医療を鮮やかに描き出す小説家、久坂部羊。医師としての経験がもたらした精密な描写と暗い世界観は見事で、読後は現代医療が抱える大きなテーマが胸に残ります。
久坂部羊は大阪大学医学部を卒業後、麻酔科医、外科医、医務官、在宅医療と様々な医療を経験した医師です。『廃用身』で作家デビューしたのは2003年。以後も精力的に作品を発表し続けています。久坂部作品の特徴として常に挙げられるのは、抜群のリアリティです。
では、そのリアリティはどこからくるのか?
それは読者に対して投げかける普遍性のあるテーマゆえでしょう。介護、ガン、認知症……久坂部作品でテーマになるのは、見たくはないけれど身近に存在するものです。誰もが確実に老います。病気になり、怪我をして、どんなに長生きしても絶対に死にます。
久坂部が扱うのは誰もが身に覚えのあるテーマなのです。だからこそ、自分の周辺で起きた話を聞かされているかのように感じてしまいます。
読後感は決して爽やかではないが、妙なリアリティとしっかりとしたテーマ性を感じる……そんな久坂部羊らしい5冊を紹介します。
タイトルにもなっている「廃用身」とは……麻痺してしまい、動く見込みがない手足のこと。
脳梗塞などが原因で「廃用身」を持つ老人は、介護する側にとって大きな負担であるのも事実でした。さらに、重くて動かない手足は患者本人の精神にも良い影響はありません。
そこで漆原医師が考えたのが「廃用身」の切断でした。人体のうち手足の重さは4割ほど。介護する側の負担は軽減され、患者本人も楽になるはずだと考えました。
そんな時に偶然、漆原医師は老人患者の壊死した足を切断することになります。切断後の経過は極めて良く、患者本人の精神状態も改善されました。これを機に漆原医師は他の患者でも重荷となっていた「廃用身」の切断を進めます。
- 著者
- 久坂部 羊
- 出版日
- 2005-04-01
医師が説明し患者が納得する。切断に関する二者の関係はしっかりと成り立っています。それでも第三者からの視点では恐ろしい出来事に映るのか、マスコミの餌食にされてしまいます。
手間を省くために切断したのか、それとも人を切断して喜ぶマッド・ドクターなのか。マスコミに攻撃され続ける漆原医師の様子は、心に響きます。
被害者はいったい誰なのか? そもそも被害者はいるのか?
動かない手足は未だ体なのか、それとも不要な「元」体なのか……読んだ後も考えさせられる一冊です。
ある日、胃ガン患者の小仲は、癌の転移と同時に森川医師から「これ以上の治療はできない」と告げられます。これに対してショックを受けた小仲は「死ねというのか」と激高しました。
そのまま小仲はセカンドオピニオンへ行き、抗癌剤の専門クリニック、免疫細胞療法と次々と自分の治療法を探します。しかし、現在の医学では進行した癌を完治させる方法はありません。たくさんの治療法を転々として、決して諦めなかった小仲ですが、だんだんと限界を感じていきます。
告知した森川医師も、日々様々な問題を抱える患者を見ながら思い悩んでいました。末期がん患者に対してどうすべきか……小仲に対してどうするのが正解だったのか。答えのない疑問を追い求めます。
- 著者
- 久坂部羊
- 出版日
- 2017-03-07
絶対に助からない、治療法がない患者に対してどうすればいいのか。これは身近で深刻なテーマです。
実際に少し前までは、末期癌の告知をしない医師も多くいました。医師から「あなたは死にます」とはっきり言われた際のショックは凄まじいものだからでしょう。
しかし、自己決定権という権利が周知されるようになってからは告知されるようになり、最後にやり残したことが無いようにと身支度をする人も多いのです。末期の患者以外にも「終活」として、死に向けて準備を整える人もいます。
そういう意味では小仲は昭和的であり、森川医師は現代的であるとも言えるかもしれません。
最後まで希望を持たせる医師。ありのままの事実を伝える医師。どちらにも悪意はありません。結果的には逆でも、患者のためを思っているのは同じなのです。
