村上春樹の作品は発刊されるたびに毎回さまざまな意見が飛び交います。大量入荷のわりに売れ行きがあまり良くなかったという話もある本作ですが、今回は『騎士団長殺し』の意見が大きく分かれるポイントを解説していきたいと思います。
都会で肖像画を描く仕事をしていた主人公「私」は、とつぜん妻に離婚してほしいと言われ、離婚届を渡されます。ショックのあまり「仕事をしばらく休む」と仕事仲間にいい、車で東北地方を走り回るのですが、その道中で大学時代の友人から、祖父の別荘に住んでみないかと提案されるのでした。高名な画家であった彼の祖父は、現在は認知症施設に入所しており、別荘は買い手が見つかるまで放置されてしまっているとのことで、主人公はその別荘にしばらく住んでみることにしました。
ある日の夜遅く、寝ていた主人公はどこかから聞こえてくる鈴の音で目が覚めます。その音は毎晩決まった時刻になり始め、きまったタイミングでなり止むのでした。いったいこの鈴の音の正体はいったい?
- 著者
- 村上 春樹
- 出版日
- 2017-02-24
どんな作品でもそうですが、第1部というのは(そこから第2部、3部と続く場合)多くのキャラクターが登場します。『騎士団長殺し』の第1部である「顕れるイデア」編でも例にもれず多くの人物が登場していき、それぞれの抱えている事情や彼らの複雑な状況を知ることができます。
さて、今回の『騎士団長殺し』はなぜそんなに賛否両論が激しいのでしょうか。村上春樹の作品をこれまで読み続けてきた人でも「今回も面白く読めた」という人と「期待はずれだった」という人に激しく分かれます。春樹の小説は、痛烈に批判する人は毎回痛烈に批判するし、賞賛する人(いわゆるハルキスト)は徹底的にほめたたえますよね。これほど読む人の意見が分かれる作家もめずらしいのですが、この『騎士団長殺し』がおもしろいのは、これまで春樹作品を好んで読んできた人が今回は批判しており、あまり楽しめなかった、と首をひねっているのです。いったいこれはどういうことなのか。
理由はいくつかありますが、まずは批判的な意見で多いのは「(これまでの作品にくらべて)全体的にスケールが小さく、こじんまりとしている」「くどい」「パターンが過去作といっしょ」という声が主に上がっています。未読の方はここから多少ネタバレを含みますが、『騎士団長殺し』では主な舞台が山奥の大きな屋敷なんですよね。ここでふしぎな現象や不可解な事件が起きるのですが、主人公が画家ということもあってあんまり場面が移動しないんですよね。屋敷のなかで絵を描いていたり、オペラを聴きながら料理をしていたり、たまに街に出て行ってもすぐにまた屋敷に帰ってきてしまいます。とくにこの第1部ではその傾向が顕著であり、前半は回想を除けば外に出ることがほとんどないのです。
パターンが過去作といっしょというのも、たしかに1994年の作品『ねじまき鳥クロニクル』と比較すると類似点がいくつか見受けられますね。どちらも奥さんがいなくなり、無職で、屋敷に閉じこもる、という設定です。同じ作家が書いているのだからある程度似ているのは仕方がないという声がある一方で「バリエーションが狭くなったのでは?」と筆の衰えを指摘する意見もチラホラ見受けられるようです。『ねじまき鳥クロニクル』は舞台は都心だったのに対し、今回は山奥の別荘地ということもあってますます浮世離れしている感が出てきてしまっているのかもしれません。
とはいえ、第1部はそのスケール感の小ささを補うかのように非常に魅力的なキャラクターが登場します。毎回、個性的なキャラクターが楽しい村上春樹の作品ですが、今回は主人公が別荘でほぼ隠遁生活のような状態ということもあってじつにさまざまな人物が主人公を訪ねてくるのです。ひとつ紹介するとすれば、第一部のタイトルにもなっている「顕れるイデア」が登場するのですが、これは身長は60センチ程度の主人公にしか見えない小人のような存在なんですよね。主人公のことを「諸君」といったり、「~ではあらない(~ではないという意味)」といった変わった喋り方をするのです。主人公を助ける役割をするかと思えば、大事な場面では素知らぬ顔をしてたりしてとてもコミカルな印象を読む人に与えます。
