『失楽園』や『愛の流刑地』など、男女の愛について濃密に描いた作品が広く知られている渡辺淳一。他にも数え切れないほどの名作を残し、たびたび映像化もされてきました。ここでは、そんな渡辺淳一の隠れたおすすめ作品を、厳選してご紹介していきたいと思います。
渡辺淳一は、1933年北海道に生まれます。札幌医科大学を卒業した後、整形外科医師として活躍し、医学博士を授与されてからは大学の講師も務めました。
その傍ら小説の執筆を行い、同人誌に作品の発表を続け、1965年には『死化粧』で新潮同人雑誌賞を受賞。1970年に『光と影』で直木賞を受賞すると、その後本格的な作家としての活動をスタートさせたようです。
1997年に刊行された『失楽園』は、そのタイトルが流行語大賞にも選ばれ、2007年に刊行されたエッセイ集のタイトル『鈍感力』もまた、流行語大賞候補に選ばれるなど、その影響力には絶大なものがありました。
医療現場を舞台とした重厚な作品から、偉人をモデルとした伝記的小説、不倫をテーマとした恋愛小説まで幅広いジャンルで作品を発表し、数々の文学賞を受賞してきた渡辺は、2014年、癌のためこの世を去ります。2015年には、その長年の功績をたたえるため「渡辺淳一文学賞」が創設されました。
明治時代、日本で初めて医師国家資格を取得した女性、荻野吟子の生涯を綴った伝記小説『花埋み』。女性が医師になるなど考えられなかった時代、不屈の精神で偏見や差別を乗り越え、医師になることを目指した女性の、波乱の人生を描いた1冊です。
16歳で嫁いだぎん(荻野吟子)は、結婚後しばらくして離縁してしまいます。原因は夫からうつされた淋病。性感染症である淋病を患ったことで、ぎんは子供の産めない体になってしまったのです。
離婚後、東京に上京したぎんは、病気の治療のため順天堂病院に入院します。ですが当時の医師は全員が男性。若い男性医師たちによって行われる診察は、屈辱的なものでした。「医師が女性であったらどれ程心が楽だったか」と感じたぎんは、同じ思いに苦しむ女性たちを救いたいと、医師になることを決意したのです。
- 著者
- 渡辺 淳一
- 出版日
- 1975-05-28
女医になるという、それまで前例のないことに果敢に挑戦する荻野吟子の姿には深く感銘を受けます。
女性には、医学を学べる場を探し出すことすら困難な時代、唯一入学を許可された「好寿院」では、男子学生たちよる様々ないやがらせに遭い、課程を修了した後にも、女性が医師になるためには数々のハードルが待ち構えているのです。
1970年に執筆された渡辺淳一の初期作品ですが、今読んでも古さを感じることなく読むことができます。凄まじいまでの努力を重ねた1人の偉大な女性の人生は、切なくなるほど波乱万丈。それでも、次々に訪れる過酷な試練を乗り越え、自分が信じる道を進み続ける彼女の姿には、大きな勇気を貰うことができるでしょう。
テレビドラマ『白い影』の原作としても知られる長編小説『無影燈』は、謎多き優秀な外科医を主人公に、生と死について描いた渡辺淳一渾身の医療小説です。
オリエンタル病院の外科医を勤めている主人公直江庸介は、優秀な医師として周囲から高い評価を受けています。以前は有名な大学病院で講師までしていたというのに、突然大学を辞めて、この私立病院にやってきたのでした。素晴らしく優れた外科医なのですが、口数は少なくどこか暗い影を纏い、当直医となっている夜でもどこかへ出かけてしまうミステリアスな医師なのです。
容姿も良く女性の噂も絶えない直江の独特でニヒルな空気感は、周囲の人間を引きつけ、看護師の志村倫子もまた、徐々に彼に心惹かれ体の関係を持つようになります。ですが直江は、誰にも打ち明けていないある秘密を抱えていて……。
- 著者
- 渡辺 淳一
- 出版日
- 2012-07-20
渡辺淳一の医師としての経験や知識が、惜しみなく盛り込まれている作品ではないでしょうか。医療現場について綴られている場面は、どれも圧倒的なリアリティーがあります。死期を間近に控えた患者の心理や、主人公の言葉にはとても重みがあり、様々なことを考えさせられてしまうでしょう。
直江庸介とは何者なのか?いったい何を隠しているのか?物語はサスペンスのような要素も織り交ぜながら、読み応えたっぷりに展開されていきます。
病院の院長行田祐太郎や娘の三樹子、生真面目な新米外科医の小橋など、その他の登場人物も皆個性豊か。患者たちとの交流などを通して、死というものに徹底的に向き合っていく描写に、強く心を打たれる傑作小説です。
渡辺淳一の短編集『光と影』には、表題作のほか「宣告」「猿の抵抗」「薔薇連想」の4編が収録されています。
「光と影」は、同じ日に同じ手術を受けるはずだった2人の軍人が、軍医の気まぐれによって人生を大きく変えていくことになる物語です。