悪医とはどんな医者なのか……読む人によって意見が分かれそうな1冊です。
79歳の幸造は妻を亡くして一人暮らしで、息子夫婦は別居しています。ある日、認知症の老人が起こした事故と損害賠償のニュースを見た息子の妻は義父が心配になります。
心配されていた通り、幸造には認知症の初期症状が出ていました。物忘れ、事故、迷子。しかし、本人はそれを認めようとはしません。さらに息子までも、父の認知症を認めないのです。
何とか病院で診察を受けることになり、医師から告げられたのがレビー小体型認知症でした。これは認知症として一般的な記憶障害だけでなく、精神にも症状が出ます。暴言や妄想がエスカレートしていき、追い詰められていく家族。そして、とうとう事件が起こるのです。
- 著者
- 久坂部羊
- 出版日
- 2016-11-07
認知症という病気はどんどん進行していきます。しかし、自分で違和感を感じていても止めることはできません。幸造も自分でおかしいと思いながらも、どうすることもできませんでした。息子も同じです。自分の父がいつの間にか老人になり、認知症になっていることを認めたくはないのです。
ゆっくりと、しかし確実に別人になっていく恐ろしさがこの本にはあります。まさに「老いて乱れる」というもので、幸造もしきりに気にしていましたが、自分が死ぬだけの病気ではなく家族を巻き込んでしまうのが辛いところです。
自分や家族の身に起きたらどうしよう。そう考えても簡単に答えは出ないかもしれません。
しかし、平均寿命が長い現代日本人とは切り離せない内容でもあります。久坂部羊からの強い問題提起が感じられる作品です。
そんなに長生きしたいですか……そう訊かれたら、多くの人がハイと答えるでしょう。
男は6.1年、女は7.6年……日本人が寝たきりになる期間の平均です。ただ長生きするのと寿命を大切に生きるのは違います。
一人で何もできない状態でただ時間を過ごすことは幸せか?
久坂部羊が長寿信仰の日本人に問いかけます。
- 著者
- 久坂部 羊
- 出版日
- 2007-01-01
ここが治れば次はここ、といった具合に老人の身体は次々と異常があって当然です。若い体を維持し続けている老人は存在しません。
現代人は、病院にかかることで本来死んでいた時間を超えて生きることができるようになりました。その反面、回復の見込みが無い人の適切な死に時を奪っていると久坂部は言います。ゴールの無い治療をして、意識が無いまま「生かされている」状態です。
そして、老人が病院にかかれば心配事も多いものです。なにか病気が見つからないか、ミスは無いか、などと気が休まらず、病院へ安心しに行くというよりは、不安を見つけに行っている……と久坂部羊は指摘します。
この本を読んでから、もう一度自分の心に問いてみて下さい。それでも、そんなに長生きしたいですか、と。
2013年に87歳で亡くなった久坂部羊の父も医師でしたが、その破天荒ぶりには驚かされます。糖尿病になっても血糖値すら測らずに好きなものを食べ続け、癌になっても「長生きしないで済む」と治療せず。
病院嫌いの医者というのは少し変な感じもしますが、本当に変な人だったようです。
しかし、こういう父を持つからこそ、久坂部は「長生きこそ正義」とする日本の風潮に異を唱えるようになっていったのかもしれません。
- 著者
- 久坂部 羊
- 出版日
- 2014-09-27
自由気ままに暮らしていた久坂部の父でしたが、最後の一年は介護が必要な状態になりました。そんな生活も笑いを交えながら語られています。その一方で、介護から「解放されたい」と願うのは当然の発想であるという点にも、きちんと触れられています。
いくら医療にすがっても、若返ることは無いから根本的には満足はできません。足るを知り、自然に死ぬのが幸せへの近道かもしれません。
小説を読むと少し暗い気持ちになるかもしれませんが、新書の方では医療について明るく語られています。そのあたりのバランス感覚も魅力的なので、いろんな作品を読んでみることをおすすめします。