兄2人を失踪、姉2人を自殺で亡くした三浦哲郎。彼の作品には、その過酷な生い立ちが色濃く影を落としています。とはいえ、シリアスで重厚な作品ばかりではありません。ここでは、純愛小説から子供向けのメルヘンまで、三浦文学を初めて体験する読者におすすめの5作品を選びました。
「自分たち兄妹には『滅びの血』が流れているのではないか」。
1931年、青森県の裕福な呉服屋の末弟として生まれたものの、長姉は服毒自殺、次姉は入水自殺、兄2人は失踪、唯一残された末姉は先天的色素欠乏症と、壮絶な生い立ちをもつ三浦哲郎。彼は生涯にわたって、作品のなかで自らの家族が背負った過酷な運命に向き合い続けました。
一度は早稲田大学に入学するも、東京での生活を支えてくれていた次兄の失踪により中退。郷里で2年、中学校の教師をつとめました。しかしその間、本気で文学の道に進むことを決意した彼は、ふたたび早稲田大学に入学し、小説を書き始めるのです。
在学中、教師の小沼丹を通じて出会った作家・井伏鱒二との交流は、彼の人生に決定的な影響を及ぼしました。文学について、人生について多くのことを教わった彼は、井伏のことを生涯を通じて師と仰ぎます。
1960年には、次兄の失踪を背景に、妻との出会いから結婚までを描いた『忍ぶ川』で芥川賞を受賞。2010年にその生涯を閉じるまで、形をかえながらも、自らに流れる「滅びの血」に抗うように、郷里の家族をモティーフにした私小説的作品を書き続けました。
郷里の青森を離れて東京の大学に通う「私」は、寮の近くの小料理屋「忍ぶ川」で働いていた志乃に一目惚れしてしまいます。
翌日から志乃のことが頭から離れなくなってしまった「私」は、ただ彼女と一言交わすためだけに店に通うようになりました。そしてある日、思いきって志乃をデートに誘います。行き先は深川。そこは「私」が突然失踪してしまった次兄と最後に会った場所であり、志乃の生まれた土地でもあったのです。
- 著者
- 三浦 哲郎
- 出版日
- 1965-06-01
そのデートと後の手紙のやりとりで、2人はお互いの生い立ちをさらけ出します。志乃は自分が娼婦の街の娘であることを、「私」は家族を襲った不幸の数々を明かしました。
かつて次姉が自分の6歳の誕生日に自殺したため、誕生日を祝ったことがないことを「私」が告げると、志乃はこう答えました。
「来年の誕生日には、私にお祝いさせてください」(『忍ぶ川』より引用)
しかしそれから一月もたたないうちに、「私」は志乃に婚約者がいることを知らされてしまうのです。
実際の妻との出会いを私小説として描いた本作で、作者は1960年に芥川賞を受賞しました。他の作品と同じく三浦哲郎自身の生い立ちを背景としながらも、ここにはこれから若い2人で未来をつくっていこうという、ある種の明るさが感じられます。
何といっても、どんな境遇にあっても強く愛らしい志乃の姿はとてもチャーミングです。端正な筆致で描かれた眩しいほどの凛々しさは、時代をこえて読者の胸を打ちます。
物語の舞台は昭和初年代の東北、青森。その地で呉服屋「山勢」を営む山科家には6人の兄妹がいました。
一家の跡継ぎとして本家で修行に励む長男の清吾。故郷を離れ東京の学校に通う次兄の章次。生まれつき全身の肌と毛が白く、弱視の長姉るいと末妹ゆい。利発で学業優秀、東京の女子高等師範学校を目指している次姉れん。そして、生まれてきたばかりの末弟・羊吉。
本作は、その羊吉に作者自身を映しながら、次第に崩壊の一途をたどる一家の歩みが切々と綴られてゆきます。
- 著者
- 三浦 哲郎
- 出版日
- 1989-04-28
崩壊の予兆はいたるところにありました。
女兄妹で唯一普通に生まれたことを重荷に感じていた次姉れんは、生物の授業で姉と妹の白い肌が、将来生むかもしれない自分の子供に遺伝するかもしれないと知り、絶望に襲われます。長姉るいは、自分の肌、そしてますますひどくなる弱視に未来を悲観し、次のような詩を書き綴っていました。
「独り白夜を過ごしている女がいる 人間だが 生きているような いないような 女だが そうであるような ないような ただ無用の熟れた乳房を持て余して 寝返りを打つばかりの白々とした女」(『白夜を旅する人々』より引用)
