子どもにとって絵本とは、世界の広がりを体験できるだけでなく、読み聞かせてくれる誰かとのかけがえのない時間を与えてくれるものです。大切な子どもに読み聞かせたい名作おすすめ絵本と、読むときのポイントも紹介します。
表紙の絵には仲良く楽し気に橋を渡っている様子の三匹の山羊がいますが、この三匹の行く手には、大変な恐ろしい生き物が待ち受けていたのです。
三匹は三匹ともに同じ名前の「がらがらどん」。仲良く山へ草を食べに行きます。山へ向かう三匹の行く手に現れたのは大きなつり橋と、その下でこちらを見ている大きなトロルでした。最初に橋を渡ったのは一番小さな山羊のがらがらどんです。トロルが脅かすように声を上げると、小さな山羊は「次にわたる山羊のほうが、大きくて食べがいがある」などと言い……。
- 著者
- 出版日
- 1965-07-01
ギョロリとした目つきや、毛だらけの風貌が恐ろしいトロル。山羊達に勝ち目などないと思ってしまいそうなものですが、一番大きな山羊のがらがらどんは、大きな角と固い石のようなヒヅメでトロルを撃退することに成功します。
恐ろしいトロルのイラストは山羊が食べられてしまうのではないか、というドキドキハラハラした気分を盛り上げくれて、大きな山羊のがらがらどんの勇ましい姿は読み手を痛快な気分に導いてくれるでしょう。
古典作品ならではの表現方法もこの絵本の魅力の一つです。火かき棒やでんがく刺しという言葉に、「山に太りに行く」(『三びきのやぎのがらがらどん』からの引用)というめずらしい表現もあり、絵本を読んだからこそ触れられる魅力のひとつですね。
一番大きな山羊の力強さを強調するようにダイナミックに読み聞かせれば、子ども達は絵本の世界に入り込み、トロルを打ち負かす爽快感をより強く味わえること間違いなしです。
小さくて頑丈なおうちが、大自然の真ん中に建つところから物語は始まり、その家を取り囲む環境が何世代も経て目まぐるしく変わっていく様子が描かれています。
建てたばかりの頃は、リンゴの木が風に揺られて踊る姿や、月や星が煌めくのを眺める事が出来たのに……ちらほらと目に付いていた馬車はいつの間にか自動車に姿を変え、道路や線路が整備され、その家は高層ビルに取り囲まれてしまうのでした。
25階建てのビルと35階建てのビルに挟まれて、月も星も見えなくなってしまった家を目に止める人はもういません。しかしある時、その家を作った人の孫の孫のそのまた孫にあたる女の人が現れ、彼女が再びその家を大自然に囲まれた素敵な場所に連れて行ってくれるのです。
- 著者
- ばーじにあ・りー・ばーとん
- 出版日
- 1965-12-16
どのページでもイラストの中心部に家があり、周りの風景だけが目まぐるしく変わっていきます。家そのものに大きな変化はないはずなのに、アパートができて駅ができて、家を覆い隠すようになると、家がみすぼらしいような悲しいような表情を見せるのです。
ビルが広い空を覆ってしまうことや、発展していけばいくほど忙しなくなる街の人たちの姿を見ると、人にとっての豊かさとは何なのだろうと考えさせられるのではないでしょうか。発展がすべてなのか、自然に包まれ、季節を感じる生活こそ尊いのではないか。そんなメッセージがこの絵本から伝わってくるようです。
文章は長めではありますが、ページごとの風景が少しづつ移り変わっていくので、前のページとの違いを楽しむように読み進めることができます。感情の大きな波が巻き起こるような作品ではありませんが、淡々と読んであげる事で聞くほうは物語に引き込まれていくことでしょう。
表紙の絵を見たら、一見普通のクレヨンに見えますが、実はこのクレヨンは、大きなゾウのクレヨンなのです。一本の大きさは、なんと猫と同じくらいの大きさで、ゾウはその長い鼻を使って器用に絵を描いていきます。
大きなクレヨンで描かれる絵のダイナミックさは、青いクレヨンで丸い円を描きだせば、カエルがそれを池と勘違いしてしまうほど! 赤いクレヨンで大きく絵を描くと、動物たちは火事が起きたのかと驚いて逃げだしたり、黄色いクレヨンで長い楕円形を書くと、世にも大きなバナナが現れたと!勘違いした動物たちをガッカリさせたりしてしまうのです。
