巧みな表現と確かな感受性で日本の女流作家のひとりとして名を挙げられる幸田文。多くの作品を残した彼女ですが、そのなかでも文章力と繊細な感性を存分に味わうことのできる5冊をランキングでご紹介します。
幸田文は、幸田露伴の次女として1904年に生まれました。幼いころに母を亡くし、また露伴から文章を書くことに対して英才教育を受けてきたこともあり、父との関係性を強く感じながら女性作家としての道を歩みます。
結婚、出産、離婚というパートナーとの一連の出会いと別れに加え、家業の廃業など当時の女性としては激動の人生を送りました。繊細な観察眼や感性は、その人生を通じてさらに研ぎ澄まされ、随筆や小説の数々で文学賞を受賞しています。
彼女の娘や孫も文芸の世界で活躍することになり、幸田家の非常に高い感受性は今もなお、文章という表現方法で受け継がれています。
幸田文は、ある日子どもと連れだって植物の鉢植えが売られている市場に行き、好きなものを買うようにとお駄賃を与えました。しかし子どもが選んだのは、その市場で最も高価な老木の藤。まさかそんなものを選んでくるとは思わず驚いた幸田は、別の安価なものを勧めて帰ってきます。結局その買い物は、子どもの願いもかなえておらず、自分自身にとっても利益のある買い物にはつながらなかったのです。
それを見た彼女の父である幸田露伴は、なぜ子どもの価値を見出した目を尊重しなかったか、教育とは何であるかを説きます。露伴の想いと叱咤を通じて彼女は、植物や樹木に対する特別な感情を抱くようになり、それを文章に表すようになっていくのでした。
- 著者
- 幸田 文
- 出版日
- 1995-11-30
『木』は幸田文が愛する木と彼女の関係を、まるで人間関係を描くかのような温かい言葉で描いた、15編のエッセイ集です。市場のような身近な場所から、北海道や屋久島まで木との出逢いを求めて彼女が足を運んだ場所でのでき事も記されています。
樹木という尊い存在に向ける、彼女の美しく透明な視線に心あらわれるような作品です。
あきと佐吉は小さな料理屋を営んでいます。15年間連れ添ってきた2人は平穏な日々を送り、台所に絶えず料理の音を奏でていましたが、やがて佐吉の体は病に侵されてしまうのです。
あきは医者から、残された時間が少ないという事実を佐吉に告げないように言われ、懸命に平穏を保とうとします。彼女にとってそれは、台所の音を絶やさないようにする日々の始まりでした。
そんなあきの努力を、佐吉は台所から聞こえてくる音の変化から敏感に察知し、あきの優しさや感情を推し量りながらも、自らの死と向き合っていくのでした。
- 著者
- 幸田 文
- 出版日
- 1995-08-02
包丁で野菜を切る音、誰かが門をたたく音など、2人の生活は様々な音に囲まれています。それぞれが音を聴くことによってお互いを意識し、時間を感じ、関係性を紡いでいるのです。
大切な人が死に向かっているという事実に抗うあきがたてる音に対し、「さわやかでおとなしい音が、おまえの音だ」と佐吉が諭すシーンは、苦しいほど繊細に描かれており、幸田の優しい感性を感じることができます。
主人公の女の目線は、作者の幸田文自身が女中として芸者置屋で働いていた日々を描いています。
色恋沙汰もあるし、金銭問題も勃発します。女は淡々とその様子を観察し、人間の求める栄華やきらびやかさの裏側を見るのです。
- 著者
- 幸田 文
- 出版日
- 1957-12-27
芸者屋に女中として住み込むひとりの女性。主人に芸者、客など様々な人が入り乱れ、花柳界独特の風習と形骸化したルールに縛られた暮らしを送っています。
女中として働いていますが、教養も知性もある女が見るに、芸者屋の様子は実に愚かで人間らしく、浮き沈みの激しいものでした。
冷淡な彼女の目線に違和感を覚えた仲間たちは、やがて彼女の素性について調べはじめます。なぜそれほどまでに知識に富んでいるのか、なぜ女中という立場に身を置いているのか……その違和感が明らかになる前に、彼女はその場を去るのでした。
女が送る芸者置屋の日々を、幸田が繊細かつ表現力豊かに描き出しています。当時の時代背景も感じられる一冊です。
幸田文は1人の女流作家であり、幸田露伴の娘という2つの側面から名前の挙がる女性です。
離婚後は父露伴のもとに戻り、老後は彼の介護をして亡くなるまでの時間を共にしました。周囲からあれこれ言われながらも、父が命の灯を消すまでを見届けたことの苛立ちや葛藤などが繊細に描かれてます。その一方で彼女は、親という存在を徐々に客観的にとらえていくのです。
彼女は父を埋葬するにあたり、かつての姿を思い返します。それは、母を喪う際、まだ幼かった彼女に対して、しっかりと葬式に臨むようにと伝えてきた時のものでした。そして、いま自分にある価値観や生き方は、父に与えられたものだったという気付きが、父の死と向き合った瞬間に彼女の心を充たすのでした。
- 著者
- 幸田 文
- 出版日
- 1967-01-01
母を亡くし父に育てられた彼女が、父との関係性の構築や成年までを描いた「こんなこと」、その後成熟した彼女が父の元へ戻り、死を看取るまでの「父」という随筆2編をあわせた作品です。
露伴の教育方法は独特で、幼い彼女にとっては難しい課題や変わった思考が多かったのですが、それが幸田文の人格や文才を育んでいきます。父との関係性を描くことによって、女性としての生き方も問い直す、幸田らしいメッセージ性と表現力の双方を感じられる作品です。
るつ子は負けん気が強く、特に着物に対して異常な執着心を示す少女です。母は風変りなるつ子よりも、わかりやすい姉を可愛がり、父は他に好きな女がいる、という家庭で育ちます。
そんなるつ子にとって、しゃきりとした性格の祖母は、彼女が迷うたびに手を差し伸べてくれる存在でした。やがて直面する関東大震災の時も、それは変わりません。
祖母は、るつ子に着物の粋な着方を教えることで、彼女に人生そのものの意味を伝えようとしてくれるのでした。やがてるつ子は美しく着ること、着物にこだわること、着物を作ることを通じて自身の人生観を確かなものとしていきます。それは女性としての美しさに通じる人生観の確立そのものなのでした。
- 著者
- 幸田 文
- 出版日
- 1996-11-29
本作は1人の女性が着物と向きあい、人生を重ねていくことで、人生訓を吸収していく物語です。着物は常に人の肌に触れているものであり、着心地の良さによってメンタルを左右し、動きを制限する可能性もあります。そこにいかにこだわりを持ち、いかに着こなすかによって、るつ子という主人公も大きく変わっていきます。
着物好きのバイブルと呼ばれるほど精密な、作者の文章表現はさすがです。働く女性が共感できるメッセージが多く込められています。
幸田文は樹木などの動植物、夫や父など人間、そして音や香りなどの感覚、その全てに対して等しく繊細な感性を持ち、それを文章にすることのできる稀有な作家でした。彼女の文章はプロフェッショナルとしての確かな美しさを感じることのできるものばかりです。ぜひこれを機会に幸田文の魅力を感じてみてください。