ヨシフ・スターリンにまつわる逸話5選!ソ連を率いた独裁者の生涯に迫る

更新:2021.11.9

学生時代、ヨシフ・スターリンという名を、少なくとも偉人の一人として、一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。彼はロシアをどのような国にしたかったのか、歴史の授業だけでは見つけ出せなかった側面を探る書籍をご紹介します。

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ソ連を導こうとしたスターリン

ヨシフ・スターリンは、1878年12月にグルジアのゴリで生まれ、青年時代には、ウラジーミル・レーニンの指導による十月革命に賛同しました。1922年からソビエト社会主義共和国連邦の事実上の独裁を図り、その中で政治的な方針、思想に反対する周辺人物並びに民衆の大粛清を行い、ソ連史上、最悪の指導者であるとされています。

スターリンと聞くと、どこか悪役のイメージがつきまとうことでしょう。現に、独裁政治とされる政策を行い、そうした政策による餓死者がいたことや、過労死が蔓延してしまっていたこと、冤罪が横行していたことなど、キリがないと言われるのには十分な闇を抱えています。
 

しかし、冷酷なイメージをもたれがちな彼にも、そんな息子を思いやる母の存在がありました。その恩に報いようと、人以上に学びを得て、行動し、親孝行を試みた時代が彼にもあったといいます。 

彼は冷酷非道な政治家である、というイメージが強いですが、そこには理由がありました。靴職人であった彼の父親が、日頃から家庭内暴力を行っていたことから、その被害を受け続ける中で植え付けられてしまった一種の復讐心が原因である、と言われています。

しかし、彼が革命家を目指したきっかけは、通っていた神学校にありました。そこで目の当たりにした、故郷の文化に対するロシア人の壮絶な差別意識に異議を唱えたことがすべてのきっかけになっていたのです。 
 

このままでは、偏った教育によって故郷の文化が不当に追いやられてしまう、という懸念が彼をソ連の革命家へと育んでいったのです。

スターリンにまつわる5つの逸話

1.誕生日が2つ存在する

ソ連共産党が公にしてきたスターリンの生年月日は1879年12月21日でした。しかし、ソ連の崩壊を目前にすると、彼の故郷であるグルジアの戸籍簿には、1878年12月18日と書かれていたことが判明したのです。その後、何度か出生日の修正が行われましたが、なぜそのような事が起こりえたのかという説明ができる人はいません。

2.スターリンと母親の関係

彼の母親は貧しく無学でしたが、信仰心は厚く、息子を学校へ行かせようと懸命に働きました。少年時代の彼は勤勉で、教会学校を卒業する際、その成績のほとんどが優等でした。しかし、母親の希望のもと、神学校に通い始めてしばらくすると、そこで教鞭をとる職員たちの故郷・グルジアの文化に対する偏った教育姿勢や思想に疑問を持ち、反発するようになりました。

結果として、彼は聖職者になることを望んでいた母親の期待を裏切る選択をし、自ら革命を推し進めていく姿勢をとるようになったのです。しかし晩年、彼は自らの母親に対し、母語であるグルジア語で手紙を書き送る日々を過ごしました。

3.最高刑と流刑に魅せられた
 

独裁体制に突入すると、スターリンは側近らに作らせた逮捕者名簿に自ら監視を入れるようになりました。最高刑(いわゆる死刑)であろうと流刑であろうと、罪の重さに構わずその名簿に次から次へと署名を行ったといいます。

4.民族に対する意識が低かった

各地域の発展を約束しながらも、その道筋は国の要求と相反するものでした。少数派の民族に対しては、忠誠心を植え付けようと躍起になりましたが、そもそもの人口規模でその試みは断念せざるを得ませんでした。少数民族の文化発展は大国にとって不合理であるとしたのです。

5.詩心を持ち合わせていた少年時代

自由な思想をベースとした『イヴェリア』、また急進的な専制批判をメインにした『クヴァリ』など、極端な2つの思想を持つ雑誌に投稿した7つの詩が存在しています。

独裁者と呼ばれたスターリンのリアル

ロシアの人々は、どのようなフィルターを通してスターリンという人物を観察したのでしょうか?ロシア人によるロシア史の学び方がどのようなものであるのか、という観点からこの本の話は始まります。

著者
横手 慎二
出版日
2014-07-24

スターリンという人物は、20世紀を代表する独裁者のなかのただ一人にしか、なり得なかったのでしょうか?あるいは彼の人生を振り返る時、その生き様は人として敬われるべきものだったのでしょうか?

この本を通して、思いもよらないスターリンという人間の側面を知ることができるでしょう。

学校の授業ではスターリンについて、彼の社会的な位置付けや、そのアウトラインしか学んでいない、という人にとっても理解しやすい解説が綴られている、読者に優しい一冊です。

スターリンが辿った独裁の形

上下巻に分かれている書籍です。スターリンが、社会主義国家の統制を行うまでの記録が残されている書籍です。スターリンに関わっていた周辺人物をはじめ、彼の家族との関係性などを垣間見ることができます。

著者
エドワード ラジンスキー
出版日

スターリンと巡り逢う人物は、どのように粛清を受けることになったのでしょうか?彼の掴んだ人脈が明らかになるとき、大粛清のきっかけとその結末を紐解くことができるでしょう。

彼自身が公にしてこなかった人生の一部始終が、様々な人物や文化的思想を介して明らかになっています。この本を読み終えた後、スターリンという人間の見方が変わる一冊です。

スターリンが目指した思想と理想のシナリオ

彼が行う独裁政治の裏には、ドイツを含む周辺諸国との外交問題の存在がありました。諸外国のどのような行動がきっかけで、ソ連は戦争の口火を切る羽目になったのでしょうか?この本には、独裁国家同士による一つの条約が生み出した残忍な結末と、彼が求めていた理想と現実が綴られています。

著者
["斎藤 勉", "産経新聞", "産経新聞社="]
出版日

独裁者の立場でありながら一人の革命家として、どれだけの犠牲の下でその人生をまっとうすることができたのでしょうか?また、その結果、どれほどのものを自国へ還元するに至ったのでしょうか?ページをめくるたびに、誰も想像し得なかったスターリンの答えが、その複雑な歴史とともに存在していたことがわかります。

 

ドイツ史上最悪の独裁者と呼ばれたアドルフ・ヒトラーをはじめ、スターリンと関わり合ってきた重要人物の証言や言葉をもとに、彼が本当に目指してきた世界観を知ることができることでしょう。

 

ジェノサイドの根幹を暴く

スターリンという一人の人物を通して、改めてジェノサイド(大量虐殺)とは何であったのか、なぜそのような定義や言葉が生まれることになったのかなど、ジェノサイドの根幹を彼のなかから暴き出しています。

著者
ノーマン・M・ネイマーク
出版日
2012-09-11

彼の意志とその行動力を明快に記しながら、ジェノサイドという卑劣な手段を選んだ姿は、一体どのようなものであったのか、どのような手段で、どのような目的で国民を殺さねばならなかったのかなど、時代の流れを背景に、一つひとつの証言を回想しています。

狂気的な思想と政治体制の存在を、世界が認めざるを得なかった理由が綴られており、読み進めていくほどに、その残虐さと悲しい歴史の全貌が見えてくることでしょう。

以上の作品をご紹介しましたが、ロシア史やソビエト史というのは、どれも内容が濃厚です。しかしその反面、学校で学ぶ形としては世界史のなかでも淡白な存在になりがちなのではないでしょうか?これらの作品をはじめ、ロシアについての書籍を改めて読んでみることも悪くないのではないでしょうか。

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