし、人生とはどのようなものだったのか垣間見てみましょう。
- 著者
- 深沢 七郎
- 出版日
- 2010-10-13
内容は、深沢が考えることを淡々と記していくものです。本人にとっては普通のことをしゃべっているだけなのかもしれませんが、少し人とずれている考えを持っている深沢の言うことはどれも深いものに思えます。
「悩みは、人生のアクセサリーみたいなもの」
(『生きているのはひまつぶし』より引用)
この言葉は、悩むよりものらりくらりと生きている深沢の人生観が現れているのかもしれません。
また、世の中についても言及していきます。
「金や功名とかで権威のある名をつけるのは、悪魔の仕事」
(『生きているのはひまつぶし』より引用)
事件によって放浪し、職を転々としていた彼ならではの発言ともいえるこのセリフには、世の中の誰かに向けた想いが込められているのかもしれません。
際立つのは、彼が人生についてどう思っているか、の部分の名言です。
「何も考えず、何もしないで生きることこそ人間の生き方だと思うね。虫や植物が生きていることとおなじようにね。それで自分自身に満足があればいいわけ。生きていることが青春なんだよ」
「オレには生きていることが青春だからね。死ぬまではずーっと青春の暇つぶしだね。」
(『生きているのはひまつぶし』より引用)
生きていること自体が青春と考えている深沢七郎の意見に、思わず肩の荷が下りたような気持ちになります。
一生懸命生きるよりも、自然体で生きていくことが人間にとっていいのではないだろうか、という深沢の気持ちが伝わる作品です。
重い内容の小説を書いた作者ではありますが、その中身は純粋で素直な人でした。そんな姿を見ながらも、深沢の人生観や世界観についても知ることのできる5冊になっています。興味の湧いたものからでも、ぜひお読みください。