ついにはライオンに叱られてしまったゾウですが、それほど気にしていない様子でゾウはクレヨンを持って走り出します……。
- 著者
- 長 新太
- 出版日
- 1993-04-09
クレヨンの大きさが常識ではありえないほどのものですが、子どもにとってはさほど違和感を感じる事ではないのかもしれません。想像力を最大限に働かせて、こんなクレヨンがあったら何を書きたい? と子どもに問いかけながら読み聞かせるのも良いですね。
カエルが池と勘違いするほどの大きな落書きや、動物たちが火事だと勘違いするほどの赤いクレヨンの絵。子どもには自由に大きく、制限をせずに思う存分絵を描いてほしいものです。ライオンがゾウを注意しても、へこたれずに自分の好きな道を突き進むゾウの背中は、心から応援したくなるような雰囲気をまとっています。
読み終わったら子どもにどんどん絵を描かせてあげたくなる、そんな絵本です。
人気シリーズの中の一冊ですが、この絵本は最後にニコッと笑顔になれる結末が待っています。
大好きなねみちゃんに、木の上の赤い実を取ってほしいと頼まれたねずみ君。ねみちゃんの願いを叶えてあげたいと思うねずみ君でしたが、高い所は怖くてどうも苦手です。尻ごみしているねずみ君を見たねみちゃんは意気地なしという冷たい言葉をかけてしまいます。
落ち込むねずみ君の前に現れたのは大きくて強いぞうさん。ぞうさんは長い鼻を器用に使って木の上の赤い実を簡単に取ることができるのでした。ねずみ君は自分にできないことを簡単にやってのけるぞうさんを見て、落ち込んでしまいます……。
- 著者
- なかえ よしを
- 出版日
自分以外の誰かをうらやましく思うことは、誰にでもあることです。そんな気持ちを感じた時、ねみちゃんがねずみ君の優しさに気づいた時のように、自分にもいいところがあるという事を、この絵本を振り返って思い出してほしいと思います。
ぞうさんは大きくて強いけれど、ウンチは大きいし、大きすぎる足でお花を踏みつけてしまいます。ねずみ君はその優しさでウンチを片付け、傷ついたお花を治してあげるのです。ぞうさんとねずみ君の大きさの違いや特徴の違いを意識しながら読んであげると、聞いているほうの子どもがより深く物語に入り込んで楽しめるのではないでしょうか。
この物語には、ふと疑問に思ったことを母親にたずねる子どもと、それに優しく答えてくれる母親のやり取りが描かれています。子どもは自分の部屋から空を見て、だんだんと昼の気配が消えて夜がやってくるのを残念に思うのです。
空も子どももモノトーンで描かれているので、読み手は文中に出てくる空の色をそれぞれの記憶から引き出して想像することができます。それによって読み手は、より主人公の男の子の気持ちに寄り添うことができるのではないでしょうか。
子どもは母親に、風が吹いたらどこへ行くのか、タンポポの種はどこまで飛んでいくのか、自分の見えない場所に向かって伸びている道のその先はどうなっているのかと問います。母親はその疑問の一つ一つに丁寧に優しく答えてあげるのです。
- 著者
- シャーロット・ゾロトウ
- 出版日
自分の目に映る何かが終わってしまっても、それは形を変えて新しい始まりになっていく、そう母親が優しく話して聞かせると、子どもは安心するのではないでしょうか。
自分の目の前で昼がおしまいになっても、自分のいない別の場所では新しい昼が始まっていると思えることは、子どもの視野を広げるだけでなく、「終わってしまった」という喪失感を和らげてくれるように思えます。自分や身の回りで起きる出来事を一つの視点で見るのではなく、あらゆる視点から見つめることの重要さを教えてくれる作品です。
ゆったりとした親子のやりとりは温かい雰囲気に包まれていて、どこか心癒されるものがあります。子どもが眠れない夜には、この絵本を優しく語り掛けるように読んであげると良いかもしれません。
