大切な人に贈るプレゼントに「詩集」はいかがでしょう。言葉は身近過ぎて、普段あまり顧みることもありません。しかし、その中に多くの大切なことが秘められているのも真実です。言葉の芸術ともいうべき「詩」をプレゼントするなら、今回紹介する5つの詩集がおすすめです。
詩人「谷川俊太郎」と写真家「荒木経惟」、現代を代表する芸術家のコラボ作品。感性あふれる2人が、言葉と画像で共演しているというだけでも、一見の価値がある著作です。この限定された「本」という空間の中で、この2人の才能は、どのように展開されているのでしょう……。
- 著者
- ["谷川 俊太郎", "荒木 経惟"]
- 出版日
アラーキーこと荒木経惟は、青い空、白い雲、輝く太陽を、あえてモノクロで画面に留めています。それは、見入るほどに時間が凍り付いたような感覚に囚われ、どこかノスタルジックな感傷のようなものが湧き上がってきます。そこに、絶妙な距離を置きながら、谷川俊太郎の詩が配置されていくのです。
「あの空の波の音が聞こえるあたりに
何かとんでもないおとし物を
僕はしてきてしまったらしい。
透明な過去の駅で
遺失物係の前に立ったら
僕は余計に悲しくなってしまった」
(『写真ノ中ノ空』より引用)
この、谷川俊太郎の代表的な詩に対して置かれた荒木経惟の写真は、黒く縁取りをした画面の中央を光が抜けていくような構図を取っています。この画面と言葉から受け取るものは、読み手一人ひとり違うものです。だからこそ、その人の人生にとって、大きな意味のあるものとなっていくのでしょう。
巨匠と言われる2人の才能が開く世界は、いつも見ている空から様々な感情を引き出してくれる、プレゼントとして贈るのにも価値ある一冊です。
世界の美しい点を挙げて見て下さいと聞かれたとき、すぐに言葉にしようとして、意外に難しいと思う人も多いのではないでしょうか?
なぜなのでしょう……。
それは、常日頃、そういう事に目を向けていないから、いえ、そもそもそのような視点で物事を見たり考えたりすることがないからなのではないでしょうか。
優れた小説や映画との出会いは、そんな思考を引き出してくれる貴重な瞬間が詰まっているのです。
- 著者
- 長田 弘
- 出版日
- 2009-04-24
「うつくしいものの話をしよう。
いつからだろう。ふと気がつくと、
うつくしいということばを、ためらわず
口にすることを、誰もしなくなった。
そうしてわたしたちの会話は貧しくなった。
うつくしいものをうつくしいと言おう
……中略
何ひとつ永遠なんてなく、いつか
すべて塵にかえるのだから、世界はうつくしいと。」
(『世界はうつくしいと』より引用)
長田弘の「世界がうつくしいと」という詩には、筆者がうつくしいとする物事が、詩としてうたわれていくのですが、じっくり言葉を味わいながら読んでいくと、確かに、と納得できる描写もあるでしょう。
私たちが感じていることは、「自分」という窓を通してしか感じるができません。だからこそ、優れた芸術に接し、芸術家が持つ感性に触れることは、人生を通して大きな意味のある出会いとも言えるのではないでしょうか。
長田弘は、児童向けの詩を書いているということもあり、基本的に平易な言葉でつづられているため、親しみやすく、なおかつ奥深さを感じることができるものが多いので、大切な人への贈り物としてもおすすめです。
柴田トヨが詩作を始めたのが92歳。書き溜めた詩を集めて自費出版したのが98歳。
彼女の処女詩集『くじけないで』に収録された詩は、彼女が周囲に支えられ生きてきたことを創作の基本にして、いっさい気取ることなくつづっているため、真実味にあふれ、読者の心の支えになっていく力を有しています。
- 著者
- 柴田 トヨ
- 出版日
- 2010-03-17
「ねえ 不幸だなんて
溜息をつかないで
陽射しやそよ風は
えこひいきしない
夢は
平等に見られるのよ
私 辛いことが
あったけれど
生きていてよかった
あなたもくじけずに」
(『くじけないで』より引用)
