『世界の中心で、愛をさけぶ』は、誰もが知っているであろうベストセラー小説。映画化、ドラマ化を果たし、何らかの形で目にしたことがあるかと思います。今回はその原作者である片山恭一の作品5冊をご紹介致します。
片山恭一は1959年、愛媛県で生まれました。高校の時に脳腫瘍で倒れた経験があり、その時に読んだ万葉集の解説本が、将来文学を志すきっかけだったと語ります。
その後九州大学の農学部に進みますが、小説家になるために博士課程を中退しました。副業で塾の講師をしながら小説を書いていたそうです。
福岡の文芸同人誌の「らむぷ」で活躍し、大学院在学中、1986年に『気配』で文学界新人賞を受賞しデビューしました。その後、『世界の中心で、愛をさけぶ』を発表。これが目に留まり、一時期「せかちゅう」ブームを巻き起こしました。2004年には、発行部数がなんと国内最多の306万部にまでなったのです。
著作には青春ラブストーリーが数多く見られますが、死生観をもとにした作品もあります。
インターネット上で仲間になったのは、スピード、クッキー、ピラニア、ソックス、という4人の少年少女でした。突然彼らはインターネットを通じて、現実の世界から本物のバーチャルの世界に体ごと迷い込んでしまいます。
そこから脱出するためのキーワード、それは「空のレンズ」。果たして彼らはバーチャルの世界から脱出し、現実の世界に戻ることはできるのでしょうか。
- 著者
- 片山 恭一
- 出版日
- 2006-03-15
ソックスは女の子で、後の3人は男の子というこの4人は、インターネット上での仲間でした。顔を見たことがない関係でしたが、ある時、現実世界で奇跡的に4人が対面するのです。4人は、そんな偶然が起こるはずがないと考え、誰かが仕組んだことではないかと議論を交わしました。
最初は世界観についての説明が難しく、誰かの夢を聴いているかのようなふわふわした印象を持ちます。SFと言い切っていいのかわからないような、そんな立ち位置の作品なのではないでしょうか。
しかし、読み進めるごとに内容が分かって来て、キャラクターたちの魅力や世界を感じることができるようになります。
第1章の題が「デジタルチルドレン」となっていることからもわかるように、デジタルの世の中を生きていく子供たちの姿を描いていると言えます。インターネット上で出会った彼らが、現実の中で偶然出会い、現実とデジタルの狭間の世界に行き、彼らはどちらが本当の世界なのか次第に分からなくなってしまうのです。
語り手が中高生なだけあって、語り口はとても若いです。まるでただ話しているだけのような文体は、読みやすく感じます。まるで自分に語りかけているような文章に、自分も仲間に入ったような気分にさせられることでしょう。
2001年9月11日、アメリカ同時多発テロが起こった日です。本作に描かれているのは、9・11が発生した後の世界を、喪失感を抱えながらも生きる4人を主人公の姿。
どんな状況に置かれても、人は生きていかなければならないという、強いメッセージが込められています。今を生きる人々を描いた作品です。
- 著者
- 片山 恭一
- 出版日
4作品が独立して語られ、登場人物も異なりますが、少しずつ、リンクしている部分が出てきます。4人の主人公たちは、それぞれ大きなものを失ったことがありました。喪失感というものは、人の人生も大きく左右していくのです。
4作の中から1つ、「百万語の言葉よりも」を紹介します。
主人公の女性の旦那さんが、突然死してしまいます。悲しみに暮れる彼女に、更なる悲しい事実が告げられました。なんと、旦那さんには愛する女の人が他に居たのです。
しかし、それは前世からの決まり事で、全ては縁だった、というものでした。
前世からの決まり事、というのは本当に存在するのか、では自分の前世からの決まりごとは何なのか。そう考えたくなるような作品です。
この作品の根底にある物は、「生きるということは何か」ではないでしょうか。喪失感にあふれながらも生きていかなければならない人たちの姿を知ることが出来ます。
そして、自分にとっての「生きる」とは、「死ぬ」とは何なのか、を考えさせられる小説です。
システムエンジニアをしてる俊一と、その妻である冴子は、周囲と一定の距離を保ちながら生きています。人と打ち解けるのが苦手な代わりに、お互いを頼りに充実した人生を送っていました。
