文芸

清岡卓行のおすすめ作品5選!詩人らしい抽象的表現が特徴の作家

更新:2017.8.17 作成:2017.8.17

清岡卓行は評論や詩、小説など様々な作品を遺した作家です。芥川賞をはじめ数多くの賞を受賞して高く評価されたその文体は、美しく、スタイルにこだわらない抽象的な表現が魅力です。清岡卓行の魅力が伝わる作品をご紹介します。

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清岡卓行とは

清岡卓行は、評論・詩・小説など様々なジャンルでの執筆活動を行ってきた作家です。大連で育った自身の体験を描いた小説『アカシヤの大連』で芥川賞を受賞した後、様々な作品で文学賞や詩の賞を受賞していきます。

平出隆によって「純粋を貫いた詩家」と評された独特の作風は、本人の大変温厚で善い性格と、音楽や美術に通じた幅広い芸術的視野から生まれています。芸術家には珍しく激動の人生といった印象はなく、常に身の回りにあるものを大切に、美しいものに目を留めて生きてきた印象が強い作家です。

清岡卓行の実体験をもとにした大連の青春

「彼」は大学一年生。大連に生まれ育った過去があり、終戦直前の春に再び大連へ里帰りします。世界中が第二次世界大戦の戦火に呑まれ戦争一色だった当時。文学の道に進みたかった「彼」にとって、その中で生き残ることそのものが無意味に感じられました。

自殺までも考えた多感な少年の心の揺らぎなど知る由もなく、戦争は終わり、時代は移り変わります。終戦直後の大連を背景に描きながら、「彼」が見つめる日本、夢、青春。やがて、「彼」は恋い慕う女性と出会い、矛盾や無気力といったものと葛藤していた青年期を終えて大人へと成長していきます。

著者
清岡 卓行
出版日
1988-01-26

『アカシヤの大連』は、清岡卓行が初めて小説として世に出した作品であり、芥川賞を受賞しました。描かれている風景は全て本人が青年期に過ごした生活を元にしています。

それまで詩を書いていた清岡の散文は、独特の抽象的な表現が至るところにあり、当時の小説としては斬新な作品として高い評価を受けました。

表題となっているアカシヤは大連の春に咲き誇る花で、作内では甘い香りがすることが描かれています。本書でアカシヤに興味を持った読者が、大連へ旅行中アカシヤを訪ねることも多いです。

パリの芸術家たちを描いた大河小説

藤田嗣治、ロベール・デスノス、岡鹿之助、金子光晴。本書は数々の芸術家たちが命をささげたアートの国、フランスでの出来事を描いています。シュルレアリスム時代の芸術家たちは、パリを拠点に交流を深めながら自身の作品と向き合っていました。

芸術に生きるアーティストは、作品に昇華するほどの激しい愛情を持ちながら、一方で不器用すぎるほど生活力がないのです。例えば、独特の柔らかい絵が人気の藤田嗣治は、貯蓄を全くしなかったため納税ができず、日本帰国を余儀なくされます。

詩人の金子光晴は、最愛の妻、森千代と「自由で縛られない恋愛」を固く誓っていたところ千代に新しい男が現れ、誓いはしたものの現実を見せつけられ、失意のどん底に。そんな金子光晴がパリへの放浪で出会ったのが、同じアートの世界に生きる同士たちでした。

著者
清岡 卓行
出版日

パリに生きる熱く若いアーティストたちを瑞々しく描いた長編小説『マロニエの花が言った』は、野間文芸賞を受賞しました。

マロニエはシャンソンの歌詞などでも登場するフランス・パリのアイコンとも言える花です。タイトルの語感が良いことでも話題となり、清岡の小説の評価を確固たるものとしました。

清岡卓行らしい詩的な表現とマッチして、まるでおしゃれな映画を見ているかのような読後感をもたらしてくれます。事実に基づいて描かれた大河小説にも関わらず、登場人物の個性や魅力が光っており、読者を飽きさせることなく最後まで導いてくれる傑作です。

芸術界に名を残した傑作評論

世界中に知られる彫刻作品「ミロのビーナス」。ビーナスは何らかの要因で両腕のない状態で今は美術館にたたずんでいます。清岡卓行はこの「ミロのビーナス」に対し、両腕がないからこそ美しいという一つの矛盾を見つけます。本来、両腕があることで完成された美を手に入れていたはずの「ミロのビーナス」がなぜ、両腕のない現在、全く別個の美しさを得たのでしょうか。

