昭和から平成にかけて数多くの文学賞を受賞した小島信夫の、おすすめの作品5つをピックアップしました。風刺の効いたストーリー展開の中に溢れたユーモラスな会話で、絶妙な不均衡を保ちながらも読者を惹きつけて止まない彼の世界に、ぜひ触れてみてください。
小島信夫は1915年、岐阜県生まれの小説家です。1941年に東京帝国大学英文科を卒業した後、高等学校にて教鞭を執り、1954年には明治大学の英語教育に従事しました。
その傍らで執筆活動を続け、1954年に『アメリカン・スクール』にて芥川賞を受賞。その後、1965年には『抱擁家族』で谷崎潤一郎賞を受賞、1982年には『別れる理由』で野間文芸賞、1998年には『うるわしき日々』にて読売文学賞を受賞するなど、長年に渡って活躍した作家です。
小島の小説は私小説に近い部分があります。自身や、その周りにいる近しい人を、そのまま登場人物に割り当てて登場させるという手法を取るのですが、しかし完全な私小説とも体裁を異にします。たとえば彼の小説では小説家としての小島自身が妙な形で溶け込んだり、主人公と重なって追想したり、また主人公に話が戻ったり、といったような複雑な体裁をとるのです。
不思議なバランスを醸し出した作品の中で、社会風刺を交えたユーモラスな文体や、妄想と虚構が入り乱れたような文脈がつらつらと流れ、読む者に刺激を与えて飽きさせません。
敗戦直後、アメリカンスクールの見学団員として集められた中学教師の、伊佐と山田とミチ子。伊佐は敗戦国という劣等感や、勝戦国であるアメリカに対し怖れに近い感情を抱いています。
その一方で野心に燃えている山田は、アメリカンスクールの見学会を、自身の英語力を誇示できるチャンスであると考えていました。3人の中で最も流暢に英語を話せるミチ子は、アメリカ文化の全てを受け入れられずにいます。
アメリカン・スクールまでの6キロの道のりを、3人は様々な思いを抱きながら歩いていくのでした。
- 著者
- 小島 信夫
- 出版日
- 1967-06-27
『アメリカン・スクール』は1954年に芥川賞を受賞し、小島信夫の出世作となった小説です。日本がアメリカの占領下にあった当時、日本人が持つアメリカ文化への抵抗と畏怖を描いた本作は、当時の日本人の精神を俊逸に捉えています。
「外人みたいに話せば、外人になってしまう。そんな恥ずかしいことが……」(『アメリカン・スクール』より引用)
当時は、英語を話すという行為が、日本人を止めてアメリカ人になるという認識すらあった時代です。特に、伊佐にとって英語の存在は恐怖であり、嫌悪であり、また同時に憧れでもありました。本作では学校見学という何の変哲もない風景を、敗戦直後の日本人の思想や心理を反映し、様々な角度から鋭利に描写しています。
英語力を誇示しようと奮闘する山田や、アメリカ人を恐れて逃げまどう伊佐の姿は、ユーモラスであると同時に、言語とは何か、支配とは何か、日本人とは何かについて考えさせられる作りとなっています。
家庭崩壊を描いた問題作、『抱擁家族』は、多くのファンから愛される傑作であり、小島自身の実体験とも言われています。
大学講師の俊介は、妻がアメリカ人の男性と不倫をしている事実を知ります。妻の不貞を知った彼は動揺しながらも、何とか関係を修復させようと奔走するのです。
俊介は家庭環境の崩壊に不安を抱きながらも、話し合いのすえ、新築の家を建てようと決心します。しかしそんな折、妻に乳癌が発覚。次第に弱っていく彼女を必死に看病する俊介でしたが、間もなく妻は死んでしまいます。
崩れゆく家庭を舞台に、夫婦とは何か、家族とは何かに言及する問題作です。
- 著者
- 小島 信夫
- 出版日
- 1988-01-27
本作は1965年に発表され、谷崎潤一郎賞を受賞し、小島信夫の作家としての名声を高めました。
主人公の俊介は、常に妻の言動に敷かれているような、弱い夫として描かれています。彼は妻の不貞行為を知った後も、家庭環境が崩壊してしまう不安を抱きながら、家族像や父親像という幻影を追い求め続け、あらゆる策を講じて仲をたて直そうと試みます。
作品の前半は妻との関係性について描かれ、彼女が亡くなってからの後半では、子ども達との関係に苦慮する父親像が描かれています。家族を脅かすアウトサイダーを、アメリカ人や癌といった事象に置き換え、それらの苦難と戦い、「父親の威厳」の再構築を描こうとしているのです。
一見、ありがちなファミリーストーリーとも思える本作ですが、小島の毒ともいえるエッセンスがふんだんに盛り込まれ、作品全体に深みや狂気を滲ませています。
