今年もノーベル賞の季節がやってくる。その予想、という訳ではない。明治から大正にかけて、ノーベル医学生理学賞に輝いてもまったくおかしくない業績をあげた三人の医学者がいた。その代表的な伝記を紹介する。まずはご存じ野口英世から。
なんといってもお札の顔だ、日本人で野口英世(明治9年~昭和3年)の名を知らぬ人はいないだろう。伝記の人気ランキングではかなり順位を落としてきているとはいえ、その伝記本の数は多い。アマゾンで『野口英世』と検索したら、200件以上もヒットする。たいしたものだ。
どれを選ぶか、難しいところだ。と言いたいところだが、そんなことはない。ぶっちぎりでこの一冊を推したい。意外に思われるかもしれないが、著者はアメリカ人女性である。プレセット女史は、父親が野口英世の共同研究者であったことから野口に興味を抱き、この伝記を執筆した。
- 著者
- イザベル・R. プレセット
- 出版日
- 1987-02-01
子どものころから野口英世の伝記をたくさん読んできたが、この本を読んで、おそらくこれ以上のものは出てこないだろうと判断して、以後読むのをやめた。渡辺淳一の『遠き落日』のような貶め系もあるが、日本の野口伝になると、ほとんどが誉め系である。しかしこの本はどちらとも違う。何しろ内容が客観的で、「偶像視でも偶像破壊でもない野口像」が淡々と語られている。野口の主たる活躍の場であったアメリカでのことが詳しく書かれていることもユニークだ。
野口の名前を知っていても、その真の業績を知る人は少ないだろう。最期はその研究で客死したので、黄熱病の研究は有名だ。しかし、残念ながら、黄熱病についての研究成果はすべてといっていいほど間違いだった。他にも誤った研究成果をたくさん出しているのはちょっと困りものなのだが、燦然と輝く業績がひとつある。
それは、進行性麻痺といわれていた精神疾患が梅毒感染によることを明らかにしたものだ。いわゆる脳梅毒なのだが、精神疾患が感染症で引き起こされうるというのは、当時としてはとてつもなく大きな発見で、ノーベル賞に輝いてもおかしくない。実際、ロックフェラー研究所の同僚であった米国初のノーベル賞学者アレキシス・カレルは、特に仲が良かったのだろうか、何度も野口をノーベル賞に推薦している。
野口よりもノーベル賞に近かった、というよりも、現在の基準でいくと間違いなくノーベル賞をもらうべきだったのが北里柴三郎(嘉永5年~昭和6年)である。野口ほどではないが、北里の伝記もたくさん出されていて、どれを選ぶか難しいのだが、バランスや客観性から、この一冊をオススメしたい。
北里は、文句なしに日本史上最高の医学者だ。ドイツ留学中に成し遂げた抗毒素の発見という不滅の研究業績のみでなく、帰国後、伝染病研究所(現在の東京大学医科学研究所の前身)と北里研究所の設立、慶應義塾大学医学部や日本医師会の創設、と、八面六臂の活躍で日本の医学界に大きな貢献を成し遂げた。これだけのダイナミックな働きをした医学者は他にいない。その伝記が面白くないはずがなかろう。知名度は別として、業績や貢献度からいくと、どう考えても、お札には野口よりも北里の方がふさわしい。
- 著者
- 福田 眞人
- 出版日
- 2008-10-01
留学先の師匠は細菌学の泰斗、ルイ・パスツールと共に細菌学の父と称されるロベルト・コッホ。そのコッホが北里に命じたのは破傷風菌の研究であった。さまざまな工夫をこらして破傷風菌の培養法を開発した北里は、その病原性は、菌そのものではなく、菌が産生する毒素であることをつきとめる。これだけでも大きな成果なのだが、北里はそこに留まらなかった。
ラットにその毒素を少量から増やしながら注射すると、毒素に耐えることができるようになることを発見し、この現象が、毒素を無毒化する抗血清によるものであることを明らかにする。いまでいうところの、体内に侵入した異物を認識するタンパク、抗体である。この業績は極めて独創性の高いものであった。第一回ノーベル医学生理学賞が、抗血清を用いた治療法の開発に与えられたことからも、その偉大さわかるだろう。
しかし、「ジフテリアに対する血清療法の研究」により第一回ノーベル賞が与えられたのは、北里ではなく、同僚のエミール・フォン・ベーリングであった。ベーリング自身が受賞に際し述べているように、それは北里あっての業績であった。というのも、抗血清の原理を発見したのはベーリングではなくて北里だったのだから。
いまのノーベル賞の選考基準でいくと、共同受賞、あるいは、単独受賞であれば北里ということになるはずだ。第一回目のノーベル賞が北里に授与されていたら、日本はいまほどノーベル賞で大騒ぎするような国にはなっていなかったような気がするのだが、どうだろうか。
もうひとりは東京帝国大学医学部・病理学の教授だった山極勝三郎(文久3年~昭和5年)である。誰やねん、それは、と思われる人が多いかもしれない。野口はおろか、北里に比べてもその知名度は圧倒的に低い。しかし、その業績は勝るとも劣らない。
その知名度の低さを反映してか、あるいは、伝記が少ないから知名度が低いのか、どちらかよくわからないが、ともかく出されている伝記は二冊だけである。この『まぼろしのノーベル賞』は、ルビがふってあって小説仕立て、やや子ども向けの本だが、非常によく書けている。もう一冊は、東大医科研・ウイルス学の教授であった小高健先生による『世界最初の人工発癌に成功した山極勝三郎』(学会出版センター)で、こちらは伝記らしい伝記なのだが、残念ながら絶版になっている。
- 著者
- 神田 愛子
- 出版日
- 2012-03-01
小高先生の本のタイトルにもあるように、山極の業績は世界初の人工発癌である。とんでもなく愚直な獣医であった助手の市川厚一に命じ、ウサギの耳にコールタールを延々と塗擦させ、癌を発症させることに成功したのだ。
この業績はノーベル賞の候補になったが、同じく発癌研究をしたフィビゲルと競い合って敗れている。フィビゲルの研究は、寄生虫が癌をひきおこすというものだったのだが、後年、それは誤りであったことがわかっている。このとき山極が受賞していてもおかしくなかったし、それ以上に、結果論としては山極の方が正しかったのであるから、受賞すべきであったのだ。
山極は非常に頑固な性格であった。結核を患い、絶対安静を命じられた時は、病床で身じろぎもせず、声すら発さなかったという。う~ん、そこまでいくと、かえって疲労が増すような気もするが…。本などよりも手っ取り早く山極のことを知りたい人は、遠藤憲一が山極を演じた映画『うさぎ追いし-山極勝三郎物語』がオススメだ。
ノーベル賞への近接度となると、北里≧山極≫野口、といったところだろうか。ただ、北里、野口の業績は外国でなされたものだが、山極の研究は東大・本郷キャンパスのウサギ小屋でおこなわれたことは特筆しておきたい。三人三様、業績もすごいが、そのキャラクターもすごい。秋の夜長に偉大な医学者たちの伝記を読み比べてみられてはいかがだろうか。