村上春樹『スプートニクの恋人』のおしゃれな比喩表現を集めて解説してみた!

更新:2017.6.26

村上春樹の持ち味といえば、やはりおしゃれで時折シニカルな比喩表現があります。氏の作品のなかでも、その独特の比喩表現がこれでもかと発揮されているのが『スプートニクの恋人』。今回は作中で出てくる名言・迷言をご紹介すると同時に解説していきます。

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奇妙な三角関係から始まる物語『スプートニクの恋人』

東京の大学を卒業し、小学校の教師となった主人公「ぼく(作中ではKと呼ばれる)」は、大学生の頃に出会った破天荒で世間知らずな、まるで嵐のように気性の激しい女の子「すみれ」に恋をしました。彼女は小説家志望で、常にジャック・ケアルックの文庫本を持ち歩いて暇があればそれを読み、気に入った文章を紙に書き留めてお守りにするという少々変わった女の子でした。

ある日、すみれから深夜にとつぜん電話がきます。話を聞くとどうやらすみれは「恋」したようで「ぼく」にとっては寝耳に水な話でした。そしてさらに衝撃なのは、すみれが恋した相手はなんと「ミュウ」という女性だったのです。

著者
村上 春樹
出版日
2001-04-13

村上春樹は刊行されるたびに解説本が出るほど毎回話題になりますが、この『スプートニクの恋人』が1999年に刊行されたときも批評家による解説本が書店にたくさん出回りました。そしてどの書評にもかならずといっていいほど引用されていた作中の言葉があります。それは「理解というものは、常に誤解の総評である」という文言です。この言葉は作中ですみれによって語られるものであり、村上春樹の代表的な名言として取り扱われる言葉でもあります。

物語の後半ですみれは行方不明になるのですが、その手がかりを探すために「ぼく」が見つけたフロッピーディスクのなかに上記のこの言葉を書いてある文書が見つかるのですが、とにかくこの散文(すみれが書き散らした独り言のようなもの)が名言・迷言のオンパレードなんですよね。しかもけっこう長く書かれており、その内容はというと、単なる独り言のようなものから、この世の真実とはなんだろうというような哲学的なものまでつまっていて、しばし村上春樹の小説の中で1位、2位を争うくらい難解な部分といわれています。

では、なぜこの小説はこんなにも入り組んでしまったのかは後半に解説するとして、すみれによるシニカルな名言をもうひとつご紹介。主人公の「ぼく」がくだらない冗談をいってその場を和ませようとしたときにすみれが放った強烈なひとこと「くだらない冗談を燃料にして走る車が発明されたら、あなたはどこまでも遠くにいけるわよね」。このひとことをいわれた「ぼく」はぐうのねも出ないほどに黙り込んでしまいます。ここには皮肉と冷笑と呆れが共存しており、読む人はここにちょっとした含み笑いを得るのでした。

もうひとつ作中の名言をご紹介しましょう。本作の主要人物のひとりでもあり、なによりすみれが恋に落ちる女性「ミュウ」がいった言葉。「結局いちばん役に立つのは、自分の体を動かし、自分のお金を払って覚えたことね。本から得たできあいの知識じゃなくて」。この言葉はしばし本を読みあさって少しでも知識を得ようとする人たちにはドキっとする言葉かもしれません。本を読むことはけっして悪いことでないし、ヒロインであるすみれも小説家志望で本をとても愛しています。そんなすみれに対してバッサリと本を読むことに対してストレートすぎる真実を放つわけですね。そしてこの言葉をいわれた直後に、すみれはミュウに完全に恋をしてしまうのですから彼女のなかでは相当衝撃的だったことが伺えるでしょう。

さて、村上春樹の中でしばし1位、2位を争うくらい難解な本書ですがそれにはいくつか理由があります。いわゆるこの作品から氏の物語のスタイルが大きく変わった分岐点といわれるからです。1人称で書かれることが多かった氏の小説のひとつの集大成として『スプートニクの恋人』が書かれたといっても過言ではありません。この作品以降、氏の扱うテーマや文体がガラリと変わったといわれており、それゆえに本作は作者本人も語っているように「詰めるだけ詰め込んだ」作品になっているようです。ゆえにカオスで、挑戦的な仕上がりになっておりしばし難解と評されるのでしょう。

名言や迷言は、やはり作ろうと思っても作れないのが現実です。読む人が大きく頷いたり、頭からいつまでも離れない強烈なフックのあるものが人々に語り継がれてやがて名言となっていくのでしょう。本書は難解と言われてますが、ストーリー自体は読みやすいものに仕上がっているのでわかりやすいストーリーに飽きてしまったひとは冒険してみるような気持ちで読んでみるのもいいかもしれませんね。