ゴッホについてのあなたが知らない8つの事実!壮絶な人生がわかる本も紹介!

更新:2021.11.7

『ひまわり』を代表とする印象派の画家として名を残すゴッホですが、彼の生涯は短く、とても壮絶なものでした。今回はそんな彼の生涯や作品についての意外な事実と、彼のことがよくわかる本をご紹介します。

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壮絶な人生を歩んだ芸術家ゴッホとは

 

フィンセント・ファン・ゴッホは1853年、オランダ南部のズンデルトの村で牧師の家に生まれました。小さいころから癇癪もちで扱いづらい子どもだったゴッホは、物心のついたころには寄宿学校に入れられ、親元を離れて暮らしていました。

性格が災いし学校をやめてしまった後も家から遠く離れた町で就職をし、しかし素行の悪さで解雇をされたり、聖職者を志すも布教活動がうまくいかず伝道師の仮免許を取り消されてしまったりと、苦悩の日々が続きます。

弟から生活費の援助を受けながら暮らしていましたが、1880年、そんな状況から立ち直るために、幼いころから得意だった絵画を生業とする画家になる決意をします。町や人々など、見たもの感じたものをひたすら描き続けました。

しかし精神疾患を抱え奇行をくり返すようになり、1889年、サン・レミ精神病院で1年間の療養を余儀なくされます。なかなか画家生活を通じて恵まれた人生を送ることが出来なかったゴッホですが、退院した1890年ころから彼の絵画が徐々に評価されるようになります。まさにこれから芸術家としての人生のはじまりかと思われた1890年7月、胸に打ち込まれた弾丸により、37歳という若さでその生涯を終えました。生前に売れた絵は1枚のみだったといわれています。

 

ゴッホについてあなたが知らない8個の事実

1:複数の精神疾患を持っていた

ゴッホは幼いころから極度の躁鬱状態をくり返す性格であり、何度か大きな発作を起こして記憶をなくしたり、ひと晩中徘徊したりするような行動がありました。

さらに自傷癖やアルコール依存、ニコチン中毒などいくつもの問題を抱えていましたが、現在の医療においての研究では、クリーゼという症状を見るに、てんかんの一種だったのではないかといわれています。

2:27歳まで絵を描いていなかった

ゴッホは画家になる前は画商に勤めたり、聖職者になるために勉強したりして過ごしていたのですが、全てがうまくいきませんでした。

無職状態になり、弟に資金の援助を受けながら幼いころからの趣味であったデッサンを素描していたところ、絵画を職業とすることを思いたち、画家を目指しはじめたのは27歳の頃でした。

3:ゴッホの絵の色は、彼が意図したものではなかった

ゴッホは画家という職業でありながら、色覚異常を持っていた可能性があるといわれています。現存するいくつかの作品に修正シミュレーションを使うと、線はさらに端正になり、雑に思われていた色合いは深みを増して温かい色彩へと変化し、奥行きもさらに広がったそうです。

このようなことから彼は色覚異常を持っており、本来描きたかったものは修正後の色だったのではないかといわれています。

4:10年という短期間で900枚も描いた

ゴッホの画家としての活動はたった10年間しかありませんでした。しかし、その期間の絵画への情熱はすさまじく、寝る間を惜しんで絵を描き続け、オランダのヌエネンという町に滞在していた時期には、わずか2年の間に200枚もの絵を描きあげるほど。文字通り太く短い画家人生を過ごしました。

5:ポール・ゴーギャンとは同性愛の仲だった

ゴッホは画家仲間に同居生活の提案をしながらもことごとく断られ続け、悲しみに明け暮れていたところ、そんな彼に同情したゴーギャンが同居の申し出を受託したといいます。ゴッホはひどく感動し、ゴーギャンがやってくるまでに、彼を迎えるため部屋中にひまわりの絵を描き続け、その時期の日記はゴーギャンのことで埋め尽くされ、彼と話ができなかった日には、発作で病院へ運ばれるほどでした。

