小説界に新風を送り込む小説すばる新人賞。若々しいエネルギーのある、しっかりとした登場人物の活躍する小説の多い賞で、飛鳥井千砂は女性らしい繊細な話作りで受賞を得ました。癖の無い文章で描かれる登場人物に、きっと感情移入出来る事でしょう。
1979年に愛知県で生まれた飛鳥井千砂は、2005年の受賞から小説家としての活動を始めました。あっさりとした文章で、水彩画のように柔らかく繊細に物事や心情を描いています。
多くは恋愛小説で、登場人物たちのやりとりは真に迫ったもの。突拍子も無い出来事が発生する訳でも無いリアリティに満ちた物語は、多くの人の共感を得ています。バラエティに富んだ性格の登場人物が抱える悩みは、心当たりのある人は多いはずです。
淡々とした描写と分かりやすい性格の登場人物たちが織りなす物語は、軽く読むには最適でしょう。短編連作の本も多く、少しずつでも楽しめるようになっています。女性ならではの視点で多くの悩みを軽やかに描く、あまり活字に馴染みの無い人でも触れやすい小説家です。
完璧主義の姉、園(その)と、体が弱く冷めた性格の行(ゆき)。両親の離婚で離れて暮らしていましたが、行が肺炎で入院した事から、園が愛犬ハルの介護を引き受けます。離れて暮らしはじめてからしばらく経ってもちゃんと園の事を覚えていたハルでしたが、もう14歳の老犬。残念ながら長くはありません。
園はハルを預かる事で、行は入院をする事で、日常に変化が現われます。関わる人や場所、変化の要因は様々です。その変化を経て、姉弟は緩やかに成長していきます。
- 著者
- 飛鳥井 千砂
- 出版日
- 2009-01-20
園はデパートで受付嬢を務める、美人で有能な女性です。完璧主義なその性格は、他者の油断も目がついてしまうほど。お弁当一つとっても、妥協持も手抜かりも許せないようです。
行は4歳年下で高校生。将来についての悩みも絶えない難しい時期です。それまで老犬ハルの介護は彼が行ってきましたが、体の事が原因で人に任せざるを得なくなってしまいました。
ハルの介護をきっかけに、二人の周囲が少しずつ変化していきます。環境が変わった事はもちろんですが、それ以外での変化も二人の成長に大きく関わります。誰も思う通りに生きられない中で、自分の求めるものを選び取っていくのです。
多くの人と関わる中で、何もかもが都合良くいく訳ではありません。思った通りの正しさを誰もが通す事は出来ませんし、何もかもを理想の形そのものにする事も難しいでしょう。二人がこれからどういう生き方を選んでいくのか、その成長の兆しを感じられるようになっています。
東京郊外の大型ショッピングセンター、タイニー・タイニー・ハッピー。ここで働く人々は、それぞれ色々な事情を抱えています。立場や性格、考えが様々なら、異性への対応だって様々です。
会話をした相手の事情は中々見えません。異なる悩みを抱えながら関わり合う8人の男女の、それぞれの葛藤をみずみずしく描いた連作の恋愛小説です。
- 著者
- 飛鳥井 千砂
- 出版日
- 2011-08-25
別の部署に勤める実咲と結婚をしたけれど、ズレを感じる徹。物事をはっきりと言い過ぎてしまう理恵。男女の差異から、自分の性格から、他者への関わり方の悩みは一人一人異なった形をしています。
そんな異なる形の描写として、この本ではオムニバス形式が取られているのです。しかしただ短編として話が独立しているのでは無く、各話の主人公が別の話では脇役として登場しています。この人はこうした事情を抱えているのだ、と知ってから別の話を見てみれば、その人物の言動を深く理解することが出来るでしょう。
どの話も、大きな事件が発生するわけではありません。それぞれの悩みを、それぞれ解決していくだけの、小さなハッピーエンドが積み重ねられているだけです。だからこそ安心して読み進められるでしょうし、少し空いた時間に1話読んでみるという手軽さもあります。
小さな幸せに触れられる、タイトルをまさしく表した内容となっています。
古い友人は、大切にしたいものです。10年来の友人となれば、互いについてよく知っていることでしょう。人生の岐路を迎えた後でも再び交流が出来るなら、大きな助けとなります。
