黒井千次のおすすめ本5選!代表作『群棲』も紹介

更新:2021.11.7

「内向の世代」の代表作家として名をはせる黒井千次。彼の作品は家族、恋愛、老いなど、どのテーマをとっても私たちに身近なものでありながら、類まれなる表現力でふだんは隠れている感情を引き出します。彼の魅力を感じられる5冊をご紹介します。

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黒井千次とは

黒井千次は、1960年代から70年代にかけて活躍した「内向の世代」と呼ばれる小説家のひとりです。彼の作品に描かれる対象は、サラリーマンやごく一般的な家庭など、身近な存在な一方で、息が詰まるような視点や表現力で読者の内側をまさぐっていくような独特の筆致が特徴です。

黒井は東京大学経済学部を卒業し、サラリーマン生活を続けるかたわら執筆活動を行っていました。1970年に『時間』で芸術選奨新人賞を受賞した後に退社し、それ以後は小説家としての活動に専念。代表作『群棲』は谷崎潤一郎賞、『カーテンコール』は読売文学賞など数々の賞を受賞し、芥川賞や伊藤整文学賞の選考委員としても活躍しました。

黒井千次が書く「時間」に関する短編集

サラリーマンとして順風満帆な出世街道を進む「彼」は、ある日同窓会に出席します。大学時代、「彼」は仲間たちとともに学生運動に参加した過去がありました。激しさを増す学生運動の渦中で、仲間の三浦が逮捕されてしまいます。その事件はいまだ裁判中で、十数年の時を経てなお三浦の時は止まったままなのです。

同窓会をきっかけに、「彼」はもやもやとした感情を抱きはじめます。そしていつしかそのもやもやが、レインコートの男の姿をして、「彼」の前に姿を現すようになりました。上司への反抗、自身の仕事を否定するかのような発言をする男に「彼」はとり憑かれていきます。

著者
黒井 千次
出版日

サラリーマン生活と大学時代を対比することによって、失われた時間を表現する表題作「時間」のほか、企業で働いている人間たちと時間の関係を描く短編が6つ収められています。

高度経済成長期にサラリーマンとなった団塊の世代は、会社のコマとなって働くことに対する疑念を抱かないように強いられていたのでしょうか。その結果生まれた心の歪みや、失われていく時間を見事に描いた、珠玉の短編集です。

社会人の多くが抱えている言葉にできない「何か」が、作中に渦巻いており、それに対して登場人物たちが出す答えも、それぞれ個性的で面白いものとなっています。働きづめで違和感を隠せないという方には、黒井の内向的な色合いを感じつつも共感できる本作がおすすめです。

手に入りそうで入らない、もどかしい青春

高校生の明史は通学途中で出会う中学生の少女、棗(なつめ)に恋をしました。はじめは名も知らない関係ですが、何とか彼女と接触しようと、彼女の歩幅に合わせて歩くなど日々努力を続けていきます。

とうとう明史は彼女に話しかけることに成功し、少しずつ距離を詰めながら棗と恋愛関係を結ぼうとします。しかし棗には家庭教師の男がおり、男はたびたび彼女の家に宿泊しているのです。

明史は棗と口付けを交わす関係にまで至るも、家庭教師の男の存在が気になるばかり。やがて、家庭教師の男は、棗の親が決めた婚約相手であることが発覚するのです。

著者
黒井 千次
出版日

『春の道標』は繊細な思春期の恋愛を緻密に描いた青春恋愛小説です。棗という天使を相手に盲目になり、一喜一憂する明史の一図な姿には、胸が締めつけられます。あまりに強い想いから、彼女に対して愚かな行動をとってしまうところも、現実味があり共感できます。

登場人物の内面の描き方は秀逸で、棗はとても華憐な少女として描かれているのですが、小説だからこそ理想の少女を想像して、明史の気持ちにシンクロしながら恋をできるところが本作の醍醐味ではないでしょうか。ほろ苦い青春小説を読みたい方におすすめの一冊です。