ゴッホのゴーギャンに対する執着にも似た感情は、友情という枠を越えた、まさに愛情というにふさわしい感情であったことが伺えます。

6:ゴッホの耳が切れた原因はゴーギャンにあった

肖像画にもあるように、自らの耳を切り落とした逸話が有名なゴッホですが、そのような行為に及んだ理由には同居生活をしていたゴーギャンとの関係が冷めてしまった悲しみによる自傷行為だったという説と、ゴーギャンにデッサンの耳の形が変であると指摘されたからという説がいわれています。

理由がどちらであるにせよ、ゴーギャンへの感情によってゴッホは自らの耳を切り落とすという行為に及ぶことになったのです。

7:いくつかの代表作は精神病院に監禁されていた時に描いた

暗く静まり返った夜の街にまばゆいばかりの月と星を散りばめた、ゴッホの代表作のひとつとして知られる「星月夜」。サン・レミ精神病院での療養中に、格子のついた小さな窓から見える夜景を描いた作品として知られています。さらに、自らの死期が近いことを予見していたとも思えるような配置構成で知られる「糸杉と星の見える道」という作品は、同じサン・レミ精神病院で、ゴッホが描いた最後の作品になります。

8:ゴッホの死は自殺ではなく、実は殺人だった

ゴッホの死因は銃による自殺であるといわれていますが、実際はその理由は分かっておらず、自殺として片づけるほかなかったのです。しかし、彼の手紙により新たに判明した日課や、出先から戻ってきたときにすでに銃で傷ついていたこと、現代の犯罪科学者が調査した結果などから、実は他殺ではないのかと噂されています。

一説では町の子供たちによる銃遊びでの誤射がゴッホに当たってしまったのではないかともいわれていて、しかし彼は子供をかばったのか、もしくは自ら望んでいたのか真意は不明ですが、銃創については一切語らずに息を引き取りました。

ゴッホの壮絶な生涯に触れる

炎のように燃え上がった画家人生を送り、37歳と若くして亡くなったゴッホですが、そんな彼の短すぎる生涯は様々なエピソードに語られるとおり壮絶で、そして刹那的でした。

そんな彼の生涯を、彼が残したいくつもの手紙や作品を頼りに、より詳細に書き起こしたのが『ゴッホの生涯』です。

著者
嘉門 安雄
出版日

「僕の若い時代は、陰鬱で冷たく不毛だった。」(『ゴッホの生涯』より引用)

とあるとおり、彼は幼いころから患っていた精神疾患の影響で親から離れて生活し、どんなことをやってもその全てがうまくいきませんでした。 仕事をやってもすぐに解雇され、恋愛をしてもすぐにうまくいかなくなり、そして友人関係も思うようにいかない。それでも彼はひたすら絵画を描き続け、後世に様々な作品を残しました。

そんなゴッホの壮絶な生涯を読みやすい文章で綴り、良くも悪くも忠実に書いている本書は、ゴッホの人生を広く知るうえでもっともおすすめの一冊です。表紙に使われている彼の肖像画も美しく、インパクトがあり、本棚にコレクションとして飾るのも良いですね。

まずはこれ、と言えるゴッホについての入門書

ゴッホは日本の浮世絵の写実性に魅入られ、彼の死後にアトリエを整理していると、貧しい生活であったにも関わらず、彼が集め続けた400点以上もの浮世絵のコレクションが発見されました。

本書にはこのような彼のエピソードと、彼の代表的な作品を多数収録した、「ゴッホについての入門書」といえます。

著者
圀府寺 司
出版日
2010-09-25

タイトルにある「日本の夢に懸けた」とは、ゴッホは日本の浮世絵を通じて、まだ見ぬユートピアとしての日本に憧れていたことからそう題されています。

日本でも知名度の高い「ひまわり」や「星月夜」、耳のない彼の肖像画や、浮世絵を取り入れたことで知られる「タンギー親爺の肖像」など、いくつもの代表作に加えて、ゴッホが書いた彼の生涯を知るうえで重要な手紙を余すことなく掲載した本書は、芸術家ゴッホに初めて興味を持った方に、まず最初に選んでほしい一冊です。

