女流作家・千早茜が、2017年8月19日に新しい作品『人形たちの白昼夢』を発表しました。それぞれ異なる要素で読み手をうっとりさせる12編でしたが、この記事ではある1編について紹介します。
美しくて余分の無い文体に定評のある千早茜。デビュー以来、夢幻的な文章と、随所に現れる格言的な言葉の緩急で読者を魅了し続けています。たとえば下記のような文章から、千早茜の魅力を感じることができます。
「もてあましていたような気もするし、単に足りなかったたけかもしれない。ただ、それが何かと問われれば答えようがなかった。言葉にした途端に、ないかもしれないそれらにとらわれてしまう気もした。」(『あとかた』から引用)
「不安ははっきりとしたかたちを持たない。かたちを持たないから対処のしようがない。いっそ全てを壊してしまえば、見つかるのかもしれない。でも、全てってなんだろう?」(『眠りの庭』から引用)
「強いから、なんだっていうんだ。強くて何が悪い。」(『男ともだち』から引用)
そんな千早茜が、2017年8月19日に新しい作品を発表しました。
- 著者
- 千早 茜
- 出版日
- 2017-08-19
本作は、「人形」と「青いリボン」がカギとして登場する12編の物語を収めた短編集です。
その内容は同じキーワードを用いていながらバリエーションに富んでおり、各短編に、会話での掛け合いや食事の表現、人物描写など、千早茜が得意とする表現がひとつずつ与えられ、それぞれの魅力を際立たせています。
収録作「ワンフォーミー・ワンフォーユー」では、ひとつのティーポットとひとりの女性の物語が、ティーポットの視点で語られます。
高飛車な性格をしたティーポットは、「物の価値もわからない子どもの手に渡るなんてとんでもない」と、店の台の上で身を潜めていました。自分を使って美味しい茶を味わってくれる人の元に行くことを願っていたのです。しかし、少女の指に触れられた瞬間、その指に特別さを感じ取り、自分が彼女を侮っていたことに気づきます。こうして、ティーポットは少女のものとなりました。
少女は茶を熟知し、それは美味しい茶を淹れることができました。茶葉によって使うポットを分け、丁寧に淹れられたその茶を飲んだ誰をも感動させます。そして、少女と父と、母の形見の人形のための特別な時間にだけ自分を使って茶を淹れてくれる生活に、ティーポットは満ち足りていました。
すでに母を亡くした家で、戦死した恋人を待ち続け、ついには父を病で亡くした少女はひとりきりになってしまいますが、自ら望んでひとりでいつづけます。「私たちだけになってしまったね」とティーポットに語りかけ、美味しい茶を淹れる丁寧な日々の中で、いつからかふたりは心を通わせることができるようになっていました。
ティーポットは、時が経ってシワだらけになった彼女の手から確かな老いと、そう遠くはない彼女の死を悟ります。体の自由もきかなくなり、舌が味を感じられなくなっても、彼女は美味しいお茶を淹れ続けました。ティーポットは、彼女のものであった自分を誇ったことでしょう。
自らの死期を悟った彼女の手で「おつかれさま」と結ばれた青いリボンが、どうか解けてしまわないように、きつく結んでくれるようにと願うのでした。
「あなたがいなくなっても、わたしはもうしばらく生き続けるでしょう。それはもう頑丈に作られていますから。誰かの手に渡って、これからも茶を淹れ続けるでしょう。あるいは、どこかの古道具屋で埃をかぶるのかもしれない。あなたとの日々を思い出しながら。」(『人形たちの白昼夢』より引用)
千早茜は、大のお茶好きです。そんな著者の描く少女の茶の心得を持った様子は、聡明な人柄を演出しています。 少女とティーポットが完璧に意思疎通をはじめる描写は作品の後半で描かれますが、出会った時からすでに「特別」を感じ合っている表現がなされています。
「あなたは手を伸ばし、わたしの体を撫でました。その瞬間、わたしは気付きました。あなたの歳に似合わぬ落ち着いた物腰と、きめ細やかな肌に。わたしを作った泥のように、しっとりとした肌でした。 あなたの小さな手はなめらかに動き、わたしの体の曲線をなぞりました。注ぎ口へと指を這わせ、持ち手をそっと握り、蓋の突起を軽くつまみ、最後に小さな両手で私を包みました。」(『人形たちの白昼夢』から引用)
上記は、少女が店でティーポットを初めて手に取った場面の引用です。一見、商品を選ぶ側である少女がティーポットを触っているといった文章のように見えますが、これは少女による一方的な品定めではないのです。
触れられているという描写をティーポットの視点で、あえて少し官能的に、艶かしげに書くことで、ティーポットが少女の肌を確実に感じ取っている、つまり「少女もまた触れられている」ということを表現しています。
余分な言葉を重ねない簡潔な比喩表現で、読みやすくも鮮やかな文章をつくること。そして、存在と存在の境界をわざと曖昧にし、どちらにも侵食できるわずかな余地を残す技法が、千早茜の文章が含む幻想的要素の正体であり、読者の感性を揺する最大の魅力です。
千早茜の作品を読んだことのない方は、文章の特徴や魅力を余すことなく知ることができ、読んだことのある方にとっては、これまでの著作を彷彿とさせる内容に、またファンにとっては「千早茜のこの表現を満足するまで読み耽りたかった」という欲求を叶えてくれる作品となっています。この充実した一冊を手にとって、著者の文章の美しさに触れていただきたく思います。