『スイミー』や『フレデリック』などの人気作品を世に生み出しているレオ・レオニの作品です。この物語に登場するカメレオンは、いかにもカメレオンらしく背景の色に染まってしまうのでした。
カメレオンが背景の色に染まるのは自然なことのように思えますが、主人公のカメレオンは自分だけの色が欲しくなります。そして、変わらない自分だけの色を求めて旅に出るのです。
彼が行きついた先は葉っぱの上でした。そこでじっとしてれば、きっと色が変わってしまうことはないだろう。そう思ったカメレオンでしたが、季節が巡ると、葉っぱの色は変わっていき、ついには落葉とともに地面に落っこちてしまうのです。
失意のカメレオンが旅を続けると、ある年長のカメレオンに出会い……彼の物語りは大きく変化していきます。
- 著者
- レオ・レオニ
- 出版日
- 1978-04-01
自分の色を持っていないことで感じる不安というのは、「何者かにならなくてはいけない」という気持ちに似ているのではないでしょうか。カメレオンがもう一人のカメレオンに出会う前と後で、心が成長していることが伝わるように読んであげるといいかもしれません。
子どもが大人になる時、社会の一部になるため自分の居場所を見つけなくてはいけない、と焦ってしまう時が来るかもしれません。そんな時にこそ、この絵本を読み返してほしいと思います。
自分以外の誰もがゆるぎないそれぞれの色を持っているように見える、そんな世界の中で息苦しさを感じている大人にも、ぜひ読んで欲しい一冊です。
駅のホームで電車を待っていた馬のはいどうさん。暑かったせいで脱いでいた帽子を駅のベンチに置き忘れてしまうところから物語は始まります。
通りがかったきつねのとりうちくん。馬のはいどうさんが置き忘れたカッコイイ帽子を見つけ、手にとってトイレに行き、鏡の前でかぶってみるのです。するとなかなか似合ったので、とりうちくんはそのまま町に繰り出します。とりうちくんはその時、お風呂セットの入ったかごをトイレに置き忘れてしまいました。
トイレに用を足しにきた豚の三吉がかごを拾います。一週間もお風呂に入っていなかった三吉はこれ幸いとばかりにお風呂に入ってきれいさっぱりいい気分。三吉が落としたシャンプーがうしの山口さんに、うしの山口さんが落としたキャラメルが山羊のよし子さんに、よし子さんが口を拭ったハンカチがクマののぶ子さんにわたるのです。
- 著者
- スズキ コージ
- 出版日
- 1994-09-15
誰かが落としたものを勝手に自分のものにしてしまうなんて……最初はそう思うかも知れませんが、物語を読み進めるにつれて、落とし物を拾った動物たちがそれぞれの幸せを掴んでいく姿がほほえましく感じられる事でしょう。
それぞれの動物たちについた名前も人間のような親しみを感じられる名前で、個性的なキャラクターばかりです。名前を強調しながら読むのも面白いと思います。読み聞かせる季節が夏でなくても、夏の日の暑さやむっとする湿気を含んだ空気を肌で感じられるような臨場感のあるイラストです。
ラストシーンでは馬のはいどうさんとキツネのとりうち君がすれ違います。はいどうさんはとりうち君の帽子を見て自分のものかな? と一瞬疑問に思いますが、その疑問も暑さにまぎれてどこかへ消えてしまいます。このシーンでのはいどうさんの心の変化は、多くの人が共感できるのではないでしょうか。
それぞれのページの中心となるキャラクター以外の動物たちも生き生きしていて、読み返す度に新しい発見がある作品です。
100万回も生き、100万回も死んだことがある猫。誰に飼われていても、どんな場所で暮らしていても、猫はそばにいる人を愛することはありませんでした。でも、猫が死んでしまうと、その飼い主は誰もが声を上げて泣き、心のどこかが死んでしまったような気持ちにとらわれているようです。
猫は自分が死んだことによって飼い主がどんなに泣いても、その悲しみを理解しているようには見えません。そんな、誰のものでもない野良猫として生きた猫でしたが、白い猫に出会ったことで、変わります。猫は自分が誰かを愛するという初めての経験をして、自分よりも好きな人がいる幸せをかみしめます。