この本で登場する4人の女性は、10年以上交流を重ねてきた訳ではありません。偶然会う機会があり、次回の会う約束をしました。お互いの人生について、長い空白の期間が存在します。その空白にはどんな人生があったのか、丁寧に語られる連作小説です。
- 著者
- 飛鳥井 千砂
- 出版日
- 2014-06-26
それぞれの話で主人公を務める4人の女性は、高校の同級生。現在の年齢は32歳なので、14年ぶりの交流となりました。皆すでに結婚をしていて、既婚者ならではの悩みを抱えています。仕事をしていたり、良さそうな夫に恵まれたり、相手はどうしても羨ましく見えてしまうものでしょう。
そんな嫉妬や劣等感を対抗心に変えて、仕事や夫婦仲にとって良い形に変えて収めていくのです。悪い感情として封じてしまうよりもずっと建設的で、「夫婦」という関係についてもとても良く描かれています。
現在の環境も、それまでの生き方も大きく異なる4人です。当然、それぞれ求める幸せの形も異なっています。それでも羨ましいと思ってしまう心から解放される、自分の生き方に誇りを与えてくれる小説です。
こちらも連作短編小説で、やはり登場人物が少しずつ関わりあうことで、悩みを解消し様子が描かれています。誰かを好きになる尊い気持ちに、一つとして同じものはありません。
悩みを俯瞰するのは、テレビの中の「ゆうちゃん」です。話を変えるにつれ成長する彼女の姿があって、その話の主人公が一歩先へ進みます。
- 著者
- 飛鳥井 千砂
- 出版日
- 2013-02-08
この本でスポットが当たるのは、高校生から30代中盤までと幅があり、各話で描かれる環境も大きく違います。一見、同じテーマを集めただけの短篇集か、と思える事でしょう。
しかしこの本にはしっかり、全ての話を通じて登場する存在があります。それが、テレビに出演している子役の「ゆうちゃん」です。登場人物の事なんてまるで知らない「ゆうちゃん」は、話を読み進めるにつれ、彼女なりの人生を歩んでいるのです。
環境は違っても、主人公達はそれぞれ生きにくさを感じていました。人とうまく話せない事、家庭に対する悩みなど、年齢も性格も違うのですから、その悩みも全く異なっているのです。それぞれ一歩を踏み出す為に、自分なりの解決を見いだしていきます。
恋愛小説ですが、個人の葛藤について濃く描かれているので、当然甘いだけの物語ではありません。苦く、人によっては痛くも感じる話も多いかと思います。その苦みと向き合った主人公達の強さや痛みを、読んでいく内に感じる事となるでしょう。
主人公の遼は不動産会社に勤務しています。仕事の都合で、嫌気がさして出てきたはずの故郷の町へ赴任します。工場があるため、町は相変わらずチョコレートの甘い匂いで溢れていました。
最初は早く帰りたいとしか思っていなかった遼でしたが、様々なトラブルを経て、その考えはだんだんと変わっていきます。彼の成長を描いた長編小説です。
- 著者
- 飛鳥井 千砂
- 出版日
- 2010-07-21
町は小さく、すぐに知り合いに出会ってしまうような閉塞感を感じる土地。家族だって会話が少なく、母や兄の嫌なところばかりが目につきます。この町に居るのが嫌で、遼は18歳には家を出たのでした。
彼が帰ってきたのは、「前の店長の不祥事の穴埋め」という気乗りのしない仕事のためです。しかし、いやいや戻ってきた故郷で出会うトラブルが、彼の視野をどんどん開いていきました。
関わる人が変化して、年齢や経験が変化して、遼も若かった時とは物事の見方が変化しています。故郷の町の「内側」としての見方と「外側」としての見方が出来るからこそ見えるものもあったでしょう。故郷へ来る前の都会での経験も、彼を成長させていたのです。
自分を取り巻くものを、何もかも好きになれる事などありません。しかし嫌いなものや事から少し距離を開けてみれば、違った面が見えてきます。それに出会えた遼は、若い時とは違う前向きな気持ちを持てた事でしょう。
きっと誰もが、こんな風に何かを抱えているのでしょう。どの本も、そんな風に思わせてくれる話となっています。