ある時、子どもを産めない体の冴子の姉・泉から代理母になってくれないか、という依頼を受けます。その時から、冴子の様子がおかしくなっていくのです。
- 著者
- 片山 恭一
- 出版日
- 2009-10-06
一見純愛ものではないかと勘違いしますが、人間の闇を感じるような、恐ろしい物語ともいえるのではないでしょうか。
冴子は、おなかが大きくなるにつれ精神をおかしくしていきます。近所を徘徊し、挙句の果てに川へ身を投げ込もうとするのです。しかし、その様子を見守るのは夫の俊一でした。止めることなくただ見守る姿に、誰の神経がおかしいのかわからなくなります。
夫婦関係は良好に思えますが、2人とも人と打ち解けるのが苦手です。しかし、2人で生きていこうと決断しました。それでもなお、同じもの同士、傷をなめ合っているようなうわべだけの関係だったのかもしれません。
このほかにも、夫婦の周りには精神を病んだ人物たちが多く登場します。彼らもまた、なんらかの原因があって病に至ったのでしょう。絶望感にさいなまれる人物たちが多くいる中で、冴子のおなかの中では「生」の象徴ともいえる赤ちゃんが育っています。
新しい命を誕生させる準備は、止める間もなく進んでいくのです。それに反し、冴子の「生きる」ことへの絶望感もまた進んでいきます。この作品もまた、生と死を中心に描かれていると言えるでしょう。
その対比の部分もまた、巧みに描かれた小説だと言えます。
投資信託の運用会社で働く男性・永江は、40歳目前にして離婚をしました。その後、あるきっかけで同級生だった由希と再会します。
お互いに気になる存在となった2人でしたが、やがて由希は心肺に病気が見つかりました。由希はこれ以上苦しみたくないと、永江に自殺の手伝いをしてほしいとお願いするのです。
- 著者
- 片山 恭一
- 出版日
- 2009-02-06
『世界の中心で、愛をさけぶ』のイメージとは大きく異なった、感動だけではない読後感がそこにはあります。病気で亡くなるだけが死ではないのだということをかんじることでしょう。
主人公も、周りの人間も、生と死について深く考えていきます。答えの出し方は人それぞれですが、死は自分以外にも、不幸をもたらすものであると感じることでしょう。
この作品は、会話から物語が進むものというよりも、ひたすら主人公が考えを述べていくという形式をとっています。登場人物も考え、こちらも考えさせられるという小説になっているのではないでしょうか。
生と死をテーマにした、独特な世界観を持つ作品と言えるでしょう。哲学書のような魅力のある本作、ぜひ読んでみて下さい。
片山は、ふとしたことで哲学者である森有正のエッセイを手にします。
森有正とは、日本の哲学者であり、フランス文学者です。小さいころからキリスト教に入信し、フランス語を学びます。大学卒業後は、様々な大学で哲学史の講義をした人物でした。その後日本に永住帰国を決めたものの、病気となり、パリで滞在している時に亡くなった人物です。
森の生き方から、現代人はどのように生きていけばいいのか、と言う部分を語る哲学書です。
- 著者
- 片山 恭一
- 出版日
- 2014-09-05
この作品のサブタイトルは、「森有正と生きまどう私たち」とされています。森有正の死生観を基に、生きまどう現代人の生き方を哲学的に解説していく形式をとっているのです。
なぜ森は、パリで死ぬことになったのか?という部分を、彼のエッセイになぞらえて詳しく追及しています。
生きることに必死で、死ぬことなど気にもできない世の中ですが、こんなに一生懸命生きてきたのに、死ぬときは適当に、というのはもったいないです。自分の基盤となったパリで亡くなった森の信念をとても素晴らしく思うことでしょう。
死を考える、ということは同時に人生を考えることでもあります。この作品を読むと、自分はどう生きていきたいのだろうか、そして、死ぬとしたらどんなところがいいのか、と、普段考えない気持ちが浮かんでくることでしょう。
生と死を多く描いた片山ならではの研究書をぜひ読んでみて下さい。
いかがだったでしょうか。片山恭一は、『世界の中心で、愛をさけぶ』以外にも多くの作品を描き、「生と死」をテーマにしています。「セカチュウ」を知っているだけでは、片山の世界にまだまだ足を踏み入れたとは言えません。ぜひ、今回紹介した作品も読んでみて下さいね。