そして猫が愛した白い猫が死んだとき、猫は初めて声を上げて泣くのです。
- 著者
- 佐野 洋子
- 出版日
- 1977-10-19
大人の心にも深くしみいるこの作品は、100万回生きた猫がついに白い猫に出会えて、その命を全うできてよかったと思える作品です。自分よりも誰かを愛するという経験をすれば、生きることの本当のすばらしさを感じられる。この絵本からはそんなメッセージを感じられるのではないでしょうか。
猫が白い猫に出会い、その内面が変わっていく様子を、猫の声色で表現しながら読み聞かせるのがおすすめです。
「死」や「愛」というテーマが子どもに伝わりづらいのではないかという思いもあるかもしれません。子どもにとってはすぐに理解できなくても、読み聞かせてもらったストーリーや猫の泣きじゃくる表情などが心のどこかに残る事でしょう。そしてそれは、いつか子どもが「死」や「愛」について考える時、人生を前向きにとらえるための記憶の一つとして役に立つのではないでしょうか。
主人公のジョンが勉強しに行こうとすると、なぜかいつも信じられないような邪魔が入ってしまいます。マンホールから現れたのは大きなワニ。ワニはジョンの鞄を引っ張り、綱引き状態になってしまいます。ジョンが手袋を一つ投げつけると、ワニはやっとあきらめてくれました。
先生がジョンを遅刻だとせめるので、ジョンはワニに出会ったことを話します。しかし先生はそんな事信じません。ジョンは罰として、もうワニの嘘をつきませんと300回も書かされてしまうのです。
次の日に現れた邪魔者はライオン。その次の日に現れたのは、なんと高潮でした。先生は毎日遅刻するジョンに腹を立て、大変な罰を与えるのです。
- 著者
- ジョン・バーニンガム
- 出版日
- 1988-09-01
とうてい信じてもらえないような出来事ばかりに襲われる不憫な主人公ですが、物語のラストには胸をすくようなオチが待っています。
自分のことを信じてほしいと言う子どもの思いと、理不尽な態度でそれを信じようとしない大人の姿は、自立心が大きく成長していく小学生くらいの子どもの心に訴えるものがあるのではないでしょうか。大人は大人の常識でしか物事を見ていない……そんな思いを胸に抱きながらも口に出さずにいる子どもにとっては、きっと最高に楽しめる一冊です。
小さなジョンが、明らかにおかしなことだとわかっていながらも誠実に事実を話す姿は清々しいものです。読み聞かせる時は、最後にゴリラが先生を捕まえた所で、大人の口真似をするようにすこしおませな感じで読むと盛り上がることでしょう。
切り絵作家である滝平二郎の、趣深い切り絵がノスタルジックな雰囲気を醸し出すこの作品は、豆太という5歳の少年が勇気を出すことによって奇跡の光景を目にするという素敵な物語です。
主人公の豆太はとてつもない臆病者で、夜中にトイレに行く時は必ずおじいさんを起こすのでした。庭に生えたモチモチの木が、夜になるとオバケのように見えるからだと言います。
豆太の父親は、熊に立ち向かって行った戦いの末に命を落としまいましたが、それだけ勇敢な男でした。おじいさんだって、64歳の今でもアオジシを追いかけるほどの勇敢さなのに……。豆太はどうして臆病なのか、おじいさんは不思議でなりません。
ある日の夜におじいさんが腹痛で苦しみだすと、豆太は勇気をだしてモチモチの木を通り過ぎ、医者を呼ぶために裸足で走り出します。そして、その帰り道に豆太は、おじいさんの言っていたモチモチの木に灯が灯る奇跡の光景を目にするのです……。
- 著者
- 斎藤 隆介
- 出版日
- 1971-11-21
表紙の絵は暗いイメージで、恐ろしさを感じる子どももいるかもしれません。でも、恐ろしい場面はどこにも登場せず、恐ろしさを感じている子どもの視点だけが描かれているのです。
たった5歳の豆太は、おじいさんがいてくれないと夜にトイレに行けないほど臆病なのに、おじいさんが死んでしまうかも知れないと思った途端、泣きながら裸足で家を飛び出し、おじいさんを助けるために医者を呼びに行きます。
