芥川賞受賞作家であり医師でもある南木佳士。その作品には、医師ならではの死生観と信州の美しい自然があふれています。そんな南木のおすすめ作品を5つご紹介します。
南木佳士は1951年、群馬県に生まれました。秋田大学の医学部を卒業し、内科医として働きます。難民救済医療団に加わり、カンボジアやタイでも活動しました。
医療活動の傍らで執筆活動を行い、1981年『破水』で文學界新人賞を受賞。その後1989年に『ダイヤモンドダスト』で芥川賞を受賞します。
南木佳士の作品は医療従事者が主人公となることが多く、医師ならではの死生観が反映されています。また、うつ病の克服や信州での生活といった自身の経験が設定として使われることが多く、物語に深みを与えているのです。
主人公は、妻を病で失った看護士の和夫。まだ幼い息子の正史と、脳卒中で身体が不自由になった父の松吉と共に静かに暮らしています。
あるとき病院に、末期癌を宣告された宣教師、マイクが入院してきます。彼は病室で戦闘機のプラモデルを作り出すのです。
そんな時、父親の松吉が倒れて入院することになり、マイクと同室になります。仲良くなる2人。そして松吉は退院したあと、なぜか「水車を造る」と言いはじめ、庭に完成させるのです。
記憶が朧気になっていく松吉に寄り添い、彼らとともに人間の死に向き合う和夫。父親が水車を作るのも手伝います。
死に向かう人、寄り添う人、そして彼らを包み込む雄大な自然を、冷静かつあたたかい目で描ききった芥川賞受賞作です。
- 著者
- 南木 佳士
- 出版日
- 1992-02-01
「母が死に、妻が死に、父がボケた。」(『ダイヤモンドダスト』より引用)
和夫が自らが暮らす町を表現した言葉です。和夫の周りの人間が生き、老いて、死んでいきます。
死の恐怖におびえるマイクが、ベトナム戦争で海上に不時着したときのことを回想する場面は、本作で最も胸を打つシーンのひとつとなっています。
「誰かこの星たちの位置をアレンジした人がいる。私はそのとき確信したのです。海に落ちてから、私の心はとても平和でした。その人の胸に抱かれて、星たちとおなじ規則でアレンジされている自分を見出して、心の底から安心したのです。」(『ダイヤモンドダスト』より引用)
死を目前にした人間が、恐怖し、不安におびえ、最後に静かな悟りにたどり着く姿の描きぶりは、医師である南木佳士ならではと言えるでしょう。
生きるとは、死ぬとは。自分なりの死生観に向き合いたいときに必読です。
新人賞を受賞して以降、書けなくなった作家の上田孝夫。医者である妻の美智子が精神を病んだのを機に、故郷である信州谷中村の六川集落へ戻ってきました。
村人の霊を祀る阿弥陀堂を守って暮らすおうめ婆さんや、素朴な村人たちとの交流のなかで、2人は自分を取り戻していきます。
- 著者
- 南木 佳士
- 出版日
書けないことに苦しむ孝夫と、臨床医としての高い理想で自らを追いつめ、流産によって精神のバランスを失ってしまった美智子。彼らの姿は、心を病んでいない読者にとっても決して他人事のようには映らないはずです。
そんな2人を癒したのは、信州の人々と自然でした。とりわけおうめ婆さんの短くも含蓄のある言葉に、自らの生きる意味を問い直さずにはいられないのです。
南木佳士が描く山々の情景が鮮やかに浮かび上がってきて、読んでいるだけで心が解き放たれます。
精神を病んだ医師と、彼を支える妻、そして自立を余儀なくされた息子たち。そんな家族を結び付けていたのは、猫のトラでした。
自分ではどうにもできない病や老いに苦しみ、バラバラになりそうになりながらも、1匹の猫によって繋がりあい、苦悩を乗り越えていったある家族の物語です。
トラや
2015年09月30日
医師として老病死に向き合う日々のなか、「私」は精神を病んでいきます。生真面目で繊細であるが故に、生きづらさを抱える「私」の姿には共感を覚える人も多いでしょう。
死を願うほどの苦しみを冷静に見つめる作者の姿勢が、読み手の胸に迫ります。無力な自分に一度は絶望した「私」と一緒に、生を受け入れられるはずです。
本作の最後のページにはトラの写真が載っていて、この物語が南木自身の体験によるものであることが推察されます。
終戦前、佐久の小さな診療所に赴任した若月俊一。彼は地域医療を構築するために奔走しますが、その過程で医療現場の矛盾にぶつかります。
さらに、大病院へと成長した診療所は、医療の高度化によって新たな問題を抱えるようになっていました。
信念の医師、若月俊一の半生を描いたノンフィクションです。
- 著者
- 南木 佳士
- 出版日
- 1994-01-20
若月医師は「農民とともに」を合言葉に農村検診を導入しますが、検診を支える医療資源の確保に頭を悩ませます。また、診療所は佐久総合病院として成長するのですが、医療の高度化に伴う専門分化と地域医療との間で、バランスを崩し始めるのでした。
若月医師の、地域医療への情熱と誠実さ、そして南木佳士の、偉大な先輩に対する深い尊敬の念が強く伝わってきます。
彼が活躍したのは1900年代ですが、本書で描かれる医療現場の矛盾は、昔の話では片づけられないものばかりです。
南木佳士の本にまつわるエッセイが収録されています。
医師であり、作家である彼の人生は、様々な困難と共にありました。そんなとき、本が「薬石」としてどのように自分の心とからだに効いたのかが、エピソードを交えて紹介されています。
- 著者
- 南木 佳士
- 出版日
- 2015-09-26
医師として死を常に身近に感じ、自身もうつ病に悩み、家族に支えられ、信州の自然のなかで心に折り合いをつけていった南木。彼の人生の多くの場面で、本が友人となり、支えとなってきました。
「曇天の霹靂」では、大森荘蔵の『流れとよどみ』を「いまのこの身に欠乏している栄養素が含まれている」気がしたと評しています。出会うべくして出会った本とは、こういうものなのでしょうか。本書を読んでそんな「薬」のような本に出会うことができたら、より豊かに生きていくことができるのかもしれません。
いかがだったでしょうか。医師と小説家の2足の草鞋をはいた南木佳士の作品には、他にはない魅力があふれています。ぜひ読んでみてくださいね。