小武と寺内は、西南戦争で共に右腕に被弾して負傷し、同じ日に腕を切断する手術を受けることになります。先に手術が行われた小武は、軍医によって予定通り腕を切断されたのですが、次に寺内が運び込まれた際、軍医はふと、腕を残したらどうなるのかという実験を試みたくなったのです。
当時の医療としては、腕を残すことはたいへん難しい選択です。腕を切断された小武は、早々に傷も治り退院。腕を残した寺内は、激しい痛みに耐えながら、しばらく入院生活を続けることになるのですが……。
- 著者
- 渡辺 淳一
- 出版日
- 2008-02-08
2人の軍人は、それぞれどのような人生を歩むことになるのでしょうか。
医師のちょっとした心変わりや、手術を受ける順番によって、くっきりと人生の明暗が分かれるというストーリー展開は、読んでいてなんともやりきれない気分にさせられます。一方の男が徐々に嫉妬や恨みに支配され、常軌を逸した心理状態に陥る姿が細かく綴られ、自らの影を色濃くしていく様子に切なさを感じる作品です。
その他にも、医療に関わる3編の物語を読むことができる本作は、ユーモラスに描かれたものから、サスペンス色の強いものまでその内容も様々。最後まで飽きることなく読み進めることができるでしょう。
日本の偉人として有名な、野口英世の生涯を描いた渡辺淳一の伝記小説『遠き落日』。多くの伝記で語られることのなかった野口の意外な姿が、余すことなく赤裸々に描かれた本書は、吉川英治文学賞を受賞し、映画化されたことでもたいへん話題になりました。
1876年、福島県猪苗代湖のすぐ近くに住む、貧しい農家の家に生まれた野口清作(英世)。父親は酒に溺れ、母のシカが懸命に働き子供たちを育てていました。そんな環境の中でも幼い頃から勉学に熱中してきた清作は、学業に関して抜群の成績を誇り、同時に巧みな処世術を身につけていきます。
とにかく知人に金を無心する術に長けており、しかも清作は「優秀な人間が金をもらうのは当然」と考えていました。人の金に頼り、入った金はすぐに散財してしまうということを繰り返しながら、常人とは程遠い生活を送るようになるのです。
- 著者
- 渡辺 淳一
- 出版日
- 2013-12-13
火傷によって左手にハンデを背負ったことや、後に黄熱病の研究者として活躍したことは有名な話ですが、野口英世の浪費癖について触れた伝記はこれまでなかったことでしょう。
つい欠点のない聖人君子のようなイメージを持ちがちですが、偉人とは言え、やはり私たちと同じ人間なのだと感じられる作品です。
その金銭感覚や、個性的すぎる性格には驚かされるばかりですが、勉学に対する熱意は生半可な物ではなく、そのエネルギーに満ち溢れた生き方は十分尊敬に値するものでしょう。偉人としてではなく、野口英世という1人の人間の姿が描かれている素晴らしい作品です。
渡辺淳一の私小説とも言われている作品『阿寒に果つ』は、18歳という若さで謎の自殺を遂げた少女の姿を、20年という時を経て振り返る恋愛小説です。
1952年、北海道阿寒湖畔で1人の少女の遺体が発見されます。一面の雪景色の中、真っ赤なコートを着て倒れていた彼女の遺体は驚くほど神秘的であり、白い肌は透きとおるように美しいものでした。少女の正体は時任純子、18歳。当時天才少女画家として注目を浴び、世間を賑わせた美少女だったのでした。
その出来事から20年。当時純子に想いを寄せていた、若き作家である田辺俊一は、自分が彼女のほんの一面しか知らなかったことを感じます。いったい彼女の本来の姿とはどのようなものだったのか。俊一は、純子と関係のあった男性たちを訪ね、その人物像を明らかにしようとするのです。
- 著者
- 渡辺 淳一
- 出版日
- 2015-04-23
ヒロイン時任純子の、怪しくミステリアスな魅力にどんどん引き込まれてしまう作品です。
物語は渡辺淳一の高校時代の体験を元に描かれており、実在した人物がモデルとなっているのです。著者も主人公の「若き作家」として登場し、切なさや寂しさ、苦しさなど、多感な時期に負った心の傷を切々と綴っています。17歳で初恋の女性を亡くすという出来事が、著者の人生にどれほどの影響を与えたのかと想像せずにはいられません。
彼女に翻弄された数々の男性が登場し、皆一様に「本当に彼女に愛されていたのは自分だ」と語るのです。多面的な魅力を放つ、彼女の本来の姿とは?読後、雪景色に佇む、赤いコート姿の彼女が、いつまでも脳裏に焼きつく1冊です。
渡辺淳一の隠れたおすすめ作品を、初期作品を中心にご紹介しました。どの作品も読み応えのある名作ばかりです。不倫小説のイメージが強く敬遠していたという方にもおすすめですから、気になった方はぜひ1度読んでみてくださいね。