やがて、まだ物心のつかない羊吉を残して、ある者は死を選び、ある者は突然姿を消していきます。作者の底知れぬ喪失感、そして兄妹たちを悼む気持ちが真に胸に迫ってくる作品です。
「長編よりも、隅々にまで目配りのできる短編の方が性に合っている」
生前そのように語っていた三浦哲郎が、ライフワークとして取り組んでいたのが連作短編集『モザイク』でした。その第一集である本作には、24の短編が収められています。
かつて津軽海峡を行き来し本州と北海道を結んでいた青函連絡船がありました。表題作「みちづれ」は、その連絡船の青森県の港にある花屋で、主人公の「私」が菊の花を買い求めるシーンからはじまります。
- 著者
- 三浦 哲郎
- 出版日
彼には、何十年も前に連絡船から身を投げてこの世を去った兄妹がいました。その兄妹を弔うために、毎年命日近くになると連絡船に乗り、海に花を落とすことにしていたのです。
その花屋で彼は、自分と同じように花を買い、同じように紙で包んでもらっている老婦人を見かけます。出港の時刻が近づき、乗り込んだ連絡船の船室にも彼女の姿はありました。吹雪がはためく中、津軽海峡を北へと進む船。先に席を立ったのは、その老婦人でした。
どれもが人生のある一瞬を切り取ったごくごく短い作品ながら、読者は思わず登場人物たちの過去や未来に思いを馳せてしまう、そんな深い味わいをもつ短編が宝石のように並んでいます。
東北の山あいにある小さな村、湯の花村。お父さんを事故で亡くした小学六年生の勇太は、東京を離れ、お母さんの故郷であるその村で暮らすことになりました。
ところが都会っ子の勇太は、村の子供たちからモヤシっ子と馬鹿にされ、友達もできません。退屈な毎日を送っていた彼は、しかしある夜、ひょんなことからペドロと名乗る座敷わらしに出会い、彼の住む空の上の世界に連れていってもらうことになったのです。
- 著者
- 三浦 哲郎
- 出版日
- 1984-09-27
そこにはペドロの他にも、ヒノデロ、ダンジャ、モンゼ……と、変わった名前をもつ9人の座敷わらしがいました。勇太は彼らから「ユタ」と呼ばれ、すっかり仲良しに。そして、その不思議なちからを借りて、クラスメイトたちを次々に見返してゆくのでした。
物語の主人公は勇太ですが、逞しく成長してゆく彼以上に魅力的なのが座敷わらしたちです。人見知りだけど優しくって、オムツがとれないのに、煙草を吸ったり、空を飛んだり、「女は悶着の種」と言いながら、人間の女の子に恋をして大失敗したりします。
「おれは大馬鹿野郎だよ。大馬鹿野郎のコンコンチキだ」(『ユタとふしぎな仲間たち』より引用)
実は彼らが座敷わらしになったのには、とても悲しい理由があるのです。ぜひ本書で、粋で愉快な彼らと出会ってみてください。
主人公は50代を過ぎた小説家の「私」。本作は、「私」が妻と3人の娘たちと過ごすなにげない日常を、愛惜を込めて描いた作品集です。
「いつかは、こういう事実を知るときがくるのだ、とは覚悟していた。けれども、そのときが、いつ、どんなふうにしてやってくるのかは、まるで見当がつかなかった。」(『燈火』より引用)
- 著者
- 三浦 哲郎
- 出版日
- 2016-08-26
取材先で突然吐血し、救急車で病院に運び込まれる「私」。染めるのを止めた白髪を、知人から「10年老けたようにみえる」と言われ思わず涙を流す妻。結婚前提で付き合っているボーイフレンドを家族に紹介する長女。そろそろ家を出て独立したいと言い出す次女。
いつまでも続くと思われた平穏な一家団欒が失われてゆく、そんな感触が次第に「私」を襲ってゆくのでした。
古いカセットテープを整理していた「私」が、たまたま過去の家族のやりとりが録音されていたテープを発見し、みんなで聞くシーンがあります。そこには、10年前のまだ若かった娘たちや、今や亡くなってしまった「私」の母、そして飼い犬のカポネの声が鮮やかに残っていました。
情感あふれる文体で一家の日常を慈しむように描かれた一冊となっています。その輝きと翳りが交差する情景は、読んでいると、カセットテープが回るカタカタ……という音を聞こえてくるようです。
こだわり抜いた文章で、亡き兄妹を悼むように綴られた三浦哲郎の作品は、きっとあなたの心の琴線にも触れるはずです。ぜひ一度じっくりと味わってみてください。