ほかにも近所の別荘に住んでいる胡散臭いダンディなおじさんである「免色(めんしき)」。中学生だが、多感で意志の強い「秋川まりえ」など、入れ替わるようにさまざまな人物が登場していき、氏のお家芸でもある読みやすさも手伝ってスラスラ読めること間違いなしです。
第2部ではその登場してきた人物たちの意外な過去や、主人公から離れていった「妻」が意外な事実があきらかになっていくのです。
大学時代からの友人であり、グラフィックデザイナーの雨田政彦の提案で、彼の祖父である「雨田具彦」の別荘に住むことになった主人公。屋敷でのふしぎな現象、第一部で登場した小人の姿をしたイデア(作中では騎士団長と呼ばれる)との出会いによって主人公である「私」はこの屋敷の持ち主である「雨田具彦」に興味を持つようになります。有名画家だった「雨田具彦」は、生涯誰にも見せなかった唯一の作品「騎士団長殺し」を屋根裏部屋に隠し、そのまま軽度の認知症を患い施設へ入所してしまいます。
主人公は友人の雨田政彦に頼み、彼の祖父「雨田具彦」が入所している認知症施設に行くことになるのでした。そこにはいつ迎えが来てもおかしくない状態の「雨田具彦」の姿がありました。
- 著者
- 村上 春樹
- 出版日
- 2017-02-24
『騎士団長殺し』の批評を左右しているといっても過言ではない第2部「還ろうメタファー」編。第1部はわりと好評な意見が多かったのに対し、第2部では強い拒否反応を示す人が多いようです。それはいったいどういうことなのでしょうか。
この第2部では日本・中国間のデリケートな問題である「南京事件」について書かれているのです。ここで作者は、「日本人が大量に中国人を虐殺した」という風に書かれているんですよね。これには批判が非常に多くあり「政治的な発言をしている」「世界的な作家なのだから、偏った記述するな」と厳しい声が聞かれます。売上が思うように伸びず大量の在庫を抱えることになった一因でしょう。
そのほかにも高級車についてのうんちくや芸術に関しての長い含蓄が「くどい」「ブルジョワ(高級志向)にうんざりした」とレビューに載せるひとも少なくないようですね。この辺は好みがはっきり分かれるところでしょう。
好評な意見としては、完全なネタバレになるのですが、一度は別れた奥さんともう一度やり直すんですよね。こういう展開はこれまでの村上春樹の作品ではけっしてありえなかったといえるでしょう。春樹作品はそのほとんどが人間の「孤独」について書かれたものであり、どこまでいってもどこか孤独感がありました。しかし今回はなんと「子供」も生まれるのです。ファンのあいだではけっこう盛り上がった描写であり「村上春樹もとうとう家族愛に目覚めたか」「真新しい一面をみた」といった意見があります。
どちらの意見も同じ割合いるようで、どのような捉え方もできる作品といえるでしょう。
読む人を非常に選ぶ作品ではありますが、登場人物の描写はいまのところだれも文句を言っておらず、むしろ今までで最高の出来なのではないかといわれるくらいクセのある人物(イデアも含めて)が出てきます。まだ未読の方がいましたら、あまり難しいことは考えず登場するキャラクターを追って読んでみると楽しめるかもれしませんね。
激しく意見が分かれる『騎士団長殺し』ですが、魅力のある作品というのはそのぶんショックが大きいために、激しく批判するひともいるでしょう。しかし時間が経ってみるとこれが不思議と違和感なく読めてしまったりするものです。こんなもの読みたくない、と思っているひともちょっと時間を置いてみてから本作に向き合ってみるのいいかもしれませんね。