貧しさと霜月(11月)の寒さがイラストから伝わってくる内容ですが、そんななかで互いを思いやり、大切にしあうおじいさんと豆太の姿が、読み手の心を温めてくれるのではないでしょうか。豆太を応援するような気持ちを込めて読んであげると、聞いている方がより物語に入り込めるかと思います。
この絵本に描かれているのは、5歳の男の子の素朴な疑問から始まり、地球の歴史をたどるほどスケールの大きな答えへとつながっていく物語です。
5歳の男の子は自分の父親の父親、つまりは自分のおじいちゃんに興味を持ちます。自分のおじいちゃんはどんな人だったのか、しかしおじいちゃんに会うと、こん度はおじいちゃんのおじいちゃんがどんな人だったのかに興味を移します。そしてその疑問は延々と、おじいちゃんのおじいちゃんをさかのぼっていく旅へとつながるのです。
- 著者
- 長谷川 義史
- 出版日
- 2000-07-01
子どもの頃には、自分の命がずっと昔から誰かがバトンをつなげてくれた上に成り立っているということなど、考えもしないでしょう。命の尊さなんて言葉を聞かされるよりも、この絵本を読み聞かせるほうがずっと、自分は命のバトンを受け取ったのだということを実感でき、その命を大事にしようと思えるのではないでしょうか。
命という重いテーマの絵本であるにも関わらず、おじいちゃんをさかのぼるという物語の構成と、「ひいひいひいひい……」と「ひい」が続く展開は読み手の笑いを誘います。読むほうは大変ですが、淡々と読み続けましょう。
一枚一枚のページにその時代を感じさせるものが描かれているのもまた味があって、目を楽しませてくれます。かしこまった言葉ではなく、楽しみながら命について教えたい人はぜひこの絵本を手に取ってみてください。
空を見上げることが好きな子どもなら、一度は考えたことがある疑問かもしれません。月がどこからやってきたのか、どうやってできたのか。グリム童話の中に収録されているこの作品のなかでは、月はある四人兄弟が盗んできたものだと説明されています。
四人の兄弟が住む場所の夜空に光はなく、夜が来るといつも真っ暗なのが普通でした。でもある時、夜の空に月が浮かぶ場所があると知った四人兄弟は、あろうことかその月を盗みに行くのです。
月が浮かぶその場所では、住人達が月に油を差したり、掃除をしたりもします。月に油を差すというのがまた、ユニークな発想で子どもたちをひきつけることでしょう。
- 著者
- ジェームズ・リーブズ
- 出版日
- 1979-04-01
四人兄弟は月を盗み、それから長い年月が過ぎました。四人が亡くなってから、死後の世界にまでもお話は及びます。
四人兄弟は死の間際に、盗んできた月を四分の一づつ自分の墓場に持って行くのです。そのせいで死後の世界が明りがなくなってすまいます。子どもにとって死後の世界とは、とてつもなく遠い場所のように感じられるかもしれません。しかしこの絵本の中では違和感なく当たり前のように死後の世界について語られています。
月を盗んだり、切り取ったり、油を差したり、現実ではありえないような出来事も、さも当たり前の事のように読んであげることで、聞き手は不思議な世界に包まれていき、読み聞かせの時間がさらに盛り上がることでしょう。
大人気でシリーズ化された絵本の第1作目です。999個の卵から、カエルの子ども・オタマジャクシが生まれます。次々に成長していく兄弟たちの中でいっこうに卵から出てこないのんびりやさんが一人……それは一番最初に生まれたお兄さんでした。
998匹のオタマジャクシが順調に成長し始めると、いまだに眠っている卵を、お母さんカエルがしかりつけます。それはどこかの家の朝の光景のようで、読み手の笑いを誘うことでしょう。
前半はほのぼのとした雰囲気で子どもたちの成長が描かれていますが、ずっと眠っていたのんびり屋のお兄さんオタマジャクシが、ヘビに襲われるシーンからはハラハラドキドキのスリリングな展開が待っています!