思い切り感情を込めたゴッホの文章の数々

ゴッホは不安定な躁鬱状態のなか、彼の気持ちを書きなぐった手紙を、ある時は友人に、またある時は恋人や肉親へと、生涯に渡って何通も書き続けたことで知られています。

「ファン・ゴッホの手紙」はそんな無数の手紙の中から、彼の人生を紐解くうえで欠かせない内容のものを編者が選りすぐり、彼の手紙を通じて生涯を知ることができるように製作された、ゴッホ没後100年の記念作品です。

著者
フィンセント・ファン・ゴッホ
出版日
2017-07-08

出版以前に知られていたゴッホの手紙には、伏字や省略された部分が多く、彼について都合の良い部分しか知ることができませんでした。ですが本書では、編者の長年にわたる努力の甲斐もあり、その手紙を余すことなく全て公開し、綺麗な部分も汚い部分も全てひっくるめたありのままのゴッホに触れることが出来るようになっています。

一見でたらめな文章構成で、乱雑に書きなぐられ、非常に読みにくいようにみえるその文章は、実は純粋な感情をただただストレートに書き綴っており、延々と続く長文を一度読み始めてしまうと興味が尽きず、思わずページをめくる手が止まらなくなってしまうような一冊です。

支えあって生きた兄弟の物語

精神疾患の影響で何事もうまくいかず、日々の稼ぎすら満足に得られず、人生をさまよい続けたゴッホ。 そんな彼を救い、窮地には手を差し伸べ、常に見守り続けたのが彼の弟、テオです。

『テオ-もうひとりのゴッホ』では、ゴッホを生涯支え続けた弟のテオに焦点をあてて、様々な角度からゴッホの生涯について綴っています。

著者
["マリー=アンジェリーク オザンヌ", "フレデリック・ド ジョード"]
出版日
2007-08-01

ゴッホが親元を離れ、画商で働きながらも毎日がうまくいかず悩んでいたころ、当時学生であったテオがゴッホの元を訪れます。

何をしたわけでもないのですが、2人で散歩をしたり、にわか雨を避けるために水車小屋に入ってミルクを飲んだり、そんな他愛もないでき事が孤独であったゴッホを救い、彼はこのエピソードを生涯大切にしました。

絵を描くゴッホとそれを支えたテオ。まさにどちらか1人でも欠ければ後世に絵画の残らなかった「二人のゴッホ」について詳細に記したこの伝記物語は、兄弟の優しさと、たくさんの感動が詰まっています。

芸術家としてのゴッホ

ゴッホが作品を残してきた印象派というジャンルは、モネ、ルノワール、ドガ、セザンヌなど名だたる画家たちが揃っています。時代背景や画家によって、描き方から手法まで全く異なっているのが大きな特徴です。

そんな印象派と呼ばれるジャンルの様々な絵画を見ながら、その時代背景となる彼らが活躍したフランスの近代について知ることができるのが『印象派で「近代」を読む-光のモネから、ゴッホの闇へ』です。

著者
中野 京子
出版日
2011-06-08

モネの「睡蓮」やセザンヌの「カード遊びをする人々」、そしてゴッホの「ひまわり」に代表されるように、近代印象派の作品というものは、どれも鮮やかで美しく栄える作品が多いですが、対照的に彼らが活躍した時代は残酷で暗く、とても怖い時代でした。

略奪戦争や、ギロチン処刑、火あぶり拷問、そして支配階級など、ありとあらゆる悲しみが横行していた時代だからこそ、そんな悲しみを払しょくするかのように絵は美しく輝き、人々に愛されたのでしょう。美しいなかにある様々なストーリーの解説もついています。

壮絶な人生を生き、いくつもの名画を残してきたゴッホ。彼の生涯について知ったあとに彼の絵を見れば、また新しい感情が生まれるのではないでしょうか。

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