長い年月を真摯に生きることによって得られる経験と、そこから生み出される思想は、現代が抱える悩みや悲しみにも通じるもので、次世代に受け継いでいきたい宝物です。その経験と思想を、肩ひじ張らずにつづっていく柴田トヨの詩は、素直にいいなと思えるものばかりで、大切な人と共有したい、素敵な言葉のプレゼントになる事でしょう。
関東大震災で生母を失い、その後、3人の義母を持つ中で、たくさんの妹弟との死別・離別を経験することになる、石垣りん。14歳という若さで学業を終え、銀行員として働き、戦前~戦後という激動の時代に、家族の生活を支えながら生きた人生には、想像を超える苦しみや悲しみもあったことでしょう。
その人生から紡ぎ出された言葉は、彼女の名前のように、凛とした強さを感じさせるものです。
- 著者
- 石垣 りん
- 出版日
「自分の住むところには
自分で表札を出すにかぎる。
自分の寝泊まりする場所に
他人がかけてくれる表札は
いつもろくなことはない。
病院へ入院したら
病室の名札には石垣りん様と
様が付いた。
……中略
精神の在り場所も
ハタから表札をかけられてはならない
石垣りん
それでよい。」
(『表札など』より引用)
普段、何気なく素通りしてしまう事柄でも、生きることで磨かれてきた感性には、このように映り、自分の生き方への戒めになっていくことが、まっすぐに表現されています。
大地震、戦争、空襲……生きることそのものが必死だった時代を生き抜き、そこから生み出される言葉は、現代人にとって、磨かれた宝石のように貴重です。
「戦争の記憶が遠ざかるとき、
戦争がまた
私たちに近づく。
そうでなければ良い。」
(『表札など』より引用)
当事者として実際に戦禍をくぐり抜けてきたからこそ、分かり得る「記憶」が、彼女の感性によって「言葉」に結晶したような詩です。切なさと悲しみが、命の尊さと共に、ある種の美しさを帯びながら詠い上げられています。大切な人にプレゼントして、一緒にいる大切な時間を感じてみてはいかがでしょう。
写真家・デザイナーとしても活躍した詩人、北園克衛。『カバンのなかの月夜』には、北園のグラフィックワークと造型詩が編纂されて収録されています。
インパクトのある表紙を見ると、とりあえず扉を開けて中へ入っていきたくなる、そんな不思議な魅力を放っています。そもそも、あまり聞きなれない「造形詩」とはいったいどんなものなのでしょう……。
- 著者
- 出版日
「プラスティック・ポエム」と呼ばれる造型詩は、一言で言ってしまうと、文字を使わない詩です。詩というのは、言葉ありきで成立するものなのではないのかという、根本的な概念を覆しています。実際、ページをめくると現れる、針金や石、洋書の紙片、タイヤなど、身近なもので構成された画面は、詩というよりもオブジェです。
そこに展開される空間に引き付けられ、見入っていると、感情を揺さぶる何かを感じることができるでしょう。それは、詩人の感性であり、その感性に共鳴した読み手の感性でもあります。
言葉というものは、日常生活で常に使用するものなので、受け手によって概念化されやすく、その奥底にある真意を伝えたいときには、得てして邪魔になってしまうことも多いものです。北園が「造型詩」を本書の表現手段に選んだのには、そこにあるのでしょう。
普段、言葉から考えることが当然になっているものにとって、この「造型詩」は、新鮮な感覚に触れることができる貴重な空間です。言葉では表現しきれないものを、大切な人と共に感じ、それについて話し合ってみるのも、お互いの間の距離が縮まるきっかけになるかもしれません。
詩人の感性に触れると、自分の感性も動き出します。忙しさに追われる日常生活の中で、このような機会を得るのは、なかなか難しいものです。詩集をプレゼントすることは、大切な人に、自分の中に眠っている感性に気づくきっかけをプレゼントすることでもあるのかもしれません。
心の中で光る言葉を、大切に思う人へプレゼントするには、この5つの詩集を候補に考えてみてはいかがでしょう。