人の内面に関わる深刻なテーマ、世を渡る理不尽。一歩間違えば人を深く落ち込ませてしまうような内容を、小気味の良い文章で描く女流作家、朝倉かすみ。登場人物はどれも人間くさく、応援したくなる芯の強さを持った人ばかりです。ちょっと覗いてみませんか?
朝倉かすみは北海道出身で、デビューは40歳を過ぎてからという遅咲きの女流作家です。
様々な経験を経たためか、人物描写はユーモラスでありながら真に迫っています。シリアスなシーンでも、感情移入の難しい物語でも、すんなりと読めるのが魅力の一つでしょう。その文章は簡潔で短く区切られたものばかり。リズム感のある文体が、さくさくと作中世界を伝えてくれるようになっています。
読みやすい作風で描かれる小説の多くは、どきりと胸をつく作品です。身近にいそうな性格の人物が向かう結末は、対岸の火事として笑う事はできないでしょう。そういった人物は、すぐそこにいてもおかしくないのですから。
どの小説も、必ず読者に驚きを与えてくれるでしょう。
眉子は人を喜ばせるのが何よりも嬉しくてたまらない女性。そんな彼女の結婚式に訪れた大学生・茶谷は、その日に人のものとなったにも関わらず、眉子に一目惚れをしてしまいます。
眉子の夫を通して彼女へと近づく茶谷は、自分こそが眉子にふさわしいと信じてやみません。彼女との交際を夢想し、やがて、その行動はエスカレートしていきます。
最終的に眉子はどうなるのか、茶谷はどうなってしまうのか。ハラハラさせてくれる恋愛サスペンスです。
- 著者
- 朝倉 かすみ
- 出版日
- 2016-12-15
人のために行動できるというのは、とても尊い事です。ですが主人公、眉子にとってのそれは、少々行き過ぎたもので、周囲にとっては何を考えているのか分からない、不気味な人物として写ってしまっています。主体性が無いようにも見える彼女は、誰かに必要とされている事に幸せを覚えているのでした。
眉子の夫となったのは真壁直人という2代目社長。肩書きばかりが先だって威張りたがる、貧相な人物として描かれています。この二人の結婚式で眉子に一目惚れをした茶谷は、あらゆる手を尽くして直人の部下につくのでした。
眉子がどのようにして今の性格にたどり着いたのか。これまでの彼女の周囲との関わりが、彼女の人生を追いかけるように語られていきます。その一方で茶谷は、彼女との交際を思い描き、その空想をどんどんと膨らませていくのです。
眉子が他人とどのように関わってきたのか描写される横で、自分が特定の誰かとどのように関わろうとしているのかを描かれる茶谷。対照的ですが、どちらも自分というものを見つめています。その先で、二人はそれぞれどのような結末を迎えるのか。クライマックスにはページをめくる手が止まらなくなっていることでしょう。
高校生の少女、本城えりは思い込みが激しいところがあります。思い立ったら一直線で、他の事などまるで見えません。性への興味と嫌悪が同時に現れているところも、思春期の少女らしいと言えるでしょう。
えりは生まれてからの16年に、後悔に似た感情を抱いています。取り返しようの無いものを切なく思う気持ち。その気持ちを呼び起こしたのは、賀集玲子という、美しい少女でした。
- 著者
- 朝倉 かすみ
- 出版日
- 2008-02-01
えりの感情は、同性の少女へ向けるものとしてはいささか過剰なものと映るでしょう。玲子の事を天鵞絨と呼び親しみ、毎夜夜風の中で玲子を思っているのです。思いは決して本人へ伝える事は無く、自分の中で大切に気持ちを積み重ねていきます。
えりは玲子を神格視しているのでしょう。えりに美化された理想の人物としての玲子が、彼女の脳内に作り出されていきます。
ただ、それだけ思われる玲子も高校生の少女です。当然玲子なりの人との付き合いがあり、その中には異性との交際もあります。玲子の彼氏の存在を知った時のえりの衝撃は、いかほどのものであったでしょうか。
えりの思いの強さは、思春期だからこそなのでしょう。えりにとっては玲子の思い以上に重要なものはありません。だからこそ玲子に近づくために、えりはなんだってできるのです。
玲子とえりは学校ではとても良い関係を築いています。常軌を逸した思いは見ただけでは分かりませんし、えりが玲子を大切に思っているのは確かなのです。だからこそ迎えた結末は、大きな衝撃を与えてくれるでしょう。
多くの人の羨望を集めるスーパースター。そんな存在に憧れを持つのは珍しいことではないでしょう。ここでは無い、どこかに行ってしまいたいという願望も、そう珍しい事ではありません。