『抱擁家族』の続編として発表された『うるわしき日々』は、前作から30年後の家族が舞台になっています。『抱擁家族』で描かれた妻の他界後、再婚した新しい妻や、家を出て行った長男との苦悩の日々が綴られています。
中年になった長男はアルコール中毒となって入院し、さらにその介護に追われる日々のなかで、妻がアルツハイマーを発症。すでに80歳を超えて高齢者となった主人公は、そんな2人を抱えながらも奮闘するのです。
- 著者
- 小島 信夫
- 出版日
- 2001-02-09
『うるわしき日々』は1997年、読売文学賞を受賞した小説です。前作となった『抱擁家族』と同様、小島自身の実生活と重ねて描かれたと言われています。
タイトルだけを拾うと鮮やかな世界観を想像しそうですが、それとは裏腹に、内容は非常に悲惨なものです。高齢の身に鞭を打ち、アル中となった息子をひたすら介護し続けるなかで妻のアルツハイマーが発症と、あらゆる事象が悲惨であるにも関わらず、しかしどこか飄々とした空気をまとっています。
高齢社会が抱える不安や闇を切り取っていますが、読後感を嫌なものにしない理由は、結論付けを目的とした作品ではなく、小島の体験に基づく私小説的な要素が盛り込まれていることが大きいのではないでしょうか。
読者は主人公の俊介(小島信夫)の目線で物事を受け止めていきます。彼が不安を抱え右往左往しながらも、前に進み、そして終盤を迎えるころにはどこか腑に落ちているという、不思議な中毒性を感じさせる作品です。
小島の作品を読みたいけれど、長編小説は不安……という方には本作がおすすめです。彼の初期作品を集めた、中・短編集であり、俊逸な作品が数多く収録されています。
キリシタン女性に心を寄せる番所役人の男の目線を通して、キリシタンの一途とも狂気じみているともいえる信仰心を表した「殉教」。
小児麻痺の息子を持つ父親が、苛立ちから息子に暴力を振ってしまうにも関わらず、世間の目を気にして優しい父親を演じてしまう「微笑」。
吃音学校での個性豊かな登場人物達が織りなす、コミカルかつ、複雑な心理描写を描いた「吃音学院」など、不気味さの中に存在するユーモラスを見事に描き切った9編が収録されています。
- 著者
- 小島 信夫
- 出版日
- 1993-12-03
どの作品も、登場人物達の狂気じみた感情や妄想が、ストーリーをより凄みのあるものへと昇華させていきます。
しかし、ただ凄みや狂気じみたものだけが、彼の小説の醍醐味ではありません。登場人物達がくり出す言動の端々には、小島独特のユーモアのセンスも織り込まれます。これにより、一見すると重たいプロットであるにも関わらず、そこまで重圧的にならずに、作品と読者との距離感を適度なものにしているのです。
小島の醍醐味がつまっている一冊です。
小島信夫の作品を読み進めた人に最後に読んで欲しいのが、彼の90歳の回顧録とも言える『残光』です。
アルツハイマーを発症して夫の顔すらも認識できなくなった妻を、ひとり施設に置いてきてしまった事への悔いや哀れみ、慈しみを抱き、自己小説を回顧しながら自身の半生を振り返っています。
小島自身が小説で何を描きたかったのか、何を伝えたかったのか。90歳になった作者が最後に書き連ねた思考の断片です。
- 著者
- 小島 信夫
- 出版日
- 2009-10-28
本作は『新潮』2006年に掲載された作品です。90歳という年齢に達した小島信夫の回顧録でもあり、そして遺作ともなりました。
彼の作品を読んできた人にとっては最終章とも言える作品です。小島の思考が随所に散りばめられている本作は、難解とも評され、初めて彼の作品を読むという人にとっては複雑なイメージを与えるかもしれません。
しかし、90歳になるまで小説を描き続けてきた彼の思考の断片が、時間軸や一人称をも混沌とさせながらも、時に鮮やかに、時に複雑に表現され、読者を引きずり込みます。
小島信夫の小説には、読者の心にじわじわと攻め寄せ問題だけを残して去っていくような、独特の世界観が存在します。その世界観を一層濃厚にしている原因が、主語や一人称がいつの間にかずれていたり、現在の話をしているにも関わらず、文の合間に妄想や思い出が混在したり、会話の中で論点が微妙にずれているような錯覚を与えたりする、彼独特の書き方にあります。
読者の中には読みづらいと感じて途中で諦める人も少なくないかもしれません。しかし、読み終わった後には決して不快な気持ちを与えず、そうしたアンバランスな文脈が、かえってこの世界観を深みのある、面白おかしいものに味付けしている事に気づかされます。彼の作品は、頭で考えるよりも、感性のままに享受するほうが良いでしょう。どうぞ、この癖のある世界観を1度味わってみてください。