黒井千次の代表作。人間の心理の深淵を描く

4つの隣りあう家と、そこに住む家族をめぐる物語です。夫婦のみの家庭もあれば、家族4人暮らしでこれから夫の両親も住まわせようかと悩む家庭もあります。

織田家はかつてこの一帯の土地を持っていましたが、現在は手放している状態。古くにあった家を想い、父は子供たちに、今はなき家の回想を語ります。

木内家の夫婦には子供がおらず、お互いの性的欲求不満がたまっていました。夫と妻それぞれに別の相手がいるにも関わらず、夫婦関係は続き、家には重い空気が漂い続けるのです。

著者
黒井 千次
出版日
1988-01-27

4つの家庭と、その土地で起こることがそれぞれ描かれた12の連作短編集である『群棲』は、家族や家といった概念を根底から問い直す黒井の代表作です。

作品にはそれぞれ「水」や「光」などのアイコンが存在し、そのアイコンに照らし合わせるように家族がもつ不和が描きだされています。

本作に登場する人物は、誰ひとりとして家を帰る場所として認識しておらず、むしろ人生をしばりつける呪いのようものとして家や家族が浮き立っています。胸が詰まるような息苦しさを言葉で紡ぎだす黒井節を存分に感じられることでしょう。時系列が前後しつつ、それぞれの話の伏線が他の作品で回収されていく構成も秀逸です。

中年男性の好奇心からはじまる物語

どこにでもいる中年男性・要助はある日「多摩蘭坂」に出会います。道路わきの看板にはひらがな表記の「たまらん坂」。要助は名前の由来に想いを馳せます。きっと、戦後生きのびた孤独な武士が「たまらん」と呟き続けながらこの坂をのぼったのだろう……それはまるで、老いを間近にした自分自身のようだと、想像の中の武士に親近感を抱くのです。

彼は「たまらん坂」の由来が気になり、図書館で歴史を調べることにしました。しかし想像とは全く違った由来が隠されていたのです。

著者
黒井 千次
出版日
2008-07-10

本作は表題作「たまらん坂」のほか、「けやき通り」や「たかはた不動」など都内に実在する場所を、定年間近の男の目線で描いた7つの短編から構成されています。それぞれ現実にある場所と、想像、妄想、幻想が絡みあい、少し謎めいた展開です。

老いているからこそ持てる余裕や、諦めのような色あせた感覚が、作者黒井の年齢に応じた深みとともに表現されています。登場人物はそれぞれの場所に応じて小さな体験をし、そこから自身の在り方や過去を重ねて深く思考に没頭していくのです。こういった展開は内向の世代と呼ばれる黒井の神髄が表れているといえるでしょう。

黒井千次を身近に感じるエッセイ集

80歳という大台を越えた黒井。体力の衰えや体の変化は、今まで行ってきた日常生活をいつのまにか苦しくさせています。また人間関係も変化しつつあります。ある瞬間を越えてから、知人が1人、また1人と減っていくのです。

以前は気にもならなかった病気の話に熱中するようになり、自分の死に際に想いを馳せるようになった黒井。彼はそれらすべてを受け入れて暮らすことは、横着とは違う、と感じていました。それこそが老いを味わうということだと繊細な筆は語ります。

著者
黒井 千次
出版日
2014-10-24

『老いの味わい』は老年となった黒井自身の目線をそのまま描き出したエッセイ集です。黒井の「老い」に対する向きあい方は、落ち着きと余裕があるにも関わらず、新しいものに向き合っていく若い目線を感じます。

黒井にとって、日常の変化はすべて新しい経験であり、その更新は死ぬまで続くものなのでしょう。『老いの味わい』に描かれた情景は、老いた男女みなに共通の感覚であり、一部の読者にとっては救いにもなるのではないでしょうか。

若い方が読んでも、いつしか訪れる老いを恐れずに、むしろ歓迎できる心を養える作品です。

黒井千次は常に人の心の中に渦巻くものに対して真摯でありながら、年齢や環境によって変化する相対的な人間という存在について描き続けています。老若男女問わず、共感できる作品がきっとひとつ見つかるのではないでしょうか。幅広い5冊を紹介しましたので、ぜひ気になる作品から手に取ってみてください。

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