堂上弥子と鈴木笑顔瑠(にこる)の二人はそんな願望を持った者同士。二人は力を合わせて仕事をし、その願望を現実の物とするべく活動をしていきます。
行動力と計画性を持った中学生の、社会への挑戦を通して少女の自意識を描く、野心的な一作です。
- 著者
- 朝倉 かすみ
- 出版日
- 2016-08-04
堂上弥子は、注目されることを願う少女です。しかし、それでいて自分の能力をわきまえています。本当の才女では無い、自分では本物が現れるまでのつなぎにしかなれない事を、十分に理解しているのです。
そんな彼女の前に転校してきたのが鈴木笑顔瑠。ニコと呼ばれる彼女は年若い母に邪険にされ、祖母に預けられた不自由な環境で、外に出せない衝動を抱えていました。
弥子はニコと協力して、自分たちの力を誇示するべく動き始めます。複雑な家庭環境やニコの類い希なる容姿を利用し、世間に注目されやすいキャラクターを作り上げたのです。人々が誰かを評価するとき、その人物の性格や背景を無視することは難しいでしょう。弥子はそれを知っていて、ニコを指導しました。
中学生らしからぬ打算的な計画立案と、人々をシニカルに観察する弥子の頭の良さには、恐ろしさすら感じるかもしれません。ニコの方も、弥子の要求にしっかり応えられる能力を持っています。全くの無力では無いからこそ、現状から脱するために行動をしたのでしょう。
背伸びした自意識と、二人の野心でどこまで登ることができるでしょうか。夢を叶えるための現実的な行動を、最後まで見届けてください。
本書は村松鳩子の災難の物語です。
「婚約破棄」と「会社の倒産」という大きな2つの災難に見舞われた時、鳩子は30歳になったばかり。妹の塔子にも皮肉気味にあしらわれてしまいます。そんな矢先、塔子を介して牛来新太郎と出会いました。
姉妹が同じ男性へ思いを寄せるというどろどろの題材を明るく、ユーモラスに描かれています。
- 著者
- 朝倉 かすみ
- 出版日
- 2010-07-24
30歳の鳩子の現状は、まさしく踏んだり蹴ったりです。牛来新太郎と出会ったのは、ちょうど失業保険が切れる頃でした。
鳩子はロマンチストなところがあり、婚約している間は「運命」という言葉を好んで口にしていました。きれいな物への憧れは、多かれ少なかれ誰にだってあるものです。対して妹の塔子はかなりの芯のある現実主義者。冷めた感性で、姉に厳しいところがあります。
同じ男性を好きになり行動をしていく中で、鳩子は探偵と出会います。そして鳩子の過去の男性が次々と現れて、彼女のこれまでの現実が目の前に晒されるのです。
探偵という存在と、過去の存在である男性たちとの再会は、鳩子にとっては信じられない出来事でしょう。受け入れたくない過去や事実を突きつけられた鳩子の気持ちは、本書のタイトルに収束します。
本書は、主人公の吉田による一目惚れの物語です。彼女の一途な思いは、そのまま行動にも表れます。好きで、知りたくて、会いたい。行動を起こす理由は、それだけで十分なのです。
好き、というだけで上京まで果たした吉田はぐいぐいと押していき、好きな人の視界にも入り込んでいきます。傍から見ればまるでストーカーですが、恋のフィルターがそれを自覚させません。エネルギー溢れる恋情が、吉田の視界の余分な情報をかき消し、見たいものだけを美しく輝かせていたのでしょう。
- 著者
- 朝倉 かすみ
- 出版日
吉田は23歳、デパートで勤務している時に、一日だけやってきたエノマタに一目惚れします。
仕事に必要な最低限の言葉しか交わしませんでしたが、この時にはすでに吉田は恋に落ちていました。エノマタは42歳、もうデパートでの仕事も済んで、接点は何もありません。だからといって諦める事は無く、とった行動はストーキングでした。なんと札幌から東京まで追いかけてしまいます。
吉田だけでなく、エノマタも、吉田の親友や上京してからの友人も、どこか足を踏み外したようなキャラクターばかり。完璧では無いし人格者でも無い、抜けたところがコミカルで、人物としてのリアリティを持たせています。描写も細かで会話も軽妙、口げんかのシーンではきっと頬が緩むのを抑えられません。
情熱の甲斐あって吉田はエノマタとの関係を進める事ができました。知り合い、関係を深めていくうち、吉田の身にもある変化が現れます。すっきりとしたハッピーエンドとは思えないかもしれませんが、確かに、この関係を経た吉田だからこその成長を見ることができるのです。
内面を抉るような小説の数々。触れてみたならばきっと、視界を広げてくれるでしょう。