異端の人――日暮れ方の図書館にて

異端の人――日暮れ方の図書館にて

更新:2021.12.13

作家のどこに惚れるか。作品に魅力がなくては惚れようがないわけだが、存外その容貌、佇まいも重要な要素かもしれない。 業界の先輩水戸華之介さんからいただいた、芥川龍之介がプリントされたポップなTシャツを気に入ってよく着ている。たいがい「おっ太宰?」「いえ芥川なんですよ」などという会話が交わされ、そうしてほぼ間違いなく相手はがっかりした顔をするわけなのだが、このことから見ても、いかに太宰治の容姿がキャッチーで、人がそこに魅力を覚えずにおれないかが分かる。

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高校生の頃だった。その時分よく僕は自転車でキャンプをしていて、十和田湖への行きだったか帰りだったか、七戸町の親戚へ一晩の宿を借りることになった。早く着きすぎたので、七戸町の図書館へ行った。そこで何の気なしに手に取った別冊太陽──タイトルは失念した。大正~昭和にかけて活躍した作家の写真を百人ほど集めたもの──がすこぶる面白かった。雰囲気のある顔ばかりで、写真を眺めているだけで小説を読んだ気分になってくる。志賀直哉はなかなかの男前だと思ったが、また少し健全すぎる印象も覚えた。

ひときわ目を引いたのは、夢野久作と稲垣足穂。この人たちの顔貌は、内側に抱え込んだ狂気やらA感覚とV感覚とやらがそのまま面に表れたかのような、奇ッ怪なものである。いうならスノッブさのない顔。常識も建前も皆消し飛んで、そこいらを歩いていたら相当に怖いであろう顔。どちらの小説もすでにかじってはいたが、ああやはり僕はこういう異端の人が好きなんだなと、日暮れ方の七戸町図書館の片隅で一人、再認識した次第である。

瓶詰の地獄

著者
夢野 久作
出版日
2009-03-25
サブカルをこじらせた人が必ず通るであろう道、夢野久作。『少女地獄』の面白さについうっかり『ドグラ・マグラ』に手を出してしまい、その途方もない狂気の迷宮にあえなく未読のまま……僕の周りにもそういう人がいっぱいいる。

夢野の小説は、何かヒューマニズムを描くとかそういった類いのものではない。饒舌な文体でもって執拗に、権威を破壊し狂気を演出する。狂人の描写は堂に入ったものである。「笑う唖女」のエベエベエベという嬌声は、僕も詩作に使わせてもらった。「狂人は笑う」中の崑崙茶の一節、本当に人心を惑わす崑崙茶なるものがあるかのよう、堕落への魅力という点ではド・クインシーの「阿片常用者の告白」より勝る。

「いなか、の、じけん」に入っている花嫁の舌喰いも好きな話。舌を嚥下するダルダルという擬音が秀逸。あまりに不謹慎な話のせいか、今では文庫化の際に外されてしまうのが残念。「鉄鎚」は名作。退廃的生活がやがて破滅を招く話だが、お得意の饒舌も適度に抑制され、文芸作家が書いた探偵小説の様相を呈している。本編が収録された『瓶詰の地獄』を、ここでは挙げておく。

一千一秒物語

著者
稲垣 足穂
出版日
1969-12-29
浴衣一枚でオートバイにまたがる写真とか、褌一丁で原稿を書く姿だとか、夕飯はビール二本だとか、晩年は自身の作品の校正に費やしただとか、どうしてもイメージ先行で浮かんできてしまうタルホ。それだけ人生即芸術だったのだろう。

タルホのワードとは何だろうか。ダンディズム、宇宙的郷愁、世紀末的感覚、ニルヴァーナ……。ハイカラーで形而上的で、まず生活に汲々とする様や恋愛に悶々とする姿は出て来ない。あの浮世離れした怪異な風体は、宇宙的郷愁の持ち主ゆえだろう。極貧を経たともいうが、キリストにダンディズムを見たタルホにとっては、褌一枚こそが洗練された身だしなみとなるのだ。

「一千一秒物語」は序文にもあるように、軽妙なタバコの味わい。煙だけ出てけっして腹に溜まらないシガレットは、実体を持たないニルヴァーナの象徴といってよかろう。主役は主に月やホーキ星で、しかつめらしい苦悩、まとわりつくような情緒といったものとは無縁。その散文的展開ともいうべき「天体嗜好症」は、登場するのが私と少年オットー、そして存在だけが示唆される紳士E氏と、これまたあくまで観念的である(男女の機微を離れているという意味で)。

ストイシズムというかニヒリズムというか、誰かに似ていると思ったら星新一だ。タルホの方がやや難解で、哲学と仏教の素養が散りばめられてはいるが(別に星新一が子供向けといっているわけではありません)。自伝的色彩の濃い「弥勒」では、その辺りの消息が語られているのだった。

村山槐多耽美怪奇全集─伝奇ノ匣

著者
村山 槐多
出版日
村山槐多は、デカダンの末二十代で夭逝した、画家であり詩人であり小説もものした人。主に画人として評価されている。

僕は村山槐多をどこで知ったのか。多分中学生の頃、ハヤカワ文庫か何かのアンソロジーで読んだのではないだろうか。それまで目にしていた探偵小説とは違う、異様な熱気と題材のグロテスクさに圧倒された。その時分に読んだのは「殺人行者」と「悪魔の舌」だったかと思う。後に僕は全集も買ったが、もともと小説の数が少ないゆえ、この二篇で十分に槐多の異常な世界に触れることができるはずだ。

「悪魔の舌」は、禁忌の食べ物の話。探偵小説の形式を採ってはいるが、主眼は明らかに詩人金子が人肉嗜食へと至る、その過程を描くことにある。壁土の美味さ、腐った野菜の喉越し、熱っぽい語り口に負けて、こちらも思わず涎が出てしまいそうになるのだから恐ろしい。

推薦の学研M文庫のものは既に絶版。「悪魔の舌」を読むだけなら、現行本としては『たんときれいに召し上がれ 美食文学精選』芸術新聞社、『極限の彼方(冒険の森へ 傑作小説大全5)』集英社、などがあるようだ。電子書籍ならすぐ読める。

村山槐多の風貌だが、キリッとしていてどこか優しそうなところもあり、案外と美少年である。友だちになりたい顔である。

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