幼いころに母と死別して寂しい子供時代を過ごし、童話の世界に才能を認められた矢先に病のため29歳で永眠した新美南吉。人間の内面を深く見つめ、孤独と病気の苦しみの中から生まれた作品は、心の通い合いと信頼や良心について考えさせられる名作ばかりです。
新美南吉は1913年に愛知県で生まれました。本名は正八(しょうはち)。生後まもなく亡くなった兄の名でした。4歳で母が病没し、養子に出されるなど寂しい子ども時代を過ごしました。
中学2年の頃から童謡や童話を作り始め、16歳では童謡や童話を雑誌に多数投稿し同人誌も発行。
19歳で東京外国語学校(現・東京外国語大学)英語部文科に入学、雑誌『赤い鳥』に『ごん狐』が掲載されます。その後『手袋を買いに』を創作するなど才能を発揮しますが、幼い頃から健康に恵まれず、21歳の時喀血。
22歳で『でんでんむしのかなしみ』などの幼年童話を多数創作し、23歳で東京外国語学校を無事卒業しますが、再び喀血。24歳の時には病気と孤独の中、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』で人間のエゴイズムと愛について洞察する日々を送ります。25歳で恩師のはからいで安城高等女学校(現・安城高校)の教諭として勤務。
27歳の時結婚を考えていた女性が死去。その後腎臓を患い、初めての童話集『おじいさんのランプ』を出した直後の29歳喉頭結核のため永眠。
教師だった童話作家として宮沢賢治と比べられることもある新美南吉。感情を超えた真理を追求し続けた賢治とは対照的に、人間の内面世界を深めようとした南吉。しかし、苦難の中においても真の人の道とは何かということを、諦めること無く模索し続けた姿勢には、同じ魂を感じられるでしょう。
『ごんぎつね』は、いたずらな狐ごんと百姓の兵十に起こったある出来事を描いたお話。
一人ぼっちの子狐ごんは、村中の畑を荒らすいたずら狐として有名です。雨上がりのある日川べりを散歩していると、百姓の兵十が必死に川の中で魚を取っている姿を発見した子狐のごん。いつものいたずらグセが出て、兵十が捕まえた魚を川に逃し、巻きついてきたうなぎを首に付けたまま逃げ出します。しかしその日の兵十は「こらあ、ぬすっとぎつねめ」と叫ぶだけで、追いかけては来ませんでした。
- 著者
- 新美 南吉
- 出版日
- 1986-10-01
十日ほどすると、村で葬儀の列がありました。位牌を持っているのが兵十です。ということは、亡くなったのは兵十のお母さんに違いありません。兵十のお母さんは、死ぬ前に一度うなぎが食べたい、食べたい、と言いながら死んだに違いない……あんないたずらしなければよかった、とごんは後悔します。
同じ独り身になった兵十。ごんは罪滅ぼしのつもりで魚売りの籠からいわしを取ってきて兵十の家に投げ込みます。いいことをしたと思ったごんですが、兵十はどろぼうと間違われ魚屋にさんざんな目にあわされてしまうのです。
次の日からは、山で拾った栗やまつたけを毎日そっと兵十の家に置いていくことにしました。それを不思議に思う兵十。いったい誰が何のために?との兵十の疑問に、それはきっと神様の仕業にちがいない、と村の仲間は答えます。なんだか割に合わないなあ、と思うごん。
そんなある日、兵十は自分の家に入り込むいたずら狐の姿を目撃します。兵十は火縄銃を素早く手に取り……。
「ごん おまえだったのか いつも くりを くれたのは……(略)
兵十は、火縄銃をバタリと、取り落としました。青いけむりが、まだ筒口から細く出ていました。」(『ごんぎつね』より引用)
お爺さんから聞いた昔話、という形で始まるやさしく美しい語り文体。五感豊かに状況や心情が表現されていて、まるでその場に居合わせているかのような臨場感です。まだ雨のつぶが残る穂、黄色く濁った水、キュッといって巻き付くうなぎ、彼岸花と白い着物、ポンポンポンという木魚……と読んでいる方にも情景が伝わってきて、どんどん話の中に引き込まれてゆきます。