- 著者
- 木村 研
- 出版日
- 1989-05-01
子どもの大好きなオタマジャクシが沢山登場するこの物語は、川や池が温かくなる春先に読んであげたいものですね。998匹の兄弟たちが力を合わせてお兄さんオタマジャクシを助けるシーンは、子どもと一緒に声を合わせて読むと盛り上がります。
のんびり屋のお兄さんオタマジャクシがヘビから逃げるうちに、ヘビ結びが出来上がるシーンは絵本の中で一番盛り上がるシーンです。読み聞かせ会では大型絵本を使えば、子どもたちはオタマジャクシになったつもりで大切な兄弟たちを応援してくれるのではないでしょうか。
カエルのお母さんの喋るシーンでは穏やかな口調で、オタマジャクシ達が喋るシーンでは元気いっぱいに読み聞かせてあげると、子どもたちも夢中になってくれるかもしれません。
目の前に立ちはだかる壁がどんなに多くても高くても、それを乗り越える方法を見つけていく少女がとても可愛らしく描かれた絵本です。
主人公のまあちゃんは、長い髪の少女二人を見て、自分はもっともっと長く髪を伸ばすの、と言い出します。まあちゃんがどれほど髪を伸ばすのかと言うと、橋の上からおさげを川に垂らして釣りができるほどなのだと言うのです。
それを聞いた友達は、そんなに長い髪をどうやって洗うのか、どうやって櫛を通すのかとまあちゃんを問いただします。まあちゃんの想像力はその質問を受けて花開いていくのです。
- 著者
- 高楼 方子
- 出版日
- 1995-08-10
まあちゃんとその友達が長い髪について、ああでもないこうでもないと想像を重ねておしゃべりする姿がとても可愛らしく、読んでいる方はついつい笑顔がこぼれます。
長い髪の友達に負けたくない!というまあちゃんの負けず嫌いな気持ちが生み出す想像力の産物には、大人は脱帽するかもしれません。長い髪に天まで届くソフトクリームのようなシャンプーをしたり、長い髪のおさげを木に括り付けて洗濯物を干したり。本当にそんな事が現実になったら素敵だな、と友達までもが共感するエンディングがとても微笑ましいものです。
まあちゃんのセリフを読むときには、希望にあふれたまあちゃんの心を想像しながら読んでみましょう。この絵本を読み聞かせてもらう女の子の中には、髪を伸ばしたらこんなことがしたいと想像を膨らませる子が続出するかもしれません。
思ったことを歯に衣着せず、ストレートに口にすることは、時に人を傷つける場合があります。この絵本の主人公のリビーは、母親に嘘をついてしまった事で嫌な気持ちになり、それからはもう、嘘をつくのをやめようと心に誓います。
それからのリビーの毎日は、嘘をつかずにすむ分素晴らしいものになるかと思いきや、そうはいきませんでした。お友達が素敵なドレスを着てみんなの前に登場した時、靴下に穴が開いていることを口に出してしまうのです。せっかく素敵なドレスでみんなの前に立った友達は、とても傷つきました。正しい事を言うことが良い人間関係に繋がるかというと、そうでない場合も多いということを学ぶことができます。
- 著者
- パトリシア・C. マキサック
- 出版日
- 2002-05-01
人間関係はいくつになっても難しいものですが、幼い子どものうちに、言葉のむずかしさを教えられるこの本は貴重だと思います。
読み聞かせの時には、リビーの心の内を想像しながら、時には意地悪な感じに、時には弱弱しく反省しているように読むと、子どもたちはきっと物語に引き込まれていくでしょう。
本当の事を言う時にも、意地悪な気持ちがあると相手を傷つけることがある、それを知ったリビーが素直に友達に謝る姿は感心でき、尊敬もでいます。本当の事を言う時にも、相手を思いやる優しい言葉を選べば伝わるかもしれない。リビーが悩み、自分なりの答えを見つけていく姿は、子ども達のお手本となってくれるのではないでしょうか。
いかがでしたか。今回紹介した絵本のうち、いくつかは大型絵本にもなっているので、子どもたちが集まるイベントなどでの読み聞かせ会にもとてもおすめです。テレビやゲームでは味わうことのできない絵本の魅力は、読む人が子どもに伝えたいことを向き合って伝えられるところです。絵本を通じて子ども達が夢中になる顔を見てみたい。そんな願いをかなえる一冊が見つかることを願っています。