清岡卓行は「ミロのビーナス」を「彼女」と呼び、「ミロのビーナス」がなぜ美しいのかという問いについて考察します。「ミロのビーナス」は鑑賞している私たちの想像に委ねられるパーツがあるからこそ、神秘的かつ解けない問題のような魅力を発し続けているのではないでしょうか。清岡卓行独自の詩的な表現とともに評論は進みます。

著者
清岡 卓行
出版日

清岡卓行は「手というパーツを失ったのに美しいミロのビーナス」をテーマに、深く問いを探求していきました。その想像力は私たち読者の予想をこえたところまで跳躍し、やがて「手」というパーツそのものが持っている象徴的意味などにまで考えが及んでいきます。

本作は、国語の教科書で取り上げられている難問としても有名です。学校で本作を採用する意図として、一つのオブジェクトに対してどこまでも想像を広げ、言葉を紡いでいく清岡卓行のスタンスが、まさに国語力を決定づけるものとされたからでしょう。

淀みなく美しい言葉で描かれながら、読者である私たちに多くの疑問を投げかけてくれる名作です。

言葉の美しさに息をのむ詩集

湖水の中心に 不意に立つもの おお
一瞬にして消え失せる 正午のまぼろし。
それは 恨みのゆらめく焔ではなく
諦めのしぶきの 長い噴水でもなく。(「多摩湖」より引用)

清岡卓行の詩人としての活躍を締めくくる、人生最期の詩集です。清岡の言葉の美しさ、表現の多様性を凝縮した晩年の8篇の詩と、「多摩湖」の連作の6篇を中心とした一冊。「多摩湖」は清岡卓行の住まい近くにあった表現の原動力ともいえる場所で、小説作品にも登場したことがあります。その「多摩湖」を描いた連作詩は、湖に対する透明な視線を感じる、静かで清い詩です。

著者
清岡 卓行
出版日

清岡卓行は三十代後半に処女詩集を発表してから、次々と斬新かつ清廉な詩を発表してきました。2002年に発表した詩集『一瞬』で現代詩花椿賞を受賞した後、亡くなるまでのわずか4年間で描いた最期の詩が『ひさしぶりのバッハ』に詰められています。

芸術に対する知識が厚く、研究を怠らなかった清岡卓行の晩年の詩は、詩としての美しさというものをどこまでも見つめ続けて達観したような印象があります。表題には小説や評論でも高い評価を得た清岡が見た到達地点を改めて詩で表現する、といった意味もあるのでしょう。

清岡卓行を振り返る回想記

『断片と線』は 晩年の短篇3篇と随想をまとめた1冊です。金子光晴や萩原朔太郎といった、日本を代表する詩人たちとの交流や、ドイツ文学者の高橋英夫との友情劇など、過去を振り返る回想記が印象的です。清岡卓行は大変温厚な人柄から多くの詩人・小説家たちに愛されており、こうした交友関係を描いた文からその当時のことを想像できます。

表題作「断片と線」では、詩のような、それでいて散文のような独特の語り口調によって、まるで絵画のように広がる不思議な世界が広がっています。日本語の言葉遊びをしているような部分もあり、解釈に迷う箇所もありますが、それがまさに晩年の清岡が描いた何か尊いメッセージのようです。

著者
清岡 卓行
出版日
2006-11-25

おそらくこれを書いた頃、清岡は人生がもうわずかで終わるということを予期していたのではないでしょうか。『断片と線』は、一冊を通じてのコンセプトやテーマは一見見当たりませんが、清岡卓行という人をそこはかとなく漂わせるような文章が終始音楽のように流れています。

清岡と時を同じくして活躍した様々な詩人、アーティストたちとの交流の回想も大変価値あるもので、清岡卓行から見た彼らは皆生き生きと描かれており、日々を尊く生きていた清岡の視線を本を通じて体感することができるでしょう。

多くの人から惜しまれ亡くなった清岡を偲ぶ晩年の一冊です。

様々な分野で活躍しながらも、まっすぐで純粋な文体は崩すことなく一生を終えた清岡卓行。読むと心が清らかになるという読者も多い清岡の作品を、人生に疲れた時や美しいものと出会いたい時にぜひ読んでみてください。