ごんや兵十の心の様が胸に迫ってくる、新美南吉の代表作です。子供だけでなく大人にも読んでいただきたいオススメの名作です。
『でんでんむしのかなしみ』は、自分の殻の中に悲しみがいっぱいつまっていることに気づいてしまったかたつむりのお話。
ある日、でんでんむしは大変なことに気づきます。今までうっかりしていたけど、背中の殻には悲しみが詰まっているではないか、この悲しみをどうしたらよいのか、と。
友達のでんでんむしに出会い、もう生きていられない、と涙ながらに訴えます。自分はなんて不幸せなんだ、という言葉に友達は、私の背中の殻の中にも悲しみはいっぱいです、と答えるのです。
- 著者
- 新美 南吉
- 出版日
- 1999-07-01
そんな答えじゃ仕方ない、と他のでんでんむしのところへ行き、同じことを訴えます。ですが、その友達もまた、あなたばかりじゃなく私の殻にもかなしみがいっぱいです、と言うのでした。
納得できないでんでんむしは、知り合いという知り合い全てのでんでんむしを訪ね、自分がどれだけ不幸かを話すのですが、全員が、私の殻の中にもかなしみがいっぱい、と返事をするのです。そしてでんでんむしは悟ります。
「かなしみは だれでも もっているのだ。
わたしばかりでは ないのだ。
わたしは わたしの かなしみを
こらえていかなきゃ ならない。」(『でんでんむしのかなしみ』より引用)
挿絵のでんでんむしの殻の中には、もにゃもにゃとした実体のないような、うごめくものがいくつも描かれています。ヘビ同士が噛みつきあっているもの、チクチクした棘が飛び散ったようなもの、血の池地獄のようなもの……悲しみとはこのような苦しみでもあるのか、と気付かされるような絵です。
淡い日本画画材による優しい色彩で統一された中、最後の場面だけは明るい黄色ででんでんむしが描かれ、背景の深い青との比較から、あたかも光輝いているかのよう。今までページの端でそっとでんでんむしを見守り続けてきたカマキリはガッツポーズ。雨上がりのユリの葉の上、でんでんむしは前だけを見つめます。
「このでんでんむしは もう なげくのを やめたのであります。」(『でんでんむしのかなしみ』より引用)
仏法説話のようで、まだ子どもにはよくわからないお話かもしれません。しかし人生の岐路でこのメッセージが現実味をもって感じられるようになったり、はっと思い出して自分の壁を乗り越える助けになったりするだろう名作です。ぜひ読んでみてください。
『手ぶくろを買いに』は、子狐がひとりで人間のお店に手袋を買いに行くお話。
ある朝、子狐が眼に何かささったから早く抜いてちょうだい、と母さん狐を驚かせます。しかし、目には何も刺さっていません。母さん狐は穴の外に出て気づきます。太陽の光をキラキラ反射させる、真っ白な雪。ドサーっと音を立てて落ちる雪。その幻想的な光景は、子狐にとって初めての経験だったのです。
目の次は、お手々が冷たいと訴える子狐。母さん狐はしもやけになっては可哀想だと手袋を買いに行くことにします。
- 著者
- 新美 南吉
- 出版日
親子の狐は月夜の雪の平原を共に街へ向かいますが、人間の街の灯が見えてくると、母さん狐の足はすくんでそれ以上進めなくなります。昔知り合いの狐が人間にひどい目にあっていたことを思い出してしまったのです。
そこで、母さん狐は子狐の片手を人間の子どもの手に変え、ひとりでこの手に合う手袋を買っておいで、とお金を握らせます。人間はひどい生き物だから、絶対に間違えてはいけませんよ、と何度も注意して。
子狐は母さんに教えてもらった帽子の形の看板を探して戸をたたき、この手にぴったりの手袋ください、と戸の隙間からお金を差し出しますが、間違って狐のままの方の手を入れてしまいます。
お店の主人はお金は葉っぱではなく本物だな、と確認してから、子狐に手袋を渡してやりました。心配して待っていた母さんに、人間は怖くなかったよ、間違えて本当の手を出したけど手袋をくれたし、捕まえられなかったよ、と伝えます。
お母さん狐は、「まあ!」とあきれ、
「ほんとうに人間はいいものかしら。
ほんとうに人間はいいものかしら。」(『手ぶくろを買いに』より引用)
とつぶやくのです。
ママ、ママ、と追いかけてきた幼子も成長し、親と離れて行動する時期がやってきます。はじめてのお使い、初めての保育園、はじめてのお泊り……親の心配をよそに、子どもはしなやかにたくましく行動できているものです。親世代の偏見やトラウマを超えて、純粋な心で平和な関係や世界を作っていく力を子供たちは持っている、きっと大丈夫、と勇気づけられる気もします。
まだまだ甘えたい盛りのお子さんにも、もう一人で何でも出来ると自信たっぷりの時期のお子さんにも、そして子どもの成長を常に気にかけ見守っているお母様方にも。親子で読んでいただきたいお話です。
『にひきのかえる』は、2匹の蛙が喧嘩した後、仲直りできるまでが描かれたお話です。
緑の蛙と黄色の蛙が畑の真ん中でばったり出会います。互いに相手の色を汚いと罵るのです。緑の蛙は飛びかかり、黄色の蛙は蹴飛ばす大喧嘩に。春になったら勝負をつけてやる、その言葉忘れるな、とひどい言葉を互いに吐き捨てながら冬眠を迎えます。
- 著者
- 新美 南吉
- 出版日
冬の間、お互いの土の上はびゅうびゅうと北風が吹いたり、霜柱がたったりしますが、春が近づくにつれて土はどんどん温かくなってきます。
蛙たちの背中も温まり、2匹は穴から出てきました。去年の喧嘩、忘れてないだろうな、と言いつつも、泥んこの体を先に洗うことに。新しく湧き出た水は気持ちよく、すっかりきれいになった緑の蛙は「めを ぱちくりさせ」黄色の蛙を美しい色だ、と褒めます。黄色の蛙も緑の蛙を褒め……簡単に仲直りできてしまったのでした。
「よく ねむった あとでは、
にんげんでも かえるでも、きげんが
よく なる もので あります。」(『にひきのかえる』より引用)
仲良く肩を組んで笑顔で踊っている2匹の挿絵がとても微笑ましく、なんとなく兄弟喧嘩を彷彿とさせるようなお話でもあります。どっちもどっち、もう寝なさい!というベテラン母さんの采配を思い起こさせるようなお話です。ぜひ親子で、兄弟で読んでみてくださいね。
『がちょうのたんじょうび』は、がちょうの誕生日におならが激しいイタチを呼んだことで巻き起こる騒動を描いたお話です。
がちょうの誕生日。イタチが悪者ではないことは知っていますが、おおっぴらに言えない癖があるので招待しようかどうしようか迷います。しかしイタチだけ呼ばないとなると、きっと怒るに違いありません。
- 著者
- 新美 南吉
- 出版日
そこで決しておならをしないでください、とお願いして来てもらうことに。
ところが、イタチはごちそうを食べている最中にひっくり返って気絶してしまいます。食べ過ぎでしょうか、お腹がぽんぽこです。お医者さんに診てもらうと、おならを我慢しすぎたせいだから、思いっきりおならをさせると治ります、との診断。皆は顔を見合わせため息。イタチを呼ばなければよかった、と全員が思うのです。
おなら話は小さな子どもも大好きでしょう。困っている皆や恥ずかしがっているイタチそれぞれの反応はほのぼのとした笑いを誘います。シンプルで短いお話ながら、それぞれの立場の気持ちがわかりやすくユーモラスに描かれていて、相手の気持ちが分かるようになってくる時期のお子さんに特におすすめです。
苦難を深く見つめ味わい尽くした人生だったからこそ生まれた、温かさと思いやりに満ちたユーモアなのでしょうか。
この本は童話集になっていて、他に9話が収められています。新美南吉の新たな魅力を発見できる一冊ですので、親子で読んで、たくさん笑ってください。
様々な苦難の経験と人間の内面を深く洞察することから生まれた新美南吉の作品。一度読むと決して忘れることができない程の衝撃を受けるものが多く、人生のあらゆる場面で思い起こされ、時には迷っている時の進むべき指針となってくれることもあるでしょう。悲しみ苦しみ恐怖の中であっても希望や笑いを見つける力にもなってくれそうです。ぜひ自分の助けとなるような